第16話 遊園地にて
「遊園地の割引券貰ったんだけど、よかったらみんなで一緒に行かない?」
先週、
だいたい出かけるとなると冴子さんと二人なので、他の人も交えて遊びに行くのは随分と久しぶりな気がする。
風は少し冷たいけれど、秋らしい澄んだ空が広がる行楽日和の土曜日。
私は冴子さんが運転する車に乗り、橘先輩が住むマンションへと来た。
外で待っていた橘先輩が手を振っている。
しかし冴子さんはそのまま通り過ぎた。
「冴子さんっ!?」
「ごめん、何かスルーしたくなって」
真顔で言うので本気なのか冗談なのかいまいち判別できない。たまに冴子さんは橘先輩にいじわるになる。橘先輩とは私よりも付き合いが長く、お互いが言うには腐れ縁らしい。ケンカなのかおふざけなのかよく分からないやり取りもしょっちゅうだ。
冴子さんはゆっくり車をバックさせると、橘先輩の前で停止した。
「お待たせ」
車の窓を開け、通過したことなどなかったかのように冴子さんは声をかける。
「ちょっと冴子、私のこと無視しようとしたよね」
「橘うざいから体が停まるのを拒否した」
「ひどーい。ごめんね〜、
「別に。さっさと乗ってよ」
「あ〜拗ねてる。冴子拗ねてるよね」
「奈津、橘置いて行こうか」
「分かった、ごめん冴子。乗せて。乗せてください」
慌てて橘先輩が後ろの席に乗り込んだ。
「冴子の車に乗るの何年ぶりだろう」
「いつ以来なんですか?」
私は助手席から振り返って聞いてみた。
「二年前に紅葉見に行った以来かな。急に遊びに行きたくなって冴子誘って出かけたの」
「そんなことあったね」
冴子さんはどことなく懐かしそうな目をしながら車を発進させた。
開けたままの窓から爽やかな秋風が吹き抜けてゆく。
「大学時代はよく遊んだよね。二人で泊まりに行ったりとか」
「そうね」
「冴子さんと橘先輩って本当に仲いいですよね」
「めちゃくちゃ仲良かったよ。今よりずっと。ね、冴子」
「ただの腐れ縁でしょ」
と冴子さんはにべもない。眉間に皺をよせて居心地が悪そうにしている。これは照れている時の冴子さんだ。昔話は気恥ずかしいのだろうか。本心では腐れ縁だなんて思ってないに違いない。冴子さんの素直じゃないところが可愛い。
「あの頃は楽しかったよね。私たちうっかり間違い起こしそうになって、いい雰囲気になったことあったよね」
橘先輩の何気なく話す内容にどきりとする。この二人は親友なんだとずっと思っていたけれど、恋愛に発展しそうなこともあったとは。初耳だった。
「そんな夜もあったっけ」
冴子さんもしみじみと応じる。
「私と冴子が付き合ってたら、今頃助手席に座ってたのは私かもね」
私は二人の顔を行ったり来たりする。冴子さんと橘先輩は仲がいい。ケンカ友だちに見えるくらい、時にはお互いの悪口を言ったりもする。端から見ていてそれはあくまでじゃれているだけだと分かった。固い信頼があるからこそできる、二人のやり取り。
二人の間に恋愛感情があったとしても、不思議ではない。
私では冴子さんと橘先輩の間には立ち入れない絆を感じることがあった。
心の中に嫉妬と不安が混ざりあったもやもやが膨らんでいく。
冴子さんのことはもちろん大好きだし、橘先輩だって大好きだ。
「⋯⋯⋯⋯⋯」
自分のこの感情をどうしていいのか分からない。
もし、二人にまた恋愛感情が芽生えたら⋯⋯。そう思うと胸が締め付けられて泣きそうになった。でも今日は楽しく遊びに行くのだから、こんな気持ちは捨てなければ。⋯⋯捨てなければ。
「奈津ちゃん、泣いちゃいそうだけど大丈夫?」
「な、何がですか? 全っ然大丈夫ですよ?」
と言ったものの声が上擦ってしまった。
「奈津、嘘だから。う、そ。冗談」
冴子さんが困ったように笑みを浮かべる。後ろを振り返ると橘先輩も同じような顔をしていた。
