第17話 あったまる方法

 


 十一月も下旬となれば風も空気も冷たく、ぬくもりが恋しい季節となる。


 会社を出ると、すでに日が落ち暗くなった外は容赦なく冬の空気を叩きつけて来た。


 私は朝、玄関にマフラーを置いてきてしまったせいで首元が寒々しい。取りに戻らなかったことを少し後悔した。


 前を歩く冴子さえこさんの後ろにぴったり付いて行く。


奈津なつ、私を風除けにしてるでしょ」


「ごめんなさ〜い。だって寒くて」


 振り返った冴子さんは改めて惚れ直してしまうくらいに格好良かった。自身の抜群のスタイルを誇示するかのような、身体に合った黒いパンツスーツに、ベージュ色のトレンチコートを羽織っている。


 この姿が惚れ惚れするくらい様になっていた。


「何、奈津。黙り込んで」


「いえ、何でもないですよ。今日は本当に寒いなぁって」


 見惚れていたことは秘密にしておこう。


「マフラー使う?」


 冴子さんは首に巻いていたマフラーを外しにかかる。


「いいです、いいです。冴子さんだって寒いでしょう」


「別にいいよ。奈津よりは寒いの平気だし」


 冴子さんは私の首元にさっきまで身につけていたマフラーをふわりと巻いてくれる。まだ冴子さんのぬくもりが残っていてとても温かい。よく知ってる冴子さんのいい香りもする。


「ありがとうございます。そう言えば冴子さんって雪国の出身ですよね。誕生日も二月だし、寒い方が得意ですか? 暑いのより」


「そうね。暑いよりは寒い方がいいかも」


 今度は並んで駅に向かって歩いていく。


 すぐ隣りにいるせいで歩くと時折手が触れ合う。


(私たちが中高生なら手を繋いで帰れるのに)


 そう思うと少しだけ寂しかった。


 駅につくと帰宅時間ということもあり、会社帰りの人や学生たちでひしめき合っている。ホームで列に並ぶ。ここでも冷たい秋風は容赦なく吹いている。


「寒い〜。冴子さん、夜は何か温まるもの食べませんか?」


 私は振り返って冴子さんの顔を見上げる。


「いいけど、何か食べたいものある?」


「うーん、そうですね⋯。シチューがいいです。ビーフシチューかクリームシチュー!」


「いいよ。シチュー作ろうか」


「はい! お願いします。冴子さんはどっちが食べたいですか?」


「私? ビーフシチューがいいかも」


「夕飯はビーフシチューで!」


「分かった」


 そんな会話をしていたら電車が到着したので乗り込む。次々と乗り込んで来る人に押されて奥に流されそうになったところで、冴子さんに力強く引っ張られた。すし詰め状態の車内では必然的に密着することになる。


 帰りも行きも満員電車に揺られているので基本的に毎日こんな状態になるけれど、私はこれを密かな楽しみにしていた。


 大好きな人と人前で堂々とくっつける数少ないチャンスだから。


 冴子さんの柔らかい胸が身体に押し付けられる。この柔くて包容力を感じさせる身体を独り占めできるのだから、私はなかなか贅沢かもしれない。 


 時々私は冴子さんがいかに優しくて素敵な彼女であるかを誰彼構わず自慢したくなってしまう。こんなにも素晴らしい人が私の彼女なのだと、羨ましいだろうと言いふらしたい。


 冴子さんのぬくもりを堪能していたらあっという間に降車駅に着いてしまった。名残りおしさを感じつつ、他の人たちと一緒にホームへ吐き出される。


「冴子さん、喉乾いたのでお茶買って来ます」


 私は近くの自販機に向かう。何にするか迷ってホットの緑茶を選んで買った。蓋を開けると緑茶の清々しい香りが鼻孔をかすめる。一口飲んで喉を潤した。


「冴子さんも何か飲みますか?」


「私はいいよ。それ一口ちょうだい」


 と言われたので私はお茶を差し出した。


 冴子さんはちょっと飲むとすぐに私に返す。私は再びお茶に口をつけながら


(これって間接キス⋯⋯)


 であることに気づいた。途端に恥ずかしくなる。


(もう、何なの私。中学生じゃあるまいし)


 冴子さんとは毎日のようにキスしているし、数え切れないくらい肌も重ねた。今更間接キスごときで恥ずかしくなるような関係ではない。ないはずなのに、気づいたら恥ずかしくなっている。脳裏にお茶を飲んだ時の冴子さんの艷やかな唇が鮮明に浮かぶ。


「奈津、顔赤いけど大丈夫? 風邪引いてないよね?」


 冴子さんはさっと私のおでこに手を伸ばす。そして首筋に触れる。


「ちょっと熱いかな」


「そっ、外が寒いせいですよ! 熱はないから大丈夫です!」


 付き合って五ヶ月過ぎても、まだ冴子さんにどきどきする瞬間がある。むしろどきどきしなくなる瞬間など訪れるのだろうか。


 逆に冴子さんはどうなのだろうと気になる。いつ見ても私よりずっと大人で落ち着いていて余裕がある。


(冴子さんも私にどきどきしたりすることあるのかな)


