特別編4 冴子さんと私と筋肉

 私は食堂の隅で遠くにいる冴子さえこさんを見つめていた。ここからは後ろ姿しか見えないけれど、冴子さんの向かいに座る筋骨隆々の男性は笑っている。楽しい話でもしているのだろうか。


「冴子さん、やっぱり私に痩せてほしいと思っているんでしょうか⋯」


 それを考えると、気分が沈んで昼食を食べる手も止まりがちになる。


奈津なつちゃん、別に太ってないじゃない」


 私の隣りにいるたちばな先輩は美味しそうに白米を口に運ぶ。


「私、一年前より体重増えましたよ」


「そう? 私は全然気づかなかったけどな。そもそも冴子は細い子がタイプってわけでもないし、気にしすぎじゃないかな?」


「それならどうして冴子さんは遠山とおやま係長と食事なんてしてるんですか?」


「それは私も分からないけど⋯⋯」


 冴子さんが今一緒に食事をしているのは経理課の遠山係長。スーツを着ていても立派な筋肉がついていると分かるがっしりとした体つき。一見体育会系に見える遠山係長だが、気配りができて、人望も厚く、社内でも人目を引く存在だ。


 先日発行された社内報のインタビューで、冴子さんと遠山係長は接点ができた。


 社内報は私たちが所属している広報部が作っている。冴子さんが彼に話を聞きに行って、そこで面識ができた。


 そこまではいいのだけど、遠山係長は冴子さんを昼食に誘ったようで、冴子さんもそれに応じた。普段は興味ない相手なら、年上だろうと遠慮なく物を言う冴子さんが断らなかったのだから、遠山係長は何か冴子さんが話したいと思う要素があったのだろう。


 でもそんな事態が珍しすぎて、私は気が気じゃない。冴子さんが遠山係長に取られるとか、そんな心配はしていない。遠山係長には高校時代から付き合っていた奥さんがいて、お子さんも二人いるのだから。


 だから遠山係長も冴子さんに異性として魅力を感じたわけではなく、純粋に人として興味を持ったと思われる。


 冴子さんは一体遠山係長の何に惹かれたのか。問題はそこだ。


「冴子さんは私に痩せてほしいんだと思うんですよね。『遠山係長、最近私の恋人が太ってしまって。どうしたら痩せられると思います?』『それなら私がおすすめの筋トレを伝授しましょう』とか話してるんですよ、きっと」


「⋯⋯奈津ちゃん、それは被害妄想では?」


 橘先輩は呆れ気味に私を見ている。


「でも私、以前より太ったのは事実ですよ。冴子さんは優しいから私に直接言えなくて、遠山係長に相談しているのかもしれません」


「あのね奈津ちゃん、私、冴子の悩みなら大学時代から色々聞いてきたから言えるけど、そこまで仲良くもない遠山係長に相談するくらいなら、私に相談してると思う。でも私は相談されてないし、勘違いだと思うけどなぁ⋯」


「ならどうして遠山係長と仲良く食事してるんですか」


「それは、まぁ、馬があったとかそういうあれじゃない? たまには部署外の人と話したくなる日もあるのよ。きっと」 


 結局答えらしい答えも出ないうちに、冴子さんと遠山係長は食事を終えたのか、トレーを持って席を離れる。冴子さんがこちらに近づいてくる。目が合うけど、何も言わずに通り過ぎた。


