第4話 怖いと甘い


 八月も半ばを過ぎたのにまだまだ残暑が厳しい日曜日。


 冴子さえこさんはアイスを買いに行って来ると出ていき、ついでにレンタルショップでDVDを借りてきた。 


「何借りてきたんですか?」


 私は手渡された袋からDVDを取り出す。 


 三枚あるどの作品もパッケージは暗くおどろおどろしいものはかりだった。


「ホラーですか? 冴子さん、お化けとか全く信じてないって言ってませんでしたっけ?」


「信じてないよ。奈津なつが好きかと思って」


「ホラーは苦手って言った気がしますけど……」


 昔からホラーは苦手だった。


 子供の頃、夏になると家族が心霊系の番組を楽しく見ていたけど、私はいつも怖くて見ないようにマンガを読んでやり過ごしていた。


「でも暑い夏には丁度いいでしょ」


「……そうですね」


 いい年した大人がホラーが怖いなんて恥ずかしくて言えない。


「今から見ますか…?」


 まだ日は高く、外では蝉が鳴いている。なるべくなら明るいうちに消化してしまいたい。


「夜にしよう。その方が雰囲気出るから」


 と言われ私は昼に見るのを諦めた。




 すっかり日は落ち、窓の向こうは暗くなっている。


 夕飯を食べ終えた私たちはテレビの前に並んで座っている。


 これからホラー映画鑑賞会が始まろうとしている。


「冴子さん何で邦画のホラーばっかり借りてきたんですか?」


「お店でおすすめされてたから」


「………」


 海外のホラーも好きではないが、日本のホラーの方がリアリティが増してより怖い気がする。


 せめてゾンビとかなら適当に流せるのに、邦画をすすめたお店を呪いたくなった。


「電気消すね」


 冴子さんは私の返事も聞かずに電気を消してしまった。


 部屋の中はテレビの明かり以外、闇に包まれた。


 何となく気分が落ち着かない。


 ちょっとした暗がりの中をずっと見ていると得体の知れないものが這い出てくるのではないかと、変な妄想が浮かびそうになる。


 私が冴子さんにくっつこうとしたら

「鬱陶しいから離れて」

 と人一人分のスペースを取らされた。


(普段そんなこと言わないのに……)


 映画は薄暗い不気味な色合いのままストーリーが進んでいく。聞いているだけで心が不安定になりそうな音楽や嫌な予感をさせる伏線。


 どんどん怖い方へ怖い方へ向かっていく。


 心もとなくなった私は仕方なくクッションをかかえて怖さを和らげようとした。


 冴子さんはといえば、大して楽しくもなさそうにテレビを見ている。時折、あくびまでしている。


「冴子さん退屈ですよね、テレビのバラエティ番組でも見ます?」


「最後まで見ないと気持ち悪いじゃない」


 何とか見つけたやめる理由はあっさり却下された。



 話は半分以上は進んだだろうか。


 私はもう限界だった。


「冴子さん……」


 多分、すごく情けない顔をしていたと思う。でも背に腹は変えられない。


「何? 怖いの?」


 私は黙って頷く。


「こっちおいで」


 腰を抱き寄せられて、ようやく私は冴子さんの隣に落ち着いた。また鬱陶しいと離される前に腕にしがみつく。


 映画は終盤に向かい、これでもかと恐怖を煽ってくるので、私の定位置はいつの間にか冴子さんの腕の中に変わっていた。


 背中に冴子さんの体温を感じられるだけで、少し恐怖が減る。


 私が映像や音にびくびくするたびに冴子さんの笑う気配がした。


(絶対、私のこと面白がってる)


 何となく悔しい気もしたけれど、怖いのだから仕方ない。


 映画はやっとエンディングロールになって終わった。


「奈津、良かったね。終わったよ」


 頭をぽんぽん叩いて子供をなだめるような言い草だ。これはもう絶対にバカにされている。


「そんなに怖かった?」 


「べ、別にそこまでは……。冴子さんは怖くなかったんですか?」


「全然。だって作りものでしょ。お化けとか幽霊なんて信じてないし」


 いかにも冴子さんらしい返答だった。


「それじゃあ、後の二枚は見なくていいですね!」


「せっかく借りてきたし奈津の反応が面白いから見る」


(やっぱり面白がられてた…)


「私はもう見ませんから!! 見るなら冴子さん一人で見てくださいね!」


 さっさと電気をつけて、テレビをバラエティ番組に変える。


 私の様子が更に面白かったのか冴子さんはお腹をかかえて笑い出した。


「…奈津……可愛いっ……」


 冴子さんが盛大に笑い転げるという、珍しい場面なのにちっとも嬉しくない。


「私、お風呂入ってきます」


「一人で入れるの?」


 ニヤニヤと楽しそうに私を見ている。


「子供じゃないんだから入れるに決まってるじゃないですか」


 私はまた笑い出した冴子さんを放ってお風呂に向かう。


 ドアを開ると黒い闇が広がっていた。


 いつもなら何とも思わないのに、さっき見た映画の場面が脳裏にちらつく。


 映画にもお風呂での恐怖シーンがあった。


 思い出したくないのに勝手に脳内で再生されいく。


 さっさと電気をつけたものの、中に入る気にならない。


「明日の朝入ろう! そうしよう」


 私は居間に戻った。


「奈津、もうお風呂入ったの? 早いね」


「私、本当は朝風呂の方が好きなんです」


「今まで朝にお風呂入ってたことなんてあった?」


「………」


「これあげる」


 唐突に冴子さんから箱を渡される。


 小さな箱からかすかに良い香りがした。


 箱を開けてみると中には白とピンクの小さなバラが入っていた。


「何ですか、これ」


「入浴剤。可愛いでしょ。奈津、好きかと思って」


「……好きですけど」


「それ、どんな風に溶けるか見てみたくない?」


 そう言われるとこのバラ型の入浴剤に好奇心が湧く。


「……でも」


 まだ脳裏には先程見た恐怖のシーンがチラチラと浮かんでは消えていく。


「一緒に確かめてみる? 奈津が一人で楽しみたいなら一人で楽しんでもいいけど」


 さっきまで笑い転げていたとは思えないくらいの優しい眼差しで見つめられて、私は冴子さんに抱きついてしまった。


「……一緒がいいです」


「うん、分かった」


「冴子さん、もう怖いのは禁止です」


「私は怖がってる奈津好きだけど」


「好きになるならもっと違う私にしてください!」


「怖がってる奈津はいつもより甘えてくれるから好きなのに。残念」


 当然のことを語るようにしれっととんでもないことを言われた。


 本当に冴子さんはずるい。


 私を散々面白がったと思ったら、こうやって甘えさせるようなことをしたり、どきどきするようなことを言ってくる。


 悔しい気持ちが消し飛んでしまった。


(一生、冴子さんに敵わないんだろうな私)


 付き合い始めた頃は冴子さんに振り回されて、私も振り回して、また振り回されて。


 でも最近はそれも悪くないなと思っている。

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