第22話 二人のクリスマス
「クリスマスプレゼント、何がいいんでしょう」
社内の食堂で悩みながらエビフライを頬張る。出入り口の側に飾られた小さなツリーがチカチカとランプを明滅させているのが目に留まった。
「何って、
向かいに座る
今日は冴子さんが他社との打ち合わせで外に出ているため、ランチは橘先輩を誘った。ちょうど良くプレゼントを贈る相手がここにいないので、相談している。
橘先輩は冴子さんとは大学時代からの付き合いで、お互いに気心も知れている。そんな橘先輩に聞いたら何かいいプレゼントが閃くのではないか、と思ったけれどそうもいかないようだ。
「大学の頃にさ、冴子がね、当時の彼女からもらった万年筆を見せてくれたことがあってさ。特別高いわけでもない普通の万年筆だったけど、冴子はすごく喜んでたのよね。好きな人からのプレゼントって、どんなものでも特別でしょ。だから奈津ちゃんも深く考えすぎないで、いいなって思ったものをあげればいいんだよ」
「そうですね。そうなんですけど、でもやっぱり冴子さんに、より喜んでもらうには何がいいかなって考えると決まらなくなってしまって⋯⋯」
「そうね〜、それもよく分かるよ」
しばらく私たちは黙って箸を進めた。
冴子さんはあまり物欲を見せないこともあって、なかなか難しい。
クリスマスが一ヶ月ちょっと過ぎると、今度は冴子さんの誕生日がやって来る。
誕生日には誕生日でそれなりのものをあげたいし、私は最近プレゼントについて考えるのがすっかり癖になっていた。
終業時間になり、会社を出て冴子さんと二人で駅に向かっている最中も、私の頭の中はプレゼントのことで支配されている。
隣りの横顔を盗み見る。
落ち着いたピンクベージュ色の唇。
口紅をプレゼントをするのはどうだろう。でももし好みの合わないものを選んでしまったらと思うと手が出せない。優しい冴子さんのことだから好みに合わなくても自然と使ってくれそうだし。
次に耳に目が行く。ピアスもいいかもしれない。冴子さんは色んなピアスを付けているが、どれもとてもよく似合っている。
(ピアスかぁ。悪くはないかも)
私の視線は首へと下がる。やや年季の入ったグレーのマフラー。冴子さんが持っているのはこのマフラーだけだ。新たにプレゼントとして贈ったらバリエーションも増えてよいのではないかという気もする。けど、ずっと使ってるということは、それなりに思い入れがあるのかもしれないし、送るには少し悩んでしまう。
すれ違う人たちが身につけているものや、手にしているものにも視線は向かう。アイデアを求めて。
「あっ⋯!」
考え事に夢中になっていたせいか、私は周りをよく見ていなくて気づいたら転んでいた。
「ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
私と同じ年くらいの、大きな丸い目が可愛らしい女性に声をかけられる。どうやら、人にぶつかってしまったらしい。
「大丈夫です、大丈夫です!」
相手は私にぶつかったことで怪我をさせたのではないかと不安になっているのか、泣きそうな顔をしていた。
「奈津、怪我してない?」
冴子さんも転んだ私にすぐ気がついて手を差し出してくれた。
「冴子さん、大丈夫ですよ。ありがとうございます」
私は冴子さんの手を借りて立ち上がる。
「本当にごめんなさい」
女性は何度も何度も頭を下げる。
「すみません、うちの連れが。お怪我ありませんか?」
後ろからした声に振り向くと、私たちより十歳ほど年上だろうか。黒髪に眼鏡の女性が心配そうにこちらを見つめる。冴子さんとタイプは違うけど、面立ちの整った綺麗な人だった。
「全然平気です。怪我もしてないですから大丈夫ですよ。そんなに気にしないでくださいね」
とても恐縮して謝る女性を安心させるために、私は笑顔で改札へと立ち去った。
「奈津、本当に平気?」
冴子さんが顔を覗き込んでくる。
「大丈夫です。足も全然痛くないですし」
「怪我してないならいいけど。それにしても何か今日はぼうっとしてるみたいだから⋯⋯。風邪でも引いた?」
冴子さんが私のおでこに触れる。ちょっと冷たい手が心地よい。
「いえ、そんなことないですよ。風邪なんて引いてないので安心してください」
冴子さんへのクリスマスプレゼントに悩んでいる、とは本人に打ち明けるわけにはいかない。
「そう。何か悩んでるなら言いなさい。無理にとは言わないけど、私ができることなら協力するから」