「冴子の言うとおり嘘。嘘だからそんな顔しないで。ごめん。ごめん。ちょっと奈津ちゃんからかってみただけ。冴子も真面目にのるからどうしようかと思った」
「う、嘘だったんですか?」
不安が晴れそうで、だけどこの絆が深い二人ならあながち嘘ではないような気もして、いまいちもやもやがなくならない。
「あの⋯、冴子さんと橘先輩が仮にそういう感情が過去にあっても大丈夫というか、気にしないので本当の事を言ってください!」
絶対気にしてしまうけど、隠されるよりはマシな気がする。
「いや、ないから。嘘! 正真正銘の冗談だから。奈津ちゃん本当にごめん。冴子とはただの腐れ縁。元バイト仲間ってだけだから。そもそも冴子は私みたいな女タイプじゃないし。だよね、冴子?」
「うん。私も変に悪ノリしちゃってごめん、奈津。橘とは何でもないから。橘なんてうざすぎて恋愛対象にならないし、間違いなんて微塵も起こる相手じゃない。橘と付き合うくらいならその辺の野良猫と恋に落ちる確率の方が高い」
「冴子、その言い方ひどいくない? 私猫より下?」
「事実なんだから仕方ないじゃない。猫に比べたら全く可愛くないし」
「本当、容赦ないんだから冴子は。ちょっとは私のことも立ててよ」
「嫌」
いつも二人の会話だ。
本当にからかわれていただけみたいで、もやもやが少しずつ消えていく。
「奈津ちゃん、冴子とは付き合い長いけど私たち知っての通りいつもこんな。私の恋愛対象が女性だったとしても、冴子とは恋仲になんてならなかったと思う」
それはどうだろうか、とも思ったけれど私にも仲のいい友人はいる。好きな気持ちはあっても恋愛感情が芽生えるかと言ったら多分ない。
「冴子さんも橘先輩のことも大好きだから、冗談じゃなかったら困りました」
私は改めて冴子さんは特別なのだと実感した。『好き』という気持ちはいつか飽和するのかもしれない。だけど私の冴子さんへの『好き』はまだまだ大きくなりそうだった。
車内が落ち着いたところで、車はコンビニに入って停車する。横に停まっていた白い車から一人の女性が降りた。
今日一緒に遊園地へ行く
ここで合流する約束になっていた。
「貴ちゃんたち待たせてごめんね〜」
車を降りた橘先輩が話しかける。
「私たちもさっき来たところですから」
他にも私の同期である
今日はこの六人で遊園地へ行く。
「私貴ちゃんの車に乗りたいんだけどいい? 冴子の運転下手くそで」
橘先輩は冴子さんに向かって盛大にため息をついた。
「下手くそで悪かったね」
知らない人が見たら冴子さんと橘先輩はとても険悪に見えるかもしれない。だけど私たちからしたらいつものことなので、誰も気に留めていない。
多分、橘先輩は私たちに気を遣ってくれたのだろう。
四人と二人に別れて車は再び遊園地へ向かうために走り出した。ここからだと三十分ほどで着くらしい。
「橘先輩、さっきのこと気にしてるんでしょうか?」
「かもね。橘の嘘に乗った私も悪いんだけど。本当に何でもないからね私たち」
「分かってます。大丈夫です」
車窓を流れていく秋の晴れ晴れとした空を見ていると、思いっきり体を動かしたくなる。
「冴子さんは遊園地で遊びたいものあります?」
「お化け屋敷」
「冴子さん、私がホラーとかお化け嫌いなの知ってますよね?」
「冗談だから。何がいいかな。ジェットコースターとか好きだけどね。奈津は乗れる?」
「乗れますよ。体がひゅってなるの少し苦手ですけど」
「それは何となく分かるかも。奈津は何が好きなの?」
「観覧車です! 高いところから景色眺めるの好きなんです。実は冴子さんと乗るのが夢だったんです!」
「⋯⋯そう。⋯⋯景色はきれいそうね」
「冴子さんは乗ったことありますか?」
