第18話 奈津と私の酔った夜
「
私はいつも降りる駅では降りずに、電車の中からホームにいる奈津へ手を振った。
発車すると奈津はこちらに背を向けて去って行く。その背中が明らかに寂しそうで、追いかけて後ろから抱きしめたくなった。そんな私の心情を置き去るようにホームは景色の彼方へと飛んで行った。
今から私は高校時代の友人たちとプチ同窓会、もとい飲み会に参加するため待ち合わせ場所の東京駅へと向かう。
仕事が終わればいつもは奈津と我が家へ帰るのだが、久しぶりに別行動となった。
恋人同士、ましてや同棲しているのだから四六時中一緒にいる必要もないのかもしれないが、私と奈津は大概は同じ時間を過ごす。
それに慣れきってしまったせいか、一人で電車に乗っていることに違和感を抱く。
側にいつもあるぬくもりが足りない。
依存しすぎというのは良くない。奈津もたまには私なしで過ごしたいこともあるだろう。取り敢えず今夜は飲み会を楽しむことにする。
待ち合わせ場所で同級生たちに再会した私は、幹事に連れられるままお店に向かった。席について一息つくと、カバンの中からチャットアプリの通知音が立て続けに鳴る。
相手はおそらく
橘は大学時代のバイト仲間で、今は何の縁があってか同じ会社の同僚になっている。奈津も橘には懐いていて、今日は私がいないから一緒に飲むのだと言っていた。
橘は私と奈津が付き合っているのも知っているので、からかうために絡んで来ることが度々ある。
どうせアプリに奈津と飲んでいることを逐一報告しているのだろう。それで私がやきもきすると思っている。実際、ほんの少し、少しだけやきもきはしている。
橘と奈津がどうにかなるなんて微塵も思っていないし、橘は人の物に手を出すような人間ではない。そもそも橘の恋愛対象は男なのだから心配の必要はない。
しかし分かっていても、私の知らない奈津を今独占しているのかと思うと羨ましさはある。そんな私の性格などとっくの昔に橘は把握しているので、わざと見せつけるためにアプリにメッセージを送りつけて来るのだから、いじわるな奴だ。
私はどんなメッセージが送られて来ているのか確認したい気持ちを振り捨てて、飲み会に意識へ向けた。
飲み会は二十一時前には終わり、私は電車に揺られながら家へと向かう。
スマホを取り出してチャットアプリを開く。奈津からの通知は一つもない。あの娘の性格からして、私の邪魔をすまいと送って来ないのは分かる。
橘からやたらに送られて来た通知を確認する。
『冴子元気? 楽しくやってる?』
『私は奈津ちゃんと一緒でーす! いえーい!!』
『あんたの家、もとい愛の巣でお酒飲んでる』
お酒の缶で乾杯している写真が送られてきていた。
『奈津ちゃんご機嫌でーす』
奈津がにこにこしてお酒の缶を持っている写真。
『冴子の悪口で盛り上がってるよ』
『うそうそ。惚気だよ』
『奈津ちゃんは冴子が大好きだそうでーす』
一体どんな話をしたのやら、気になって橘の首根っこを捕まえて洗いざらい吐き出させてやりたくなる衝動に駆られる。
奈津がおつまみを食べたり、お酒を飲む横顔だったり、様々な写真が送られて来ていた。
『奈津ちゃん寝ちゃった』
最後の写真は絨毯の上で毛布をかけられて丸まっている奈津だった。
元々あまりお酒は強くないし、飲みすぎて眠くなってしまったのは想像に難くない。
『というわけで私は帰るね』
『奈津ちゃんの鍵借りて施錠しておいたから。鍵はドアポストに入れたから帰ったら回収しておいてね』
投稿時間を見ると、奈津と橘も私と同じくらいの時間にお開きになったようである。
家に着いてドアポストを確認すると、メッセージにあったように鍵が入っていた。
居間のテーブルには飲んだ痕跡もなく、きれいに片付けられている。橘はこういうところは律儀な女だ。奈津の代わりにちゃんと片付けてくれたのだろう。
奈津は写真と変わらず、毛布にくるまって寝息を立てていた。ベッドに運ぶために起こさなくてはならない。私は奈津の側に腰を下ろす。柔らかな頬に触れてみるが、起きる様子はなかった。
せっかく気持ちよく寝ているのに起こすのは忍びない。だがここに寝かせておくのも良くない。
起こさなければならない私と、寝かせておきたい私が喧嘩する。前者が勝つのは明白なので、私は奈津の体を揺すった。
「起きて、奈津」
「ん〜〜」
奈津は眠そうに目をこすりながら私を見上げる。
