第11話 秋祭り
いつの間にか私たちが住むマンション横の公園からは、秋の虫の涼し気な声が聞こえるようになった。
公園の入口近くに立つ掲示板には、『秋祭り』と書かれたポスターが貼られていた。
朝にはなかったポスターだ。
「
「
「本当ですか? それなら一緒に行きましょう! 再来週の土日にやるみたいです」
冴子さんとお祭りデートに出かけられると思うと、それだけで浮足立つ。
私は暗くなってるのをいいことに、冴子さんの腕に自分の腕を絡める。
「お祭り好きなの?」
「好きか嫌いかと言われたら好きですよ。だって楽しいじゃないですか。あと何より冴子さんと一緒に行けるのが嬉しいんです!」
「そう」
返ってきた言葉はそっけないけれど、冴子さんが優しく微笑んでくれたので、私もニマニマしてしまう。
「ところで冴子さん、浴衣持ってますか?」
「一枚だけなら」
「私も一枚あるので、浴衣着て行きませんか? 冴子さんの浴衣姿見たいです!」
「浴衣なら夏に旅館に泊まった時に見たでしょ」
「あれは備え付けの浴衣だったので、ちゃんと綺麗な柄の入った浴衣姿が見たいんです」
旅館の浴衣姿もあれはあれで、とてもよかったけれど。冴子さんの和服姿はとても様になる。また見られるのかと思うと楽しみだ。
帰宅した私たちはそれぞれ持っている浴衣を披露した。冴子さんは藍色の地に白い花柄。私のは白地に紺色の花柄。まるで対になってるかのように、真逆の色合いだった。
冴子さんの透明感のある白い肌に藍色の浴衣はとてもよく映えるに違いない。
「ねぇ、奈津一人で浴衣着られるの?」
「⋯⋯⋯着られません」
旅館の浴衣とは訳が違うので、ちゃんとした浴衣は無理だ。
以前着た時は髪のセットと合わせて美容師さんにやってもらった。
「じゃ、私が着付ければいいか」
「冴子さん、浴衣の着付けできるんですね」
「着物は一通りね。成人式の時も振り袖自分で着たし」
「振り袖をですか!?」
何だか意外なと言っては失礼だけど、冴子さんの知らなかった特技を知ることができた。
(冴子さんに着付けしてもらえるのか⋯⋯いいかも)
私はお祭りの日が待ち遠しかった。
ニ週間後の土曜日。
空の色は紫と薄紅色のグラデーションを描き、太陽は沈みかけている。
私は冴子さんに浴衣を着せてもらい、髪型も綺麗に整えてもらった。
好きな人の手で姿を変えてもらえるのはとてもどきどきとして、心が踊る。
愛される時とはまた違う触れ方に、私はずっと胸が高鳴ったままだった。
冴子さんはコートでも羽織るような気軽さで、あれよあれよと風情ある浴衣姿に変わった。
想像した通り、涼し気な顔立ちに藍色の浴衣がとても似合う。まるでその浴衣が、最初から冴子さんのために作られたかのように馴染んでいた。
「冴子さん、写真撮ってもいいですか? いいですよね? 」
「え、いいけど。何か奈津、興奮してる?」
「そんなことないですよ。でも冴子さんの浴衣姿にテンション上がってます」
完璧に着こなされては、興奮しても致し方ない。と言い訳してスマホで写真を撮る。ずっと眺めていたくなるような美しい佇まいに、惚れ惚れする。
(後で待ち受けにしよう)
「奈津って浴衣フェチなの?」
「どうでしょう? でも女性の浴衣姿は好きですよ」
「女性の?」
突然、冴子さんに腰を抱き寄せられる。
「『冴子さんの』浴衣姿が好きです」
「浴衣だけ?」
「全部ですよ」
「そう、よかった」
冴子さんは満足そうな顔をすると、そのまま私へキスをする。ほんの少し触れるだけかと思ったら、抱きしめる腕も強くなり、しばらく唇を弄ばれた。
身体に火がつきそうなところで、私は 慌てて冴子さんを押し返す。
「こ、これ以上はだめです⋯⋯」
「何で?」
「お祭りに行くからです! さ、行きましょう!」
私は強引に冴子さんの手を引いて玄関へ進む。
「物足りないんだけどなぁ」
ちょっと不貞腐れた冴子さんの声。
「⋯⋯⋯続きは帰ってからで」
「いいよ。楽しみにしておく」
神社へ続く道は、同じくお祭りへと向う人で普段よりも賑わっていた。
遠くからお囃子や太鼓の音が風に乗って聞こえてくる。
参道の脇は屋台が並び、日本のお祭りらしい光景が広がっていた。
「取り敢えず、奥まで見て回る?」
冴子さんの提案に頷き、私たちはごった返す人の波に流れながら進んだ。
私はおもちゃ屋さんの前で足を止めた。
「懐かしい!」
チープだけどレトロで可愛いおもちゃの指輪に目が留まる。
「冴子さん、こういうの子供の頃に買ってもらいませんでしたか?」
「言われてみればあるかも」
私は青い透明の玉が乗った指輪を指す。
「すみません、これ一つください」
私は店主さんに言った。
「奈津、それ買うの?」
「見てたら欲しくなっちゃって。冴子さんも買いませんか?」
「奈津が私にも買ってほしそうだから、買おうか」
冴子さんは呆れたようだけど、笑顔を見せてくれたのでほっとする。
私は青、冴子さんは翡翠色の指輪をそれぞれ買った。
おもちゃ屋さんを離れて、私たちは腹ごしらえするために、じゃがバターを買った。
参道を外れて、屋台裏の開けた場所の奥に石垣があるのでそこへ腰掛ける。
あまり人もいないので、落ち着いて食べるにはうってつけだった。
「奈津、さっきの指輪どうするの? 指に
あれは子供用なので、当然大人の私の指にはなかなか合わないだろう。