「高校生の時に一回だけ。昔のことだからよく覚えてないけど」
私たちは遊園地に着くまで他愛のない話で盛り上がった。二人きりじゃないけど、冴子さんと一緒に遊びに行けるのは嬉しい。
「遊園地の花形と言ったらジェットコースターでしょ!」
橘先輩の気合の入った一言により、初っ端からジェットコースターに乗ることになった。
待機列から巨大な蛇のようにうねうねとしたレールを見ているだけで、目が回りそうだった。ジェットコースターに乗るなんて何年ぶりだろうか。
「奈津ちゃんは冴子と隣りでいいよね」
橘先輩の確認に頷く。
「冴子先輩と藍田ちゃんってすごく仲いいですよね。常に二人でセットみたいな感じですもんね」
小塚先輩が感心したように私たちを見やる。
「何でそこまで仲いいんですか?」
と聞かれて私は冴子さんと顔を見合わせた。まさか付き合って同棲してます、と本当の事を言うわけにはいかない。
「えーっと、その、冴子さんはお姉さんみたいというか。私、子供の頃からお姉さんが欲しかったんですよ!!」
捻り出した理由を上げてにごす。
「冴子先輩も藍田ちゃんみたいな妹が欲しかったって感じですか?」
「⋯⋯まぁ、そうね。私、末っ子だから」
「へぇ〜冴子先輩末っ子なんですか。何か意外です」
こんな時に本当の事が言えないのは時々辛くなる。冴子さんは私の彼女なんだと堂々と自慢できたらいいのに。
そんな話をしているうちに列は進み、私たちの順番が回って来た。
私が先に乗り込み、冴子さんが隣りに座る。ジェットコースターで急降下する感覚を思い出して、体が緊張する。
「奈津、怖い?」
察しのいい冴子さんが私の顔を覗き込む。
「少し⋯⋯」
「気休め、にはなるかな」
冴子さんは私の右手を取って指を絡ませた。温かな手に安心感が広がる。
「すごく心強いです」
間もなくして車両がゆっくりと動き出す。発着場を出て日の元に出ると車両は徐々に加速して、うねる軌道を駆け巡った。
車両に乗る人々の歓声や悲鳴が沸き起こる。冴子さんも楽しそうに声を上げている。しかし冴子さんを観察している余裕などすぐ消えた。
ぐいんぐいんと進み翻弄されるうちに私も声を上げていた。
車両はあっと言う間に一周して元の場所に戻る。
「やっぱジェットコースターはいいよね。遊園地は絶叫系が一番!」
後ろに座っていた橘先輩は実に満足そうに車両から降りていた。
「冴子さんも楽しかったですか?」
「そうね。久しぶりに乗ると楽しい」
笑顔を見せてくれたので私もすごく満足だ。
それから私たち一行は様々なアトラクションを巡り、笑ったり叫んだりしながら楽しんだ。
お昼が近づいた頃に、私たちはお化け屋敷の前にいた。
「よーし! 午前最後はここで締めよう!」
と橘先輩はかなりノリノリだった。
「お化け屋敷なんて久しぶりかも」
「ここ怖いんですかね?」
「スタンダードなお化け屋敷だと思うから、そこまで怖くないんじゃない?」
「逆にお化けおどかしてみる!?」
「それは可哀想だからやめておきなって」
みんな異議はないようだった。
建物はよくあるお化け屋敷で、最近人気のリアリティのあるタイプではないから、相当に怖いということはないだろう。
それでも苦手なので私は腰が引けてしまう。
ふと横を見ると冴子さんと目が合う。
「ごめん、何か私疲れちゃったかも。お化け屋敷はパスしておく。向こうで休憩してるからみんなで楽しんで来て」
予想外なことを冴子さんが言い出した。
「OK。冴子は休んでて。じゃ行って来ようか」
特に反対は起こらず、五人で行く流れになる。
冴子さんがいなくては不安だけど、私まで断るのは悪い気がして言い出せなかった。
一行がお化け屋敷に向かおうとすると、私は腕を冴子さんに引っ張られた。
「奈津は私といなさい」