とても優しい声音に私は思わずプレゼントの相談が口から出るところだった。
冷たい夜風が通り抜けるホームで並んで電車を待つ。真後ろには冴子さんがいて、私の手元のスマホを覗いている。
「冴子さん、この加湿器良さそうじゃないですか? 見た目も可愛いですし」
「値段も手頃だし、いいかもね。やっぱり部屋に加湿器欲しい?」
「そうですね。乾燥するので⋯」
冴子さんは私に腕を回して引き寄せる。体と体が触れ合う。
「奈津あったかい」
耳元に冴子さんの声が吐息と共にかかる。その感触にちょっとどきどきしてしまう。
「冴子さん、寒いんですか?」
「だって寒いじゃない」
「確かに寒いですけど」
こうして人前でくっついてたら、おバカなカップルに見られるんじゃないかって、少しそわそわする。
でもきっと端から見れば私たちはカップルではなく、仲がいい姉妹とかそんなのだろう。それはそれで何だか寂しいけれど。
ふと隣りの列を見ると、先程ぶつかった女性の二人連れも並んでいた。
眼鏡の女性とその後ろにぶつかった女性がいる。
「
ちょっと寂しそうに後ろの女性が前に声をかけると、眼鏡の人が振り向く。
「なぁに、
「⋯⋯⋯⋯⋯」
「黙ってたら何も分からないけど」
理子さんと呼ばれた女性は何だか泣きそうになってる彼女の手を取ると繋いだ。
途端に由茉ちゃんと呼ばれた方の女性の目が潤んでキラキラと輝く。
その後はただ黙って手を繋いでいた。
言葉を交わさなくても思っていることが分かるような二人なのだと、見ていて伝わってくる。
(この人たちも私たちみたいな関係なんだろうか)
なんてちょっと思ったりしていたら、ホームに電車が到着した。
冴子さんがぱっと離れてしまったので、惜しい気持ちを引きずりつつ、私たちは電車に乗り込んだ。
夕飯を終えて、冴子さんはリビングで雑誌をパラパラとめくり始めた。見ているのはファッション雑誌。
これは何かプレゼントのヒントになるかもしれない。
私はココアを作ってリビングに持って行った。
「冴子さん、飲みますか?」
「ありがと、奈津」
私は横に座る。そして冴子さんの手元をさりげなく覗く。でもじっと見ていたら察しのいい冴子さんに見抜かれそうなので、テレビにも視線を向ける。
(手袋か⋯⋯)
冴子さんの手は手袋が載っているページで止まる。興味深そうに見ている横顔を確認した。
「冴子さん、レザーの手袋似合いそうですね」
話しかけると、機嫌が良さそうな瞳がこちらを向いた。
「こういう手袋もいいかなって」
視線は再び雑誌に戻る。楽しそうな雰囲気に、なかなかの好感触を得た。
私はスマホのメモ帳を開いて『手袋』と記入する。
(手袋だけじゃ寂しいから、マフラーも付け足せば今の時季に使えていいかも)
プレゼントは明日の仕事帰りに探してみよう。冴子さんが好きなブランドの入っているお店を頭に思い浮かべながら、予定を立てる。
一緒に見て回るのもいいかもしれない。その時に冴子さんがどれが欲しいか上手く聞き出せば、喜んでもらえるプレゼントも決まる。
私は上手く行きそうな予感で、心が浮足立ってきた。
「奈津、何か楽しそう」
冴子さんにも伝わってしまった。
「年末年始のことを考えていたら、楽しくなってきました」
「それは良かったね」
「はい」
私は冴子さんにくっついた。そのまま抱き寄せられて更に二人の間は狭まる。
「幸せそうな顔しちゃって」
私は冴子さんにほっぺたをむにむにされて、余計に締まりのない顔になった。
「幸せなので、自然と幸せな顔になっちゃうんです」
こんな何気ない時間も至福のひと時だ。
プレゼントの目処が立ったので、私は羽が生えてるみたいに心も体も軽くて、ふわふわしている。
このクリスマスや年末年始に思いを馳せるだけで、薔薇色の気分になれる。好きな人が一緒にいるだけで、見える景色が変わる。
社内に飾られた小さなツリーさえ、宝物みたいに見えて来るのだから、冴子さんとの時間というのがどれだけ私を満たしているか分かるというものだ。
今日のお昼は冴子さんと二人。橘先輩は気を遣ってくれたのか、他の人と食べに出てしまった。
食堂の窓際に座り、私はきのこのオムレツ、冴子さんはトマトパスタを食べていた。
窓の向こうの桜の木はすでに葉っぱもほとんど落ちてしまって、どこか寂しげだけれど、今の浮き足立つ私にはそれさえも完成された絵画のように思えてしまう。
「奈津、ツナサラダ食べる?」
冴子さんはサラダが盛られた小さな器を私に向ける。
