第19話 猫に嫉妬する



 1

 冴子さえこさんはとにかく猫が好きだ。

 子供の頃に猫を飼っていて、それでかなりの猫好きになったらしい。今はお姉さんが猫を飼っており、写真を送ってもらってパソコンの壁紙にしている。


 部屋のカレンダーも猫の写真だし、愛用のマグカップには猫が描かれているし、ブランケットも猫の柄。


 仕事が終わり、日もすっかり落ちて暗くなっている中、冴子さんは会社のすぐ近くにある公園に入っていく。


 猫を見つけたらしい。冴子さんは猫を見つけると寄っていく習性があるのだ。


奈津なつ、見てこの子。すごく人懐っこい」

 冴子さんの足に甘えるようにまとわりつく、黒い猫。頭を擦りつけて、にゃあんと可愛らしい声を上げる。


「首輪つけてないけど野良猫かな?」


 その場にしゃがんだ冴子さんは、黒猫の艷やかなビロードのような背中を撫でた。人に慣れているのか触れられても逃げる素振りがない。


「可愛いね〜」


 普段、クールの塊みたいな冴子さんを一瞬でデレさすことができるのは、この世において猫だけだ。


 冴子さんの凛とした瞳も今はまなじりが下がって、とても柔和な笑顔になっている。 

 

「どこから来たの?」


 猫を抱き上げて、近くのベンチに座った冴子さんは膝に乗せた猫にメロメロになっている。


「迷子じゃないよね?」


 私に聞かれても分からない。


「野良猫じゃないですか。誰かが餌をあげていたのかもしれませんね」


 自分でもちょっと冷たいかな、と思うような返事をしてしまった。


 正直、猫に嫉妬する。

 

 

 2

 私はとにかく猫が好きだ。 


 子供の頃に実家で猫を飼っていた。いつも一緒にいて、私にとっては妹みたいな存在だった。残念ながらその子はもう亡くなってしまったけれど、姉がハチワレの仔猫を飼い始めた。姉に頼んで写真を送ってもらっているが、これがえらく可愛くて私の癒やしになっている。


 猫を見かけると自然と近寄ってしまう。これは本能のようなものだ。


 会社近くの公園に猫がいるのを見つけてしまった。真っ黒な猫で、目が合った途端に足は勝手に猫へと向かっている。


 近くに行くと猫は待っていたといわんばかりに、私の足へと頭をすりつけ甘えるようにを声をあげた。


「奈津、見てこの子。すごく人懐っこい」


 後ろにいる奈津へ振り向くと、少し拗ねたような顔した奈津と目が合う。が、すぐに逸らされた。


 奈津は私が猫にデレデレしているのを嫌がる。何も言いはしないが、猫を構っていると拗ねるのだ。


 猫は可愛い。文句のつけようもないくらいに。だけど、それ以上に猫に嫉妬している奈津は可愛い。


 私が猫に話しかけていると、横で笑顔を浮かべた奈津が目に入る。でもすぐに眉間にしわがよる。奈津なりに笑顔になろうとして失敗している。多分、本人はそんな状態になっていることには気づいてないだろう。


「迷子じゃないよね?」


 あえて奈津に話を振ってみたが、


「野良猫じゃないですか。誰かが餌をあげていたのかもしれませんね」


 事務的な口調で返された。


 私の彼女は猫に嫉妬する。

 

 


 3

 冴子さんと猫がじゃれているのは微笑ましいとは思うけれど、何だかよその女性といちゃつかれているような気になってくる。


 心が狭いと言われたら、何も言い返せない。その通りだ。冴子さんは私にだってしょっちゅうデレてはくれないのに、猫には瞬時にデレる。


 冴子さんはいつだって優しいし、構ってくれるし、何の不満もない。しかしそれと猫に嫉妬するしないは別の話だ。


 私だって一回くらい猫になれるならなってみたい。甘々な声の冴子さんに優しい言葉をかけられて、とろけそうな笑顔で見つめられたい。彼女なんだから、それくらい望んだっていいはずだ。


 そんな冴子さんを見たことないわけではないが、毎日常にというわけではない。


 私はきっと、冴子さんを独り占めしたい。猫にだって犬にだって、ハムスターにだって取られたくない。


 いよいよ猫は冴子さんの膝で丸くなりだした。この猫を避けて帰れるほど、冴子さんは冷たくない。


「本当、可愛いね」


 冴子さんは更に嬉しそうになる。


(笑顔、笑顔)  


 私はなるべく嫉妬してるなんてバレないように笑顔を貼り付けて、冴子さんの隣りに座った。


 私も猫が嫌いというわけではない。可愛いと思う。冴子さんが絡まなければ。


 もし私が一人でこの猫に遭遇していたら、冴子さんほどではなくても猫の可愛さに夢中になっていたと思う。


 でも今はだめだ。冴子さんは私の彼女なのだから、この猫ちゃんは早く私に冴子さんを返さないといけない。


 猫に嫉妬する。

 

 


 4 

 膝の上に黒猫を乗せたら、気に入ってくれたのか体を丸めてくつろぎ始めた。実家にいた猫や姉の猫を思い出す。やはり猫は可愛い。


 傍らに立つ奈津は、相変わらず眉間にしわがよった笑顔で猫を見つめていた。怒りたいのか笑いたいのかよく分からない、実に複雑な様相になっている。


 こんな可愛い態度をされて、私は思わずにやにやしてしまった。なるべく、だらしない姿を奈津に見せないように努めてきたが限界だ。可愛い。


「本当、可愛いね」


 私は黒猫に話しかけることで誤魔化した。猫だって可愛いが、私の彼女だって負けないくらいに、それ以上に可愛い。


 私の隣りに腰を下ろした奈津は、じっと私の横顔を見つめている。ちらりと目線をやれば、放っておかれた子供みたいな顔をしていた。


 腕を伸ばして抱き寄せようとしたら、それを邪魔するかのように、キーッと鋭い音で意識が通りに向かう。


 自転車の急ブレーキ音だった。


 それにびっくりしたのか、丸まっていた猫が風のように逃げ去ってしまった。


 唖然として奈津と顔を見合わせる。


「帰ろうか」


「はい」


 奈津は安堵したように笑った。眉間にしわはない。


 いつも穏やかな奈津にあんな表情をさせるのだから、猫というのはやはりあなどれない。


 私まで猫に嫉妬する。

 

   

 

  

 

 

  

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