「奈津、ぼうっとしたりして本当に大丈夫なの?」


「大丈夫ですよ! 大丈夫です。どちらかと言えば風邪じゃなくて冴子さんのせいですからね!」


 何となく理不尽な気持ちになって責任を冴子さんに押し付けておくことにした。


「私のせい???」


 ちっとも分かってなさそうな冴子さんを残して私はホームの階段へ向かう。


「奈津?」


「早くスーパー行って買い物済ましましょう」


 きっと私は一年後も二年後もこの人にどきどきしたりときめいているに違いない。悔しいけど、私は冴子さんには敵わない。




 

 帰宅後、冴子さんは夕飯の支度に取りかかり、私はお風呂の準備と洗濯物を畳むのに勤しんだ。


「冴子さん、お風呂湧きましたけどどうしますか? 入ってからご飯食べますか?」


 お風呂も夕飯も支度は整った。いつでも入浴できるしいつでも箸を取れる。


「どうしよっか。先にお風呂にしちゃう?」


「そうですね。冴子さん先に入って来てください」


 私はさっき畳んだばかりのバスタオルとタオルを用意する。


「奈津も入るでしょ」


 冴子さんに腕を掴まれた。


「一緒にですか?」


「私、待ちたくないんだけど?」


 有無を言わさぬ強い瞳で見つめられて、私は断るすべがなかった。 


「じゃあ、一緒に」 


 初めて一緒に入るわけではないし、たまにはこんな日があってもいい。


 私たちは久しぶりに二人でお風呂に入ることになった。髪も顔も身体も洗い終えて、けして広いとは言い難い湯船に冴子さんとつかる。


 少し熱めのお湯が全身を包んでとても心地が良かった。


「お風呂に入ると生き返りますね〜」


「寒いと特にね」


 入浴剤でオレンジ色になったお湯からは爽やかな芳香がする。冴子さんがお気に入りのやつだ。


「奈津、ちょっとあっち向いて」


 向かい合って入っていたのだが、冴子さんに促されて私は彼女に背を向けた。


「どうしたんですか?」


「ん〜別に」


 と言いながら冴子さんに後ろから抱きすくめられた。お湯の中で肌と肌が触れ合う。


「こっちの方が居心地がいい」


 冴子さんに耳元で囁かれる。吐息が耳に触れて背中がぞくぞくした。


(これは反則! 冴子さんってこういうところがあざとい。好きだけど)


 私は冴子さんの腕を抱き寄せた。一つ一つが、全てが愛おしく感じる。冴子さんの心も、身体も、全てが。


(今冴子さんはどんな気持ちなんだろう?)


 私は身体を反転させて、冴子さんの胸に自分の頭を押し付けた。今まで触れていた腕が私の背中に伸びて優しく触れる。私は耳を心臓のあるあたりにずらした。少し忙しない鼓動が聞こえてくる。


「冴子さん、ちょっとどきどきしてますか?」


「そう? 自分ではよく分かんない」


「手貸してください」


「手?」


 冴子さんは私の目の前に白く長い指の手を出したので、私は手首を掴んだ。


「何?」


 脈を探り捉える。やはり普通よりは速く動いているように感じる。


「やっぱりどきどきしてますね。熱いからですか?」


「⋯⋯それ以外にある?」


「私にどきどきしてたりしません?」


 何故か今日はこんな恥ずかしいこともしれっと口をついて出る。私もちょっと興奮しているのかもしれない。


「何でよ。今になって」


 冴子さんはそっぽを向く。ほんのり顔が朱に色づく。私はそれだけで満足だった。


「冴子さんも私にどきどきしてくれてますか?」


「⋯⋯! も、もう、何なの! ほら出るよ。ご飯食べるよ!!」


 顔を真っ赤にして怒ったように言うと冴子さんはざばっと湯船から立ち上がる。そしてそのまま脱衣所に出てしまった。


「冴子さん待ってください」


 私も後に続く。


 体を拭く冴子さんの隣りで私も自分の体を拭こうとしたら、バスタオルを取り上げられる。そしてそのまま頭の上からかけられた。がしがしと髪を拭かれる。


「さ、冴子さんっ」


「拭いてあげてるんだから黙ってて」


「冴子さん、照れてます? 照れなくてもいいんですよ」


「だ、まっ、て、て!」


『冴子って照れ屋だから。素直じゃないから素直に照れてはくれないけどね』


 いつだったか橘先輩が言っていたことを思い出す。


 気づけば全身丁寧に拭かれてしまった。


 私は裸のまま冴子さんに飛びつく。


「ちょっと、奈津」


「冴子さん、私も冴子さんに未だにどきどきしたりすることあるんですよ。けっこうあります。だから冴子さんも同じなのかなって思ったら嬉しくて」


「そ、そう⋯⋯。ほら、早く着替えて」


 下着とパジャマを手渡される。でも顔は赤い。


「冴子さん大好きです!」


「わ、分かったから。風邪引きたくないでしょ。ちゃんと着て。もう今日の奈津は何なの。酔っ払ってるの?」


「シラフですよ」


 私は冴子さんも私を好きでいてくれることが嬉しすぎて、顔がにやけそうになる。 


「今日はすごく、すごく気分がいいんです。それだけです」


「ま、機嫌がいいんなら良かったね」


「はい!」


 これからも出来ることなら冴子さんのぬくもりに触れていたい。そんなことを改めて強く感じた夜だった。           

   

              

                       

  

                

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