「はい。私のサラダと交換します?」
「⋯⋯うん」
少しだけ気まずそうに冴子さんが頷く。基本的に好き嫌いがない冴子さんだけど、ツナはあまり好きではないらしい。食堂のメインメニューに付くサラダは日替わりで、どれが付くか分からない。今日は運悪く冴子さんの頼んだトマトパスタに付いてきたサラダがツナだった。
私は自分のトレーに乗っていた手つかずのミモザサラダを冴子さんのトレーに置いた。その代わりにツナサラダをもらう。
そんな私たちが視界に入ったのか「
何だか恥ずかしい場面を見られてしまったので、私は笑って誤魔化した。
以前社内報の取材を五十嵐さんにしに行ったことがある。その縁で顔を合わせば会話することもたびたびあった。
五十嵐さんは四十代とは思えないスタイルの良さとはつらつさで、社内ではちょっとした人気がある。背の高い冴子さんよりも更に背が高く、颯爽と仕事をする様に憧れる女性社員は多い。
「高野さんと藍田さんは広報部の名コンビって秘書課でも話題になってますから、その一端を拝見して納得しました」
「わ、話題に!?」
私は冴子さんと仕事でもいつも一緒にいるので、他の部署から見たら名コンビに見えるのだろうか。
「へぇ、私と奈津がねぇ」
冴子さんも向かいで感心している。
「お二人は何と言うんでしょう⋯⋯、こうお互いがいなくてはならない大事なパートナー。そんな風に見えるんですよね」
と言われて一瞬どきりとする。もしかして私たちが交際していることがバレてるんじゃないかって。もちろん、五十嵐さんはそんなことは知らないから、あくまでも仕事上の、先輩後輩としてなくてはならないという意味だと思うけれど。
(冴子さんと付き合ってます、ってもっと堂々と言える世の中だったらいいのに)
だって私たちは、少なくとも私は冴子さんはいなくてはならない人だから。
「まぁ、奈津は確かにいないといけない人ではあるけど」
冴子さんは当然と言わんばかりにさらりとそんなことを言う。私は冴子さんのこういうところが大好きだ。いつだって私を一番に想ってくれて、それが当たり前なんだと示してくれる。
「私だって、冴子さんはいなくてはならない人です!」
「ふふふ、本当に仲がよくて素敵ですね」
つい五十嵐さんの前で惚気けてしまった。
「仕事の上で信頼できる人に出会えるのはいいことで⋯⋯」
「
そこへ五十嵐さんの言葉を遮るように、受付の
「真歩さぁぁん」
「はいはい、どうしたの、しいちゃん」
「もう大変でした! やっと解放されました⋯⋯」
「今日は先に来てないから、しいちゃんお昼忘れちゃったのかと思ったよ。解放されたってどういうこと?」
「それが、それがですね」
「取り敢えずしいちゃん落ち着こう。ここ座って」
五十嵐さんは自分の隣りの空いてる椅子を引いて、三留さんを座らせる。
「もう真歩さん、聞いてください。S社の部長さんにしつこくお昼誘われて、断ってもなかなか折れてくれなくて⋯。何とか
そこから三留さんは私たちがいることは気にしてないのか、そもそも目に入ってないのか、五十嵐さんにことのあらましを説明し出した。
五十嵐さんは適度に相槌を打ちながら、優しく聞いている。その眼差しが大切な子供を見守るような慈愛に満ちていて。
そう言えば冴子さんも時折こんな目で私を見てくれるなって思い出して。何だかしみじみとしてしまった。
五十嵐さんは三留さんの話を聞き終えると、彼女の分のお昼を注文して運んであげていた。
きっとああいうところも五十嵐さんの人気の所以なのだろう。
昼食を終えた私たちは食堂を後にする。
「五十嵐さんと三留もよく一緒にいるのを見かけるね」
冴子さんも二人のことは気になっていた様子だった。
「そうですね。私たちが広報部の名コンビなら、あの二人は総務部の名コンビかもしれませんね」
「コンビねぇ⋯⋯」
どこか不服そうな冴子さん。
「五十嵐さんたちそう見えないですか?」
「ああ、違うの。あの人たちじゃなくて私たち。コンビってのは何かしっくり来ない」
廊下に立ち止まって冴子さんが私を見つめる。
「だって私たちコンビではないでしょう。恋人だもの」
強い意志が宿った冴子さんの瞳が私を射抜く。幸い近くに人はいないけど、こんなところではっきり恋人宣言してくれるんだから、本当に冴子さんは、冴子さんなのだ。
「ですね」
これが私の大好きな冴子さん。
嬉しくて、ちょっと照れくさくて、面映ゆくなる。
冴子さんの指先が私の手に触れる。