「冴子、奈津ちゃんを付き合わせなくてもいいでしょ」
橘先輩は呆れている。
「奈津は暗いところだとすぐ目眩を起こす質なの。そんなことになったら可哀想でしょ。ねぇ、奈津」
「⋯⋯えっと、まぁ⋯はい」
私にそんな体質はないのだけど、冴子さんは私が苦手なのを知ってるから行かないで済むようにしてくれたのだろう。疲れたというのも嘘だ。私を一人にしないために。
「え、そうだったの奈津ちゃん? 確かにお化け屋敷の中は暗いからなぁ⋯。二人はお留守番でいい?」
橘先輩は深く追求することもなく察してくれた。
私たちは四人を見送って近くのベンチに移った。
「冴子さん、ありがとうございます」
「何が」
「私がお化けとか苦手だから、入らなくていいように嘘ついてくれたんですね」
「怖がる奈津を見たい気もしたけど」
いたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「本当はちょっと二人になりたかっただけ」
耳元で甘い声で囁かれて私は嬉しくて、今すぐにでも冴子さんに飛びつきたかった。人目があるので堪えるけど。
耳が熱い。顔も熱い。体も熱い。
冴子さんの不意打ちに私はとことん弱い。
「なんか、飲み物でも買ってきましょうか」
照れくささにいても立ってもいられなくなったので、その場から離れようとしたら
「そばにいなさい」
と腕を組まれてしまった。
これでは離れられない。
今度は二人きりでデートで遊園地に来たいと望みが一つ生まれた。
私たち一行は園内にあるフードコートで昼食を済ますと、再び遊びへと繰り出した。
ミラーハウスの前にやって来る。
「私、一度体験してみたかったんです! ミラーハウス」
と亜美ちゃんが言い出し、一人ずつ入った方が面白いということで、じゃんけんで負けた順に中に入ることになった。三分起きに一人一人入って誰が先にゴールするかの勝負だ。
最初に負けた私がトップバッターになる。
「それじゃ、行ってきますね〜」
私はみんなに手を振って中に入る。
ミラーハウスは初体験なので、どうやって攻略していいのかはよく分からない。
(取り敢えず道なりに進めば出られるよね)
当然だが、鏡で仕切られているせいでどこを見ても私がいる。
青や緑の電飾に照らされたハウス内は薄暗く幻想的な様相を呈していた。
(出られないってことはないと思うけど、どうなってるのか全然分かんない)
あっちを見ても自分。こっちを見ても自分。手探りで進んでいると近くから声が聞こえた。おそらく私より先に入ったお客さんだろう。
「こっちであってるのかな?」
小学生くらいの女の子の声。
「うーん分かんない。あっちに行ってみようか」
「⋯⋯⋯⋯!?」
その後に聞こえてきた大人の女性の声にはっとする。懐かしい、私がよく知ってる声に似ていたからだ。
「
よく通る女の子が呼ぶ名前で私は確信した。
(やっぱり⋯⋯美雪さんの声だ)
私はその場で立ち止まった。彼女たちの姿は見えないが近くにいるのは確かだ。
しばらくすると足音共に二人の声も遠ざかって行った。
(良かった。鉢合わせしなくて済みそう)
「奈津ちゃん!!」
「きゃっ!!!」
突然肩を叩かれて私は飛び上がった。
「ごめんね、驚かせちゃった?」
振り返ると橘先輩が立っていた。
私がもたもたしていたから、追いつかれてしまったようだ。
「奈津ちゃん、迷ってる?」
「そうですね」
「よし、じゃあ一緒に出口探そうか。冴子じゃなくて悪いけど」
「はい。橘先輩と会えてよかったです」
これでは勝負はどうなるのだろうと思ったけれど、一抜けしたからと言って特に何があるわけでもないので一緒に行動することにした。
(冴子さんじゃなくて良かったかも)
鋭くて察しの良すぎる冴子さんだったら、私が動揺していることに気づかれたかもしれない。