「冴子さん、声かけませんでしたね」


「そうね」


「私を見て、『奈津、太ったなぁ。筋トレさせた方がいいな。もっと筋肉つけさせたい』と思ったからですよね!?」


「いや、思ってないんじゃない? 思ってないと思うよ⋯」


「でも⋯⋯」


 私はできるなら、いつでも冴子さんの理想の姿でありたい。少しでも多く可愛いって思われたいし、隣りにいて自慢したくなるような女性になりたい。


 だからそのためには、できることはやっていかなければいけない。


 それで冴子さんが喜んでくれるなら筋トレだって何だってするのに。






 終業時間になり、私と冴子さんは並んで会社を出る。そろそろ桜も咲く季節とはいえ、日が沈めばまだ肌寒い。


 冴子さんは駅に近いところにあるカフェの前で立ち止まる。


「奈津、ちょっとここよってから帰らない?」


「はい、いいですよ。何か飲んで温まりましょうか」


 私たちはカフェに入った。今時のおしゃれな内装で、意外と奥行きがあり、壁には海を描いた水彩画がいくつも飾られていた。BGMはゆったりしたボサノバ。席は一番奥。店内は三分の一ほど埋まっているだろうか。


「このカフェは初めてですね」


「そうね。奈津と来るのは初めてね」


「他の人と来たことあるんですか?」


「前に橘と二回くらいね。奈津は何飲む?」


 冴子さんは私に向けてメニューを広げる。メニューは写真つきで、飲み物も食べ物もかなり充実していた。


「ウィンナーコーヒー美味しそう⋯⋯」


 たっぷりクリームが乗ったコーヒーは、仕事の疲れを癒やしてくれそうだった。しかし、そこでお昼時のことが思い出される。


冴子さんはもしかしたら、私の無駄な肉を気にしているかもしれない。


「やっぱりブラックコーヒーにします」


「ブラックコーヒー? 奈津、普段ブラックなんて飲まないのに珍しい」


「た、たまにはいいかなって」


「奈津、飲み慣れてないでしょ。やめておいたら」


「いえ、私はブラックコーヒーの気分なので!」


 目の前で不思議そうにしている冴子さんには、あえて気づかない振りをしておく。


「⋯⋯たまにはそういう日もあるわね。私はウィンナーコーヒーにしよう。ケーキか何かも頼む?」 


「そうですね⋯⋯、この抹茶ケーキ食べて⋯⋯」


 私は途中で気がついて口をつぐむ。ダイエットしなければいけない私にケーキは敵。


「ケーキの気分ではないので、コーヒーだけにします」


「抹茶ケーキ食べたそうだったけど?」


「もうその気分ではなくなりました」


「⋯⋯ブラックコーヒーだけでいいのね。店員さん呼んでもいい?」


「いいですよ」


「いいのね?」


「⋯⋯? はい」


 冴子さんは納得いかなそうな表情を浮かべつつも店員さんを呼んで、ウィンナーコーヒーとブラックコーヒーを一つずつ頼んだ。


 しばらくしてコーヒーが運ばれてくる。


 私が飲もうとしたところで、冴子さんに止められる。


「飲むのはまだ待って。カフェによったのは奈津と話したいことがあったからなの」


「話したいことですか?」


 それなら別に家に帰ってからでもいいのに。


「話したいというか、確認したいというか。何かお昼以降、奈津の態度が変だから気になって。何かあった?」


 さすが冴子さん。この人は私のことになると鋭い。私が遠山係長との件を気にしていることが、知らずに滲み出ていて気づかれてしまった。


「奈津、もしかして私が遠山さんと二人でご飯食べたこと、気に入らなかった?」


「いえ、そんなことはないですよ。冴子さんだって、たまには私以外の人とご飯食べる方が、いい気晴らしになると思いましたし」


「そんなこと言っても、実際には気に入らなかったんじゃない? 私も誘われて断らなかったけど」


「遠山係長と何かあるなんて心配はしてません。あの方、結婚されてますしね。それに、冴子さんはアドバイスとかもらいたかったんじゃないですか?」


「アドバイス⋯⋯? 何の?」


「そんなの言わなくても分かりますよね」


「⋯⋯分からない。私が遠山さんからアドバイスもらうことなんてないし」 


「そうですか? 私を変えるためにはいいアドバイスしてくれそうですけど」


「奈津を変える? 一体奈津の何を変えるの?」


 わざとなのか急に察しが悪くなった冴子さんにむっとする。


「冴子さんは嫌なんですよね。今の私が」


「今の奈津がどうして嫌なの? そんなこと私言った覚えないけど」 


「冴子さん、男性とはほとんど食事なんてしないじゃないですか。でも遠山さんとはお昼一緒にしたってことは、彼と話したいことや聞きたいことがあったんですよね? 