この人が誰よりも愛おしい私の大切な人。
年末のデパートはなかなかに盛況だ。クリスマスの飾り付けをされた店内に、明るいクリスマスソングが流れている。
私は冴子さんと洋服の売り場がある階をそぞろ歩いていた。
「あっ、これいいな」
私の足が思わず立ち止まる。そこにはオフホワイトのコートをまとった女性のマネキン。
「奈津、そのコート気になるの?」
「そうですね。素敵ですけど⋯⋯」
すかさず値札を確認して、ちょっと高いな、贅沢かなと感じる。
「買うの?」
「うーん、いいんですけどね。このコート。でも今はやめておきます」
「そう。奈津に似合いそうなのに」
「本当ですか?」
「奈津は明るい穏やかな色似合うから」
なんて天気の話でもするかのように言うから、さらっと聞き逃すところだった。
私がいいなと思ったものを自然と似合うと言ってくれる。こんなことを言われたら俄然欲しくなってしまう。
「ボーナスが出たら考えます」
「それでも間に合うし、いいんじゃない」
私たちはまた別の売り場へと足を運ぶ。
次に来たのは冴子さんお気にいりのブランドのお店。この間雑誌でチェックしていた手袋が並んでいる。
(冴子さんやっぱり新しい手袋欲しいのかな)
私は邪魔にならないように気配を消して、冴子さんが吟味しているのを横から眺める。
楽しそうに商品を見ている冴子さんの横顔が愛らしくて、ずっと見ていられそうだ。
けれど冴子さんは特に買う様子もなくお店を出た。欲しいけど、迷ってる。そんな雰囲気もある。
(私がコートを買わなかったから気を遣ってくれたとか?)
優しい冴子さんなら、そんな理由で欲しいものを買わないという選択をしそうだ。
そんなことして欲しくないけれど、そんなことをするのが冴子さんである。
でも「私に遠慮して買わなかったんですか?」なんてストレートには聞けないし、もっと別な理由があるかもしれないしで、私は落ち着かない。
私たちはデパートの中をぶらぶらと歩きながら、いつの間にか二階の吹き抜けまで来ていた。何となく立ち止まり、一階のホールに鎮座する大きなツリーを見下す。
「そうだ、奈津。クリスマスどうする? 何かしたいことある?」
「したいことですか? そうですね、今年は平日ですから、定番ですけどケーキ食べたりしながらのんびりして⋯⋯。そんな感じでもいいかなって」
よく考えたら恋人になって初めて過ごすクリスマス。もっとロマンチックな時間を考えるべきだったかもしれない。
「⋯⋯味気ないでしょうか?」
心配になりつつ冴子さんを見る。
「クリスマスだからこう過ごさなきゃいけないなんてないし、奈津がのんびりしたいなら今年はのんびり過ごす?」
「冴子さんは何かしたかったことあるんですか?」
「特には。私は奈津がいればそれでいいし」
冴子さんの手が私の頬に伸びる。少し冷たい指先が気持ちいい。
「私も冴子さんと一緒ならそれが一番いいです」
クリスマスを過ごすのにふさわしい場所は探せばいくらでもある。どこかに出かけて思い出を作るのもいい。けれど、結局それは冴子さんがいるからこそで。彼女さえいればそこはどこだって、楽しくて素敵な場所になる。
私たちはしばしツリーを見つめていた。色とりどりのランプがチカチカと可愛く点滅している。
ツリーのすぐ近くにある特設ステージに白いお揃いの服をまとった女性たちが数人現れた。
「何かのイベントでしょうか?」
「ああ、何かハンドベルの演奏だったかな。告知のポスター見かけたけど」
冴子さんが言う通りよく見ればステージに置かれた台にはベルのようなものが置かれている。
司会のお姉さんがハンドベルグループについて紹介し、演奏がスタートした。
透きとおる柔らかなベルの音色がゆっくりと響き出す。ステージを囲むお客さんたちも黙って聞き入っているのが、二階からでも分かった。
ゆったりした、でも厳かな曲。
「冴子さん、この曲何の曲でしたっけ。聞いたことある気がするんですけど」
「パッヘルベルのカノン、じゃない。確か」
「あぁ〜、そうです、その曲です。下に聞きに行きます?」
「下は人がたくさんいるから、ここでいい」
そう言うと冴子さんは私の手を取った。
並んでくっついてれば通路に背を向けているので、手を繋いでてもバレにくい。
私たちはよりそって、真っ白な羽のような美しい音色に耳を傾けた。
「
すぐ傍に私たちと近い年齢の女性二人組がやって来た。私は思わずびっくりして、冴子さんの手を強く握りしめる。