まさかこんな所で元カノと遭遇するなんて思わなかったから。
私は橘先輩と何とかミラーハウスを抜けて青空の下に出た。外に他のメンバーはいない。まだ中で迷っているのだろう。
辺りを確認して美雪さんの姿がないか確認した。
取り敢えず、目につく範囲にはいない。どこか他のアトラクションにでも行ったのかもしれない。
「なんだ、結局最初に入った私たちが一番乗りかぁ。五番目に入った冴子はいつ来るかな」
「どうでしょうね⋯⋯」
「奈津ちゃん何か元気なくなった? そんなに冴子がいないと寂しい?」
「いえ、全然元気ですよ! あ〜ちょっとミラーハウスが怖かったというか」
「鏡に囲まれてるとちょっと怖いもんね⋯⋯中で何かあった?」
さすが冴子さんの親友と言うべきか、橘先輩も鋭い。
「痴漢に遭ったとかじゃないよね!?」
「違います! 違います!」
慌てて否定する。
私と冴子さんのことを知っている橘先輩になら話しても大丈夫だろうか。少し迷って私は本当の事を話すことにした。
「実は中で元カノに会ったというか、直接は見てないんですけど⋯⋯」
私はさっきの状況を詳しく話した。
「そんな偶然あるんだね。冴子が知ったら嫉妬しちゃうかもね」
「話したわけでもないですし、それくらいで嫉妬はしないと思いますけど。美雪さん、元カノとはかなり前に切れてますから」
「その割には浮かない顔してるね」
「⋯⋯⋯捨てられた身なので、苦手意識があるのかもしれません」
「そっか⋯⋯」
橘先輩の表情も曇ってしまった。
「まぁ、冴子が戻って来たら思う存分甘えちゃえばいいんじゃない? その元カノさんとは苦い思い出あって辛いかもしれないけどさ、大事なのは今じゃない?」
「そうですね」
話していたら、出口から三番目に入った平井さんが出て来た。
「あれ? 結局入った順にゴールしてる感じですか?」
「そうみたい」
次に四番目に入った小塚先輩が現れ、続けて六番目に入った亜美ちゃんが来る。
「なんだ、冴子がビリか。後でからかってやろう」
橘先輩がニヤニヤしている。
「冴子さん、中で迷ってるんでしょうか」
「かもね〜。奈津ちゃん慰めてあげてね。私はいじるけど」
しばらくしてから出口に冴子さんの姿を見つける。
私は手を振ろうとして、すぐ後に出て来た小学生の女の子と女性に目を奪われた。
(まだ中にいたんだ)
女性は間違いなく私の元彼女である美雪さんだった。昔より髪が伸びた以外は変わってないように見えた。
私に気づいてないようなので、私は橘先輩の後ろにさりげなく移動する。
「お姉さんありがとうございます。叔母さんが方向音痴だったので助かりました」
女の子は冴子さんに向かって話しかけている。
「本当に助かりました。あのまま誰にも会えなかったら、まだ迷ったままでした」
美雪さんが冴子さんに頭を下げてるのを見て、何とも言えないよく分からない感情がこみ上げる。
(冴子さんと美雪さんがバッティングするなんて⋯⋯)
美雪さんは冴子さんが私の彼女なんて分からないわけだし、私が美雪さんに気づかれなければいいだけだ。
「私、お手洗いに行って来ますね」
橘先輩にこっそり耳打ちして私はミラーハウスに背を向けて歩き出す。
なるべくなら美雪さんとは話したくない。見つかりたくない。
私は少し離れた植え込みの影に回り込んだ。あちらの様子を伺う。幸い、美雪さんには気づかれなかったようで、冴子さんと軽くやり取りを終えると女の子と共に去って行く。
私は二人の姿が遠ざかったのを確認してから、みんなの元へ戻った。
「お待たせしてすみません」
「奈津、どうかした?」
怪訝そうに顔をじっと見つめられる。
(本当に敏いなぁ、冴子さんは)
「何でもないですよー。次はどこにしますか?」