例えば、効率のいい筋肉のつけ方とか筋トレの方法とか。ダイエット方法とか。遠山係長、そういうの知ってそうですし。社内報のインタビューでも筋トレが趣味って言ってましたよね」


「私、別にダイエットもしてないし、筋トレしたいわけじゃないけど? どうしてそう思ったの? 相手が遠山さんだから?」


「冴子さんはダイエットの必要なんて微塵もないですよね。でも⋯⋯。でも、私は⋯⋯、太りましたし⋯⋯。冴子さん的にはもうNGの領域になってますよね、私の体型」


 なんだか、もう泣きそう。自分が情けなくて。


「だから、私に筋肉をつけさせたかったって思ってませんか? そのアドバイスを遠山さんに聞いた。違いますか?」


「奈津が太ったなんて思ってないけど⋯。前よりちょっと増えたかなって、触れてて思いはしたけど、奈津に今より痩せてほしいとか、筋肉つけてほしいなんて思ってない。

私が遠山さんとお昼一緒にしたの、『奈津に筋肉をどうやってつければいいか』を相談した、なんてまさか思ったの?」


「⋯⋯違うんですか?」 


 ここまで話して、話が噛み合ってなかったことに気づく。


「違う。もう、どういう勘違いなのよ、奈津」


 冴子さんがくつくつと笑いだした。それを見ていたら、私は自分の勘違いが恥ずかしく思えて、顔が熱くなってきた。


「奈津、遠山さんは私と同じ石川出身なのよ。それでインタビューの時に、色々と故郷の話で盛り上がってね。遠山さん、私の兄と同じ高校出身だったの。兄は遠山さんの二つ下後輩で、面識もあったらしくて。兄の近況とか、地元のこととか、そんなことを遠山さんと話してたの。間違っても奈津に筋肉をどうつけさせるかなんて話はしてないから。分かった?」


「⋯⋯分かりました」


 冴子さんが嘘をついていないのは目を見れば分かる。


 私はおとなしく橘先輩の言葉を聞いておけばよかったのだ。


「私、太りましたから、冴子さんのタイプからどんどん外れてたらどうしようって⋯」


「奈津は今ぐらいの方が健康的でいいと思うけどね。まぁ、奈津が何がなんでも痩せたいってなら、遠山さんにおすすめの筋トレ方法でも聞きに行こうかな」


 冴子さんはまだおかしそうに笑っている。


「もう、大丈夫です。遠山係長に聞かなくてもいいです」 


「奈津ったら、変な勘違いして。私も、遠山さんについてちゃんと話せばよかったね。やましいことがあったわけでもないから、奈津も気にしないと思ってた」


「冴子さんと遠山係長がやましくなるなんて思ってないです。でも冴子さんが誘いに応じるなら、どんな理由だろうって考えたら、筋トレのことしか浮かばなくて⋯。冴子さんには筋トレなんて必要ないですし、あるなら私じゃないですか。だから⋯」


「うん、分かった。アスリートみたいになった奈津も興味なくはないけどね。私は今が一番いいと思ってる。まぁ、誰にでも勘違いはあるから、もう忘れなさい。ねぇ、抹茶ケーキ今から頼む? コーヒー、私のと取り替える? ブラックコーヒーなんて奈津全く飲まないでしょ」


「いいんですか?」


「いいよ。どうせ、そうなるだろうと思ったしね」


 こうして私の勘違いは解消されて、二人で美味しいケーキを味合うことになった。


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