「おお、すごい眺めだね。
「うーん、どうしましょう。でも下、けっこう混んでますよ。演奏見えないかも」
「あー、確かに」
隣りの二人組は小さな声でさっきの私たちみたいに一階に行くか行くまいか、迷っているようだ。
「ツリーも見えるし、祥夏ちゃんここで見て行こうか」
「そうですね」
二人組は少し離れた場所に移動して仲良く並んで、ツリーと演奏を眺めている。
世の中には仲のいい女性同士の友人なんていくらでもいるのだから、私と冴子さんだって、外でもっと仲良くしててもいいはずだ。
私は冴子さんの肩に自分の頭を預ける。そして、冴子さんも私の肩を抱き寄せた。
曲はいつの間にか「きよしこの夜」に変わっている。
私たちは演奏が終わるまで時間も忘れて聴き入ってしまった。
クリスマスも間近に迫った土曜日。
私と冴子さんは先日訪れたデパートに来ていた。
お互いのクリスマスプレゼントを買うために。何を贈るのかは当日までのお楽しみということで、私たちはいつものようにバラバラになって買い物して、待ちあわせ場所で合流することにしている。
私が買ったのは、冴子さんが興味ありげだった手袋。値段は手袋としては少々高めではあったけど、プレゼントなのだから丈夫なものを贈りたい。あとは冴子さんに似合いそうな黒いマフラーを足した。
きっとどちらも冴子さんに似合うはずだ。そもそも冴子さんは何だって着こなしてしまう人だから、今から身につけてくれた時のことを考えると、わくわくする。
私はきれいにラッピングしてもらったプレゼントが入った紙袋を片手に、待ちあわせ場所にしている、ツリーのある吹き抜けまで向かった。
到着すると、すでに冴子さんが来ていてベンチに座っている後ろ姿を見つけた。ステージではキーボードを引く男性に合わせて女性が伸びやかな声で冬らしい曲を歌っている。
(そっと近づいて冴子さんを驚かそう)
などと子供っぽいことを考えて、私は抜き足差し足忍び足で、冴子さんの傍まで歩いていく。しかし手を伸ばせば届く距離まで来たところで、何の前触れもなく冴子さんは振り返った。
こっちが逆に驚いて、喉の奥で変な声が出てしまった。演奏でかき消されて私にしか聞こえなかったようで、ちょっと安堵する。
「奈津、驚かそうとしてたでしょ」
何でもお見通しと言わんばかりの目で冴子さんがニヤリと笑う。
「えー、何でバレたんですか?」
「何となくね。それに奈津の気配って分かるし」
「⋯⋯冴子さんエスパーとか霊能力者か何かだったんですか?」
「まさか。毎日いたら、何となく分かるでしょ。自然と奈津が近くにいるなって感じて、振り返ったらいたから」
「さすが冴子さんですね」
察しがよくて、細かいところまで見ていて、だからこそ仕事の先輩として、いつも私のミスや困っていることにもすぐ気づく。
「奈津は私の気配分かる?」
「んー⋯、分から⋯⋯、ります」
「どっちよ」
「察そうと思えば分かるかもしれません」
冴子さんは分かるのに私が分からないというのは、悔しい。
「別に分からなくたって駄目なわけじゃないから。そんな悔しそうな顔しないの。勘みたいなものだしね。で、奈津はプレゼント見つかったの?」
「それはもちろん。前から目星をつけてましたから。冴子さんが持ってないのも、ちゃんと確認済みです」
「そう。私も奈津が喜んでくれそうなもの、ちゃんと買えた」
「楽しみですね、クリスマス」
「そうね」
それから私たちはデパートのレストラン街でお昼を食べて、自宅へと戻った。
こんなにもクリスマスが待ち遠しいのは何年ぶりだろう。
今年のクリスマス当日もイヴも平日なので、朝から仕事。
だけど社内の空気がいつもより柔らかいような、明るいような、ちょっとそわそわしているような。そんな風に感じてしまうのも、私が浮かれているからかもしれない。
向かいの冴子さんのデスクの上には白い手の平サイズのツリーが乗っかっている。
去年の冬にも見かけたことがある。
普段はクリスマスなんて興味ないみたいなクールな冴子さんも、こうしてささやかにその季節らしいものを飾っているのは可愛らしい。去年も見かけて、私はこっそりその可愛らしさにデレデレしていた。
まさか付き合うことになって、一緒に過ごせるなんて、昔の私が知ったら驚くに違いない。きっと羨ましがられるだろうな。
仕事を終えてロッカールームで帰り支度をしていると、橘先輩が私たちの元にやって来た。
「冴子と奈津ちゃん、今日はこれから予定あるよね?