冴子さんに心配させるのは申し訳ないけど、今は遊ぶことに徹しよう。昔の事なんて忘れて。
園内をあちこち移動しながら、私たちは様々なアトラクションを堪能した。その後、美雪さんと遭遇することはなかった。
最後に観覧車に乗って締めることになった。
ここの観覧車は遊園地の目玉にもなっていて、遠くからでも巨大な姿がよく見えた。ボックスもたくさんあり、乗りごたえがありそうだ。
二人ずつに別れて乗り込む。私はもちろん、冴子さんと。
観覧車はゆっくりゆっくり地上から離れていく。
美雪さんのことでもやもやしていた気持ちも、今はどこか隅に消えてしまった。
ずっと大好きな人と乗ってみたかった観覧車。それが叶った。
「冴子さん、頂上からの景色楽しみですねー!」
「ええ」
何故か冴子さんは外になど目もくれず私を見据えている。
(そんな真っ直ぐに見つめられたら照れる⋯)
あまりに強い視線に私の体は射抜かれてしまったように、動かない。
ボックスは丁度九時の位置まで登って来た。
「冴子さん、この高さからでも景色きれいですね。
ほら遊園地がよく見渡せますよ。海も見えますね。
冴子さんと観覧車に乗れて嬉しいです」
「⋯⋯⋯⋯」
「冴子さん⋯⋯」
私の言葉など聞こえていないのか、相変わらず目は私を刺すように捉えている。
「次は夜に来てみたいですね。夜景がすごいらしいですよ」
「⋯⋯⋯⋯」
私以外のものを見てはいけないかのように見つめられ続けて、私はどうしていいものか考えた。
(誰も見てないよね)
私は向かいに座る冴子さんに顔を近づけようと身を乗り出した。
「動かないで!」
強く拒否するような声で私の体が止まる。
「冴子さん⋯⋯?」
もしかして美雪さんとのことが分かってしまったのだろうか。黙ってたことで怒らせてしまったのだろうか。
(幾ら冴子さんでも察しが良すぎないかな)
私は大人しく元の位置に落ち着いた。
「奈津」
「はい」
「ごめん。あのね、今のは奈津が嫌とかそういうのじゃないから」
「びっくりしましたけど、大丈夫ですよ」
「あのね、奈津。すごいダサいんだけど、私観覧車怖いの。揺れると怖いから、奈津のこと拒否しちゃって⋯⋯。ごめん」
「怖い⋯⋯」
思ってもいない言葉に、とんでもなく勘違いしていたことに気がつく。
「高い所、苦手だったんですね。⋯⋯あれ、でもジェットコースターは楽しそうでしたよね?」
「動いてると平気なんだけど、観覧車みたいにゆっくりだと、高さが強調されてダメで」
顔を覆ってしまった。
「ごめん、奈津。一緒に乗りたいって言ってたのに情けないところ見せて」
「私の方こそ、気づけなくてごめんなさい。私のために怖いのに我慢して乗ってくれたんですね」
冴子さんのそんな優しさに涙腺が緩みそうになる。
私は冴子さんに手を伸ばそうとしてやめた。抱きしめてあげたいけど、返って冴子さんを怖がらせてしまうかもしれない。私が動いたくらいでボックスが揺れるとは思わないけど、けっこうな高さまで来ているし冴子さんにとっては怖いはずだ。
私のことばかり見ていたのも外の景色を意識しないため。
「はぁ、本っ当にダサいよね。観覧車くらいでびびってさ」
「ダサいなんて思わないですよ。誰にでも苦手なものはありますから。冴子さんって怖いものないって勝手に思い込んでました。そんなわけないのに」
「奈津、終わるまで目つむっててもいい?」
「いいですよ。そろそろてっぺんですね。あと半分くらいです」
冴子さんがぎゅっと拳を握って膝に置いてる手に、そっと自分の手を重ねた。触れるだけで、緊張しているのが伝わる。
私がお化け屋敷が苦手なのを知ってて、上手く避けてくれたのに、私は同じように出来なかった。
自分の望みを叶えることしか頭になくて、冴子さんが本当は怖がっていたことを察することが出来なかった。