「小指くらいなら何とかなりそうでしたよ。子供っぽいって呆れてます?」
「そんなことはないけど。懐かしくなる気持ちは分かるよ」
「あれを買ったのは初恋を思い出したからです。四歳の頃に好きな女の子がいたんです。まりかちゃんっていう三つ年上の女の子で、当時同じマンションのお隣りさんでした」
「⋯⋯⋯」
「親同士が仲が良くて縁日に一緒に行って、お互い似たような指輪を買ったんです。相手の子は赤いのを。私は青いのを。あとで交換して『結婚しよう』って約束したんです。小さかったから結婚の意味なんて私たちよく分かってなかったですけどね」
「なるほどね。奈津はそれを思い出したわけね」
「すみません⋯⋯」
「別にいいよ。それよりその年上の女とはまだ仲がいいの?」
冴子さんは満面の笑顔でいながら、明らかにむっとしていた。これは嫉妬させてしまったかもしれない。
「まさか。私が六歳の頃にその子が引っ越して以来、会ってません。どこでどうしてるのかも知らないですよ」
「ふーん。そう。それより奈津、口元バター付いてる」
私は巾着からティッシュを取り出した。口元を拭こうとしたら、冴子さんに唇を奪われた。触れられたのは短い時間のはずなのに、場所のせいで長く感じた。
「さ、冴子さんっ、誰かに見られたらどうするんですか!!」
思わず辺りを確認するが、幸い人もいなく、明かりもそんなに届かない場所なので誰にも見られていないはずだ。
「挑発した奈津が悪い。でも満更でもないでしょ?」
といじわるな微笑で返され、まさに図星だった。
こんないつ誰に見られるか分からない場所でキスしていいわけがない。だけど、冴子さんに触れられるだけで、心も身体も喜ぶことはとっくの昔にバレている。
「奈津は私の彼女なんだから、不用意に他の好きだった女の話なんてしたらだめじゃない」
「好きだったって言っても四歳の頃ですよ」
「想い出話する時、私の知らない顔してた。それが嫌なの」
冴子さんは少し寂びそうな顔をする。
そんな顔をされると胸が痛む。
怒ったり嫉妬されるのは構わない。むしろ、私に対してそんな風に感情を揺らしてくれることが嬉しくてたまらない。
だけど寂しそうにされるのは辛い。そんな顔を滅多に見せないだけに。
「私が一番好きなのは冴子さんですよ。冴子さんしか見てません」
私は辺りを確認して、今度は自分から冴子さんにキスをする。
「人に見られたら困るんじゃなかったっけ?」
「今はいないから大丈夫です」
「屁理屈ね。まぁいいけど」
冴子さんに笑顔が戻ったので一安心だ。
私たちは再び祭りの人波に飲まれる。
屋台を冷やかし、途中であんず飴を買って、射的で遊んで、お化け屋敷で騒いで、焼きそばを食べて、最後はおみくじで締めた。運がいいのかお祭り仕様なのか、冴子さんも私も大吉を引いてしまった。
楽しいお祭り気分のまま家路についた。
「明日は筋肉痛になってそうです。冴子さんはどうですか?」
私は帰宅早々、ソファに沈み込んだ。
「お祭りに行っただけで?」
「浴衣とか下駄とか慣れてないから、いつも使ってない筋肉使ってそうで⋯⋯」
「ああ、そういう」
冴子さんも私の横に腰を下ろす。
「ほら、奈津着替えないと浴衣シワになるから」
ソファでくたっとしていた身体を起こされる。
「浴衣ってどうやって脱げばいいんですか?」
「脱がそうか?」
「お願いしま⋯⋯」
そこでお祭りに行く前の事を思い出す。
『⋯⋯⋯続きは帰ってからで』
『いいよ。楽しみにしておく』
これから続きになるのだろうか。それとも何の他意もないのだろうか。
冴子さんに甘えたい気持ちはあるけれど、思いっきり誘ってるように見えたりしてたら恥ずかしい。
神社でキスしておきながら、何を今更と思われそうだけど、あれはお祭りの雰囲気に呑まれたわけでこれはまた別の問題。
必死に頭が言い訳する。
「そう言えば冴子さん、指輪! 指輪交換してください!」
私は巾着から青いおもちゃの指輪を取り出した。
「⋯⋯? いいけど」
冴子さんも翡翠色の指輪を取り出した。
そこで気づく。これもこれでかなり恥ずかしい。指輪なんて子供向けのものだし、白々とした蛍光灯の下でやることではない気がする。
だけど冴子さんは特に気にしてる様子もなく、私の左手を取ると小指に指輪を嵌めた。私も冴子さんの小指に青い指を嵌める。
「で、この後何かするの?」
「と、特には⋯⋯」
「何か言うことあるんじゃない? 」
冴子さんは予想外に真面目な眼差しで私を見つめる。
「えっと⋯あの、冴子さん。大好きです。ずっと私と一緒にいてほしいです。できるなら冴子さんの傍にいつまでもいたいです」
多分、今の私は真っ赤になっているはず。顔が火照っている。
冴子さんは私のことを優しく抱きしめてくれた。
「うん。私も奈津が大好きだよ。奈津が望むならいつまでもいつでも、傍にいるから」
浴衣越しに伝わる冴子さんの温もりに幸せを感じる。
やっぱり、どうあっても私は冴子さんが好き。愛しくて愛しくてどうしようない。
「ねぇ奈津、さっきの続きしてもいい? 奈津のことたくさん愛したい」
「もちろんです。私もめいっぱい冴子さんを愛したいです」
私たちはお祭よりも心がときめく夜を過ごしたのだった。
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