「ごめん、今日はパス。奈津もパスだから」
間髪を入れずに冴子さんが返事をする。
「だよねー。分かってる。誘って悪かったわ。はぁ、やっぱクリスマスに一緒に過ごせる恋人がいるのはいいなぁ」
「橘も恋人作ったらいいじゃない」
「そんな簡単に作れたら二人を誘ったりするわけないでしょ。⋯⋯彼氏ほしいな。いや、もう彼女でもいいかな」
「橘先輩、彼女でもいいんですか?」
「どっちでもいいよ、幸せになれるならさ。冴子と奈津ちゃん見てると、恋するのに男と女じゃなきゃだめなんてことはないんだなって、つくづく思うのよね。ここ最近の冴子も奈津ちゃんもすごく満たされた充実した顔してるし。奈津ちゃんみたいな年下の彼女もいいなって自然と思えて⋯⋯」
おそらく異性愛者であろう橘先輩をそう思わせるなんて、私たちは端から見ても幸せに見えるということだろうか。実際に私は冴子さんといて幸せだけれど。
冴子さんと付き合い始めてどれくらい過ぎただろう。まだ一年もたっていない。けれど来年も、再来年も変わらずに幸せな私たちでいたい。
「ちょっと冴子、顔怖いんだけど。それ友だちを見る目じゃないんだけど」
呆れ気味に橘先輩がため息を吐いた。
確かに冴子さんは不機嫌そう。
「冴子さん、どうかしました?」
「別に、どうもしないけど」
「なーにが、どうもしないけど、なのよ。私が『奈津ちゃんみたいな年下の彼女もいいな』なんて言ったからぶんむくれてんのよ。大丈夫よ。奈津ちゃんは可愛いけど冴子から獲ったりしないから。全く、相変わらずやきもち妬きなんだから冴子は」
橘先輩の言葉に恥ずかしくなって、頬が熱くなる。冴子さんはまだツンとした顔をしてそっぽを向いていた。
「それじゃ、二人共よいクリスマスイヴを〜!」
橘先輩は去って行った。
「私たちも帰りましょうか?」
冴子さんの袖を引っ張ると、ようやくいつもの優しい表情に戻った冴子さんが頷く。
「ケーキ楽しみですね」
「そうね。忘れずに取りに行かないとね」
私たちはクリスマスのためにケーキを予約していた。お店は冴子さんが私のバースデーケーキを買ってくれたところだ。私はここのケーキが好きなので、冴子さんがわざわざ予約してくれたのだ。
「今日の夕飯もすごく美味しそうですね」
テーブルに並べられた料理に目を奪われる。冴子さんが腕によりをかけて作ってくれた。私も少しだけお手伝いはしたけれど、ほとんど冴子さんが作ってくれたものだ。
クリスマスらしくローストチキンに、私がリクエストしたクラムチャウダー。サラダなんて盛り付けがきれいすぎて、箸を入れるのを躊躇う。食卓に並んだ数々の料理に私のお腹が音を立てた。
「なんかいいですね、クリスマスにこうして一緒にご飯食べられるの。外で食べるのもいいですけど、やっぱり家でゆっくりできるのっていいなって」
「そう? 奈津が喜んでくれるなら私も嬉しい。去年はどうやって過ごしてたの?」
「去年ですか? 東京まで両親と妹が来てくれて、父の知り合いのお店でご飯食べてましたね。帰りにコンビニによって売れ残ってたショートケーキ買って。家族と一緒も楽しかったですけどね。冴子さんは?」
そう言えば去年は、冴子さんは誰と過ごすんだろう、恋人がいて今頃二人で楽しくしてるのかなと想像してた。それで勝手に落ち込んだりして。
「私? 橘とイタリアンのお店で飲んで食べてた。酔った橘に『何で今日の相手が冴子なの?』って怒られた。理不尽でしょ?」
「確かにそれは理不尽ですね」
私たちは声を立てて笑った。
他愛もない話をしながら、夕飯に舌鼓を打ち、時折テレビから流れて来るウィンターソングに耳を傾ける。
夕飯の後はもちろん、デザートのケーキ。クリスマスらしい苺がふんだんに使われたタルトを、冴子さんがきれいに切り分けてくれた。
食事が全部終わり、今度は私の出番だ。食器類の片付けは私の役目。冴子さんにいつも作ってもらっている分、片付けは私がやると決めている。
リビングからは冴子さんの鼻歌が聞こえてきた。そういえば歌っている冴子さんを見るのは初めてかもしれない。