(もっと私も冴子さんのこと分かるようになりたいな)
今すぐは無理かもしれないけど、私も些細なことでもどんなことでも、冴子さんを守れるような人になりたい。
「奈津、さっき夜景見たいって言ってたけど多分私とは無理だと思う。ごめん」
「いいですよ、そんなの。気にしないでください。私は冴子さんときれいな景色を見て一緒に感動したいんです。だから冴子さんと見られるところならどこでもいいんですよ」
「よかった。ありがとう奈津。地上まだ?」
「うーん、まだ少しかかりますね。何か気が紛れるように歌でも歌いましょうか?」
「奈津、音痴なのに⋯⋯」
「そうですよ〜。変な歌で笑ってください。そしたらすぐ下に着きますよ」
私はお世辞にも上手いとは言い難い歌を熱唱したのだった。
そして私たちが乗るボックスはスタート地点に戻り、無事地上へと帰って来た。
先に到着していた四人と合流する。
「二人とも観覧車楽しかった? ねぇねぇ奈津ちゃん、冴子どうだった? めっちゃびびってなかった? 冴子観覧車嫌いだから〜。普段クールに振る舞ってるくせに⋯⋯」
楽しそうに笑う橘先輩を私は睨みつけた。
「橘先輩」
「橘⋯⋯」
冴子さんも眉を釣り上げている。
「二人とも怒ってる? 何で?」
橘先輩は怒った冴子さんに思いっきり頬をつねられていた。
私たちはお土産屋さんに足を運んだ。
名産品などが並んでいる。この地域の銘菓もあった。
「冴子さん、チョコレートのお菓子ありますよ」
声をかけたが、横を見てもさっきまで隣りにいた冴子さんがいない。
(どこに行ったんだろう)
辺りを見回すと姿を見つけた。
冴子さんではなく美雪さんを。
ばっちりと目が合う。
「なっちゃん!? なっちゃんだよね!?」
先に動いたのは美雪さんだった。一直線にこちらに来る。今度は逃げるわけにはいかない。
「お、お久しぶりです」
「やっぱりなっちゃんだ!! 久しぶりだよね。懐かしい〜。前よりお姉さんらしくなったね。ってもう社会人だもんね」
美雪さんはにこにこと笑顔を浮かべている。彼女とは大学生の時に友人に連れて行ってもらったバーで知り合って、付き合うに至った。美雪さんは七つ年上で、私が大学生の時にはすでに社会人をしていた。
「そうですね。卒業して三年経ちましたから」
「遊園地で会うなんて奇遇だね。私は親戚と来てたんだけど、なっちゃんは恋人と⋯⋯?」
「えーっと、会社の先輩や同僚と遊びに来てて」
恋人と来ているのには違いないけど、二人きりのデートではない。
「そうなんだ。会社の人と仲良いんだね。いい職場に恵まれたみたいで安心したよ。⋯⋯あのさ、ちょっと話したいことあるんだけどいいかな?」
「話したいこと、ですか」
人の目のないところで話したいようだ。
他のみんなはまだお土産選びに夢中になっている。冴子さんはトイレにでも行ったのか近くに見当たらなかった。
私と美雪さんはお土産屋さんを出て、少し離れた人がいない植え込みに移動した。
「なっちゃん、ごめんね。急に」
「いいえ。それで話って何ですか?」
「あのさ、単刀直入に聞くけど、なっちゃん今フリー?」
『あの人誰なんですか!? 何で腕なんて組んでたんですか!?』
苦い記憶が蘇る。
私がまだ大学生だった頃。
美雪さんが彼女だった頃。
その日、夜は仕事で遅くなるから会えないと言われていた。
たまたま美雪さんが他の女性と親密そうに腕を組んで歩いているのを見てしまった。
『昨日は仕事だったんじゃないんですか!?』
『ごめんね、なっちゃん。実はあの人とも付き合ってて⋯⋯』
『⋯⋯浮気してたってことですか。それとも二股ですか?』
『うん、まぁ。私、なっちゃんのこと好きだよ。大好きなのは変わってない。ちょっと魔が差したって言うか』
