第31話 聞けない悩み

 パソコンで調べものをしていたら、掃除を終えた奈津なつがリビングにやって来た。


 こちらに近づいて声をかけられたので咄嗟にパソコンを閉じてしまった。


 これでは怪しすぎる。


 奈津は相変わらずどこか浮かない顔をしている。ここ最近、ずっとこんな表情だ。


 何か悩みがあるなら聞いて、私でできることなら協力したい。でも何も話す様子がないので、私は敢えて言わずにいた。


 奈津がアイスコーヒーを淹れてくれたので、私は受け取り、冷たい液体を喉に流し込んだ。


 いつもなら私の隣りに座る奈津だが、何故か今日はテーブルの向かいに腰を落ち着けた。お気に入りのビーズクッションに沈んでいる。


 やっぱり、何か悩んでいてそれを私には悟られたくないのかもしれない。


 喧嘩したわけでもないのに距離を取るというのはそういうことだろう。


 正直、この状況はもどかしい。


 だが恋人同士だから、何でもかんでも打ち明けてオープンするのがいいか悪いか分からない。


 無意識なのか眉間に皺をよせてコーヒーを飲んでいる奈津に私は耐えきれなかった。


「奈津、こっちおいで」


 顔を上げて一瞬戸惑った憂いを見せた奈津は素直に私の隣りにやって来た。


「ねぇ、奈津。何か悩み事でもある?」


「⋯⋯どうして、ですか?」


「何となく。そうなんじゃないかなって思っただけ」


「特にはないですよ。あ〜でも、強いて言えば、妹が冴子さえこさんに会いたがってることですかね」


「妹さんが、私に?」


「そうなんです。『お姉ちゃんの彼女に会ってみたい』って」


「彼女がいるってことは話してるのね」


「そうですね。女の人が好き、なんて両親にはまだ打ち明けられてなくて。家族では唯一妹の日奈ひなにだけ話してるんです」


 同性が好きということは家族だからと言って気軽に話せない気持ちは私も分かる。私だって打ち明けているのは姉だけだ。


「私も奈津の妹さんに会ってみたいけどな。何か問題あるの?」


「うーん、日奈は私が言うのもあれなんですけど、かなりのお姉ちゃんっ子なんですよ。年が離れてるのもあって」


「妹さんは、いくつなの?」


「十七歳です。まだ高校生なんです」


「八つも離れてるんだ」


 お姉ちゃん然として話す奈津はどこか誇らしそうでもあり、家族への愛を滲ませている。それだけ年も離れていたら妹さんのことが可愛くて仕方ないのだろう。


「私が冴子さんの話すると、たまに拗ねるんですよ、日奈は」


「なるほどねぇ。それで会いたいって言ってるけど会わせずらくて悩んでるわけ」


「そうなんです」


 奈津はうんうんと頷きながらコーヒーを飲む。その横顔を見ていると、確かにそれで悩んではいるのだろうが、本気で奈津を悩ましているかは疑わしい。


 奈津の憂いはもっと別のところにある気がした。だが、私が聞いても話さないのだから言いにくいことなのかもしれない。


 奈津は穏やかそうな見た目に反して意外と頑固な部分がある。私は奈津のそういう所も好きではあるが、無理に聞き出すのはやめておこう。


「奈津とはこの先も長い付き合いになりそうだし、一度くらいは奈津の家族に会ってみたい」


「私も冴子さんのお姉さん、薫子さんに初めて会った時はすごく緊張しましたけど、後で会ってよかったなって思ったんですよね」


 奈津は持っていたコーヒーをテーブルに置くと、ころんと横になり、私の膝の上に頭を乗せた。私の腿に手を置いて目を閉じる。


「奈津は姉さんとすっかり仲良しだものね」


 おそらく私よりもメールや電話でやり取りしているのではないだろうか。姉さんも姉さんで奈津のことはかなり気に入っている。


 私は奈津の柔らかな髪を梳きながら、妹さんに会った時のことを想像してみる。


 姉さんが奈津を受け入れたように、私も受け入れてもらえるだろうか。少し不安はあるが、奈津の妹なら大丈夫なのではないかと、妙な自信もある。


「そうだ、冴子さん日奈の顔知りませんよね」


「うん」


「ちょっと待ってくださいね」


 奈津は起き上がるとスマホを取りに行き、戻って来るとまたさっきと同じように横になる。


「日奈は遊びに行くと友だちと撮った写真を送ってくれるんです。⋯⋯⋯これが見やすいかな。どれが日奈か分かりますか?」


 奈津はスマホの画面を私に向けてくれる。


 そこには四人の女の子が写っていた。


 有名なアミューズメントパークで撮った写真なのだろう。みんな黒い動物の耳を模したカチューシャをしている。


 私は左端にいる少し勝ち気そうな女の子を指した。 


「この子でしょ?」


「やっぱ、分かります? その子が日奈です」


 雰囲気は違うが奈津ととてもよく似た顔立ちをしている。


「似てるね」


「よく言われます。冴子さんと日奈が会ったらどうなるんだろう。何だか想像つかないですけど」


「仲良くなれたらいいんだけど」


「そうですね。でもあんまり仲良くなったら、ちょっと妬きますけどね」


「また余計な心配して」


 奈津は眠いのか、しばらくするとうとうとしだしたので、彼女が眠りに落ちるまで静かにしていた。


 奈津が私に身を預けて無防備になっているのを見ると、無性に愛おしさがこみ上げてくる。 


 可愛い寝顔を見ながら、私も眠りに誘われてしまった。

 

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