大好きな人と同じ空間にいて、その大好きな人がくつろいでいる。
(うん、何かこういうのすごくいいな)
気づけば私も合わせて歌っていた。振り向くとソファに座った冴子さんが、ちょっとびっくりしていたけど、すぐに目元が緩んで笑ったのが分かる。
幸せというのは大それたものではなく、こうして日常の中にあるものなんだと実感する。
片付け終えた私を冴子さんが迎えてくれる。
「これ、この間評判がいいから買ってみた」
冴子さんが手にしているのはハンドクリームだった。
「水仕事お疲れ様」
私の手に冴子さんがハンドクリームを塗ってくれる。その感触が心地よい。
「ありがとうございます、冴子さん」
「手荒れてないみたいでよかった。奈津に水仕事ばかりやらせてるから心配」
「それは私の役目だからいいんですよ。冴子さんにやらされてるわけじゃないですから」
と何度も言っているのに気にしてしまう冴子さんは、やはり優しい人だ。
「冴子さん、そろそろやりましょうよ。交換。プレゼント交換!」
「嬉しそうね、奈津。しっぽが生えてたらぶんぶん振ってたかもね」
「それはそうかもしれないです」
私たちはお互いに買って来たプレゼントを手元に持って来た。冴子さんの持っている紙袋は随分と大きく見える。
「どっちが先に渡します? 同時に交換して開けます?」
「奈津はどっちがいい?」
「そう言われると悩みますけど、それじゃ、私から渡しますね。メリークリスマス冴子さん!」
私は紙袋から銀色のリボンが付いた赤い包みを取り出して渡した。
「ありがとう、奈津。開けていい?」
「もちろん。どうぞ、どうぞ」
冴子さんがリボンをしゅるしゅると引っ張ってほどくと、赤い包みを開ける。
「これ⋯⋯!」
冴子さんは私が贈った手袋とマフラーを手にした。
「もし私の見当外れだったら恥ずかしいんですけど、冴子さん手袋ほしいのかなーって。マフラーはおまけみたいなものです」
「新しい手袋欲しいなと思ってたの。奈津に気づかれてたのね。でも欲しかったから嬉しい。奈津からのプレゼントなら余計にね」
冴子さんは私を抱き寄せるとおでこにキスをする。
「喜んでもらえて私も嬉しいです。マフラーは使わなくてもいいですよ」
「どうして? せっかく奈津がくれたんだもの。使うに決まってるでしょ」
「でも冴子さんが使ってるマフラーって、けっこう使い込んでますよね。だからすごくお気に入りなのかなって」
「気に入ってると言えば気に入ってるけど。あれは姉さんが社会人になってはじめてもらったボーナスで買ってくれたのよ。それで何となくずっと使ってて。マフラーもそろそろ新しくしたいと思ってたから、丁度よかった」
「薫子さんからのプレゼントだったんですね。後で知って薫子さんから怒られないでしょうか?」
「それはない。姉さんは知らないもの。あっ、私がずっと使ってたなんて、姉さんに報告したら駄目よ」
「何でですか?」
「何でって、それは⋯⋯」
珍しく冴子さんが赤くなっている。知られるのは照れくさいのだろう。
「分かりました。それは内緒ってことですね」
「そう、うん。内緒ね。それじゃ今度は私の番ね。奈津、メリークリスマス」
冴子さんはまだちょっと恥ずかしそうなまま、私にプレゼントを渡す。
それは白い包みに赤いポインセチアの花飾りと金のリボンで飾られていた。
「ありがとうございます、冴子さんっ! すごく楽しみです」
「喜んでもらえるといいんだけど」
「冴子さんからのプレゼントなら何だって嬉しいですよ、私」
私も包みがぐちゃぐちゃにならないように、丁寧に開ける。
出てきたのは白いコートだった。
いつの日か私がデパートで見かけて、欲しくて、でもちょっと高くて見送ったコート。あれから気になりつつも、クリスマスのことで頭がいっぱいで忘れていた。
「冴子さん、このコート⋯⋯」
「奈津がまだ買ってなかったみたいだから。絶対ね、似合うと思う」
「ありがとうございますっ、冴子さんっ!!」
私はコートと一緒に冴子さんの懐に飛び込んだ。
「ちょっ、奈津!」
勢いがつきすぎてそのまま冴子さんを押し倒してしまう。