そんな無意識にやってそうな仕草が可愛い。
「冴子さん⋯⋯」
「ただいま」
「⋯⋯おかえりなさい」
ゆっくりと起き上がった奈津は私の腕の中に飛び込んで来る。
「冴子さん、私を置いて飲み会行きましたね」
完全に拗ねた口調で、私の手を掴むとぎゅっと握りしめてきた。
「さっきは送り出してくれたじゃない」
「私は冴子さんと一緒にいたいのに」
「ほら、今は一緒にいるでしょ?」
私は奈津の髪を優しく梳いた。
「う〜〜」
私が飲み会に行ったのが不満だったようだ。多分シラフならそんなことを微塵も出さずに出迎えてくれたのだろう。
お酒を飲んで駄々っ子になってしまった。
(これはこれで可愛いからいいけど)
「ごめんね、奈津。もう一人にしないから許してくれる?」
「嫌です」
「嫌なの? どうしたらいい?」
何だか子供をあやしている気分だ。
「チョコ買って来たんですよ」
酔っているせいか話が飛ぶ。
奈津は近くに置いてあった自分のカバンを引っ張ると、中に手を突っ込んだ。
「ほら見てください。冴子さんが好きなチョコですよ」
それは私がたまにご褒美と称して買っている、某高級チョコレートの詰め合わせだった。一粒から買えるもので、秤売りしている。いくつものフレーバーがあり、私が好きな味だけを詰め込んであった。
「わざわざ買って来てくれたの?」
「冴子さんにプレゼントするために、お見送りした後に買いに行ったんです。冴子さんの笑顔が見たくて。チョコですよ。チョコ。冴子さんが好きなチョコレート!」
自慢げに私の顔を覗き込む。
「うん、嬉しい。ありがとう奈津」
それで満足したのが、奈津はうんうんと頷く。
「冴子さん、私とチョコレートどっちが好きですか?」
「そんなの奈津に決まってるでしょ」
チョコレートと答えたらどんな顔をするのか見たかったが、また拗ねさせても可哀想なので素直になっておく。
「やったぁ、チョコレートに勝ちました!」
無邪気な笑顔を私に向ける。
子供みたいになってる奈津がとても可愛い。いや、可愛すぎる。お酒の力でより凶悪になってしまった。可愛さが。
「冴子さんは私のこと一番好きですか? 私は冴子さんが一番です。この世にあるすべての中で一番です」
奈津はそう言うとこちらの返事も待つことなく、甘えるように私の体に顔をうずめている。たまらなく可愛い生き物を私は抱きしめた。
今まで私が交際してきた相手は女も男も年上だった。年上だからこそ、たまに弱った姿や甘える姿を見せられるのが無性に好きだった。
奈津はと言えば、年下のせいかお酒があろうがなかろうがよく甘えてくれる。これがまた悪くない。
頼ってくれて、甘えられて、でも何でもかんでもそうするわけではなく、適度に的確に甘えてくる。それがまた庇護欲をそそるので、手放したくないと私も愛おしさが募る。
「冴子さん⋯⋯、眠い」
「じゃあ、今日はもう寝ようか」
「はい。今日は冴子さんがちょっと足りなかったので、寝る時は手を繋いでくださいね」
「いいよ」
「良かった」
安堵したのか、また夢の中へ行ってしまいそうな奈津を寝室へと連れて行く。
今日は大分酔っているから、きっと明日の朝には覚えてないかもしれない。少しだけ寂しいが、仕方ない。
私は奈津を着替えさせて、ベッドへ寝かせた。すぐに気持ち良さそうな寝息が聞こえてきた。
「おやすみ、奈津」
私の愛しい人。
翌朝、台所で朝食の支度をしていると奈津がやって来た。
「おはようございます、冴子さん」
「奈津、おはよう」
振り返るとどことなく気まずそうな奈津と目が合う。
「ねぇ、奈津。昨日の夜のこと覚えてる?」
「えっ、き、昨日ですか? えーっと⋯⋯、酔ってたので⋯⋯、よく覚えてない⋯⋯、です」
奈津は顔を真っ赤にして目を逸した。
覚えていたようだ。だが、あえて知らない振りをしておこう。
「そう。昨日かなり酔ってたみたいだしね」
「久しぶりに飲みすぎちゃいました⋯⋯」
「楽しく酔う分にはいいんじゃない。私は全然構わないけど」
「そっ、そうですね。顔洗ってきますね」
逃げるように洗面所に行ってしまった。
奈津はシラフでも甘えてはくれるが、案外自制しているのかもしれない。
いつかはお酒なしでもあれくらい素直全開で甘えてくれるといいのだが、それは少しずつ時間と関係を深めていくことで解決しよう。
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