『じゃあ、もうその人とは会わないですよね?』
『⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯』
『何で黙るんですか』
『なっちゃんのことは大好きだけど、それ以上にあの人のこと、好きになっちゃって』
『⋯⋯⋯⋯』
『ごめんね。本当にごめん。なっちゃん、別れてほしい』
その後のことはよく覚えていない。
私はただ泣き喚いていた。
初めての彼女との恋が嫌な形で幕を閉じた。
「フリーだったら⋯⋯、どうするんですか?」
「やり直したい」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「なっちゃんと、もう一度やり直したい。返事は今すぐじゃなくていいから」
美雪さんの切なげな瞳に見つめられて私は目を逸した。
(何でこんなことを今言うの)
あんな振られ方をしても、私は心の底から美雪さんを嫌いになれなかった。
あの日、あの時を迎えるまで何一つ破綻もなく不満もなく幸せだった。
ずっと美雪さんとの関係は続くのだと疑っていなかった。
確かにあの時まではとても幸せな時間を過ごせたから。
憎みたいのに憎めない。
嫌いになりたいのに嫌いになれない。
だけど思い出したくもない。
「美雪さん、ごめんなさい。私、お付き合いしてる人がいるんです。まだ付き合って半年くらいですけど、一緒に住んでて、職場も同じで。誰よりも大切な人がいるんです。私、その人を守りたいって今日思ったんです。私はその人に比べたら何にもできないし、察しも悪いし、頼りないけど、そんな私でも彼女が安心していられるような存在になりたいんです。だから、私には彼女以外を選ぶ選択肢はありません。ごめんなさい」
「そっか。そうだよね。なっちゃんもいつまでも一人なわけないよね。私こそごめんね、こんな所で無理なこと言って。私けっこう酷いことしたのに、わざわざ私の話聞いてくれてありがとう。⋯⋯⋯その人と幸せになってね」
そう言って美雪さんは去って行った。
(私は冴子さんと幸せになる。ううん。もう充分すぎるくらい幸せ)
帰りも来た時のように三人と三人に別れて家路に向かった。
橘先輩を家まで送り届けた後は、二人きりになる。
窓の外はすっかり夕暮れになっていた。
「ねぇ、奈津。私がミラーハウスで会った人と話してたよね」
「⋯⋯⋯⋯」
美雪さんと話していたのを見られていたらしい。
「ごめん。二人が話してるの立ち聞きしてた。割と最初から。奈津って私のことすごく愛してるのね」
「⋯⋯!? ⋯それはそうですよ。当たり前じゃないですか。冴子さん以上に愛せる人なんていませんから!」
「良かった。私ばっかり奈津の事好きなんじゃないかってちょっと悩んでた」
「私、冴子さんのこと大好きですよ。誰よりも一番大事で、愛しくて守りたくて、幸せにしたい人が冴子さんなんです」
ものすごく恥ずかしいことを口にしているはずなのに、なぜだろう。不思議と自然に話せている。
「私も同じこと、想ってるよ」
ここが車中じゃなければ、冴子さんを抱きしめてキスできるのに。少し悔しい気持ちになる。
隣りで冴子さんが盛大にため息をついている。
「どうしたんですか、冴子さん」
「家で言えばよかったなって、ちょっと後悔した。これじゃキスもできないじゃない」
「そうですね。家に着いたら続きをしましょう」
同じことを考えていることに、私は嬉しくなる。
「明日が日曜日でよかった」
「ですね。たくさん冴子さんに甘えられますから。たまには冴子さんも私に甘えてください」
「うん、そうする」
私たちは幸せな気持ちのまま家へと向かった。
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