「すみません。嬉しくて」
「そこまで喜んでくれたなら、選んだかいがあった」
「はい」
私たちは抱き合って、素敵なプレゼントをもらった余韻に浸っていた。
せっかくクリスマスなので、久しぶりに二人でお風呂に入ることにした。
「冴子さん、良さげな入浴剤買っておいたんです。使ってもいいですか?」
「うん。どんな入浴剤なの?」
「ベリーミックスの香りがついてる入浴剤です。何かクリスマスっぽくないですか?」
「言われてみればそうね。ケーキも苺のタルトだったし」
私たちは裸になると、二人そろって浴室に入る。冴子さんが扉を閉めたところで、私は入浴剤の封を切って湯船に注いだ。
ピンクの粉がさらさらとお湯に溶けてゆく。お湯は徐々に色づく。
色づいたのだけれど⋯。
「冴子さん、何かこれ、すごい、ですね⋯⋯」
「随分真っ赤ね。香りも何というか⋯⋯」
「苺のかき氷のシロップみたいな香りと色ですね⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
二人して鮮烈な赤に染まった湯船を呆然と見ていた。
「失敗ですよね⋯⋯、これ」
最後の最後にやらかしてしまったようで、悲しくなってくる。
「ただの入浴剤じゃない。色とか香りは思ってたのと違うかもしれないけど、入ったら何でも一緒よ」
冴子さんは手桶でお湯をすくうと体に流しかける。真っ赤なお湯が排水口に吸い込まれてゆく。
「⋯⋯血みたいですよね。クリスマスなのに」
「奈津、気にしなくていいから。これは苺の赤よ。香りだって苺じゃない。クリスマスケーキの苺の気分になったと思えば楽しいから!」
「⋯⋯楽しいでしょうか、本当に」
「奈津落ち込まないの。私は楽しいから、ね? ほら髪と体洗ってあげるから」
私はちょっと凹みかけてたけど、冴子さんに洗ってもらっていたら、気分が浮上した。たまにはこういう失敗もあるよね。
二人並んでお湯につかる。ざばざばと流れ落ちるのは、やはり真っ赤なお湯で。
「何かかき氷の氷になった気分です」
どこかチープで懐かしい苺の香りに、私はかき氷のシロップを思い出さざるをえない。
「そうね。めったにない経験ね。いいじゃない、こういうのも」
「今、冬ですけど」
「だからいいのよ。私、赤は好きだから」
冴子さんは手でお湯をすくい上げた。
「ねぇ、奈津。来年、私たちはどうやって過ごしてると思う? どうであっても、きっと来年の今頃に思い出すと思わない? 今日のお風呂のこと。思い出が増えたんだから、最高よ」
「冴子さん⋯」
私は真っ赤なお湯の中、腕を伸ばして冴子さんの手に触れる。
きっと冴子さんがいたら、どんなことも楽しい思い出になる。
クリスマスイヴの日は苺風呂(冴子さんが命名した)に入ったせいか、翌朝も体からはほんのりあの苺シロップのような香りが漂っていた。
「冴子さん、やっぱり苺のにおいがします」
私は朝から玄関で冴子さんの首元に顔をうずめていた。
「そういう奈津こそ」
「橘先輩あたりに何か気づかれたりしないですかね」
「したらしたで、自慢してやればいいのよ。ところでそのコート、似合ってる。絶対似合うのは分かってたけど」
「ありがとうございます。冴子さんもマフラーと手袋似合ってますよ」
今日の冴子さんはベージュのトレンチコートに、私があげた黒いマフラーと手袋。この姿が悔しいくらいに似合っていて、かっこいい。
「私も我ながらけっこういけてる気がするのよね。奈津のおかげね」
と甘く微笑まれて、私はまた冴子さんに惚れ直しそうになっている。
「今晩のデートも楽しみですね」
「ええ。いっぱい楽しまなきゃね」
夜は仕事終わりに都内にある水族館に行くことになっている。あまり長居はできないだろうけど、私は昨日の夜から楽しみで仕方ない。
「そろそろ出ようか」
「はい!」
こうしてクリスマスも冴子さんと幸せな時間を過ごしている。明日も明後日もきっと。
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