第2話 私たちの夏休み

1 水着を買いに



 職場の先輩の冴子さえこさんと付き合って2ヶ月が過ぎた。


 お盆休みは冴子さんと泊まりで海へ遊びに行くことになり、せっかくなので新しい水着を買おうと会社帰りに二人でデパートに来ていた。


「種類たくさんありますね」


「そうね」


 売り場には色とりどりの水着がいくつも陳列されている。


 冴子さんは大して関心もなさそうに売り場を眺めていた。


 背も高く足も長くモデル並みのスタイルで、その上美人で何でも着こなせる冴子さんにしてみればどれも同じようなものなのかもしれない。


 この売り場のどんな水着を選んでも冴子さんが着たら様になるのは彼女である私の贔屓目を抜きにしても明らかだった。


「これでいいか」


 ここに来てから3分もしないうちに冴子さんは黒いシンプルなビキニに決めてしまった。


奈津なつもさっさと決めなさい」


 そう言い残して冴子さんはレジに向かってしまった。


(決めるの早い⋯)




 私と冴子さんは服の趣味も好きなブランドもまるで違った。


 だから一緒に服を買いに来ても、それぞれ好きなお店に行って待ち合わせ場所で合流することが多い。


 先に来て待ってるのはほぼ100%冴子さんの方だ。


 服選びに時間がかかっていつも私は彼女を待たせている。


 待たせたことで怒られたことは一度もないけれど、毎度毎度待たせてしまっては申し訳ない。



(なるべく早く決めよう)


 と思ったのにあっと言う間に十分が過ぎ去った。

 冴子さんは売り場前の通路に置かれたベンチに足を組んで座っている。


 それだけでもドラマのワンシーンのように様になっていた。


(もう適当に選ぼうかな。私が何を着ても変わんないし)


 ベンチの方を見ると冴子さんと目が合った。


(いっそのこと冴子さんに選んでもらおうか。)

 これは我ながら名案だと思った。


 基本的に何でもすぐに決める冴子さんならあっと言う間に解決するではないか。


「あの私じゃ上手く決められないので冴子さんが選んでくれませんか?」


 思いきって冴子さんにお願いすると


「しょうがないなぁ」


めんどくさそうながら決めてくれることになった。



 あれから三十分が過ぎた。


 私は冴子さんが買った荷物を抱えながらベンチに座っている。


(何なのよ。自分の水着は即決したくせに⋯)


 冴子さんはいくつも水着を手にしては迷っている。


(可愛い水着ばっかり選んで⋯。でもあれ私に似合うと思ってくれてるのかな。)


 どことなく楽しそうに水着を吟味している冴子さんを見ていて私はだんだん恥ずかしさと嬉しさで居たたまれなくなってきた。


 更に三十分が過ぎた頃。


「奈津!」


 売り場から手招きされて私は冴子さんの所に向かった。


「これ」


 目の前に出されたのは白地に水色の差し色が入った水着だった。 


 下がスカート状になった可愛いビキニだ。


「私に似合いますか?」


 適当な返事を言い捨てられるかと思ったら、冴子さんはその水着を私にあてがうと

「奈津に似合う水着を選んだんだから似合うに決まってるでしょ」

 とものすごく満足そうに微笑んだ。


「⋯⋯、ありがとうごさいます⋯」


 滅多に見せないような顔を見せられ私はお礼を言うだけで精一杯だ。


 耳がすごく熱くなってきた。


 叫びたいような走り出したいようなそわそわした衝動を押さえ込み、私はレジへ向かったのだった。






2 車中



 お盆休みになり私は冴子さんが運転する車に乗り、海へ向かっていた。


(かっこいい⋯)


 車を運転する冴子さんはとても絵になった。


 私は助手席からチラチラ冴子さんの横顔を盗み見しながら幸せを噛み締めていた。



 高速を走り休憩のためにサービスエリアに入る。


 車を停めると冴子さんは私に不満をぶつけた。


「うざい」


「⋯⋯えっ」


「うざいって言ってんの。奈津、あんたずっとこっちを見てたけど何か文句あるわけ?」


「ないですよ!全然ないです!」


 免許のない私は運転を代われないし、こうして目的地まで連れて行ってくれることに感謝している。


 運転だってスムーズだし何の文句のつけようもない。


「じゃあ何なのよ」


 実は見とれてました、なんて恥ずかしくて言えない。


「言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」


このままはぐらかしたら冴子さんの機嫌が悪くなってしまう。


 これから遊びに行くのにそれは避けたい。


 ここは正直に白状するしかない。


「あの⋯その⋯運転する冴子さん、かっこいいなって思って⋯」


「⋯で?」


「⋯普段あまり車乗らないからすごく新鮮で、ドキドキしたと言うか⋯冴子さんの横顔を見ていたくなったというか⋯」


 言ってて恥ずかしさで穴でも海でも何でもいいから隠れたくなってきた。


 サイドミラーに映る自分が赤くなっている。


「それで、だから何なのよ⋯」


 冴子さんの顔を見ると彼女まで赤くなっていた。


 私がこんなことを言うとは思ってなかったのだろう。


(どうしよう⋯照れてる冴子さん、初めて見たかもしれない)


 いつもつっけんどんな冴子さんが顔を赤くしてて、私も更に顔が熱くなった。


(でもすごく嬉しい)


「と、ともかく!何か言いたいことがある時は隠さずに言いなさい。困ってたら助ける⋯から。話はそれだけ!」


「!?⋯はい!」


 そうか、冴子さんは怒っているというより私が何か困って言い出せないのではないかと心配してくれてたのか。


 そのことに気づいて私は嬉しくて、隣りに座る冴子さんに抱きついてしまった。


「ちょっと何なの、いきなり!」


 と呆れながらもちゃんと抱きとめてくれる。


 私はこんな冴子さんが堪らなく大好きだ。






3 海に来た



 一時間ほどのドライブで、私たちは海へたどり着いた。


 真っ青な空に浮かぶ山脈のような入道雲、サマーソングが流れる海の家。


 海水浴場は大勢の人で賑わっている。


 水着に着替え更衣室を出ると冴子さんがいた隣はすでに空だった。


 慌てて外に出ると先日買った黒いビキニにサングラス姿の冴子さんが立っていた。


(予想はしてたけど、一分の隙もないくらい似合ってる)


 ファッション雑誌からそのまま出てきたような出で立ちに隣にいるのが恥ずかしい。


 冴子さんはサングラスをずらしてこちらを黙って見ている。


「あの、冴子さんが選んでくれた水着どうですか?」


 何と答えてくれるだろうと心が高鳴る。


「可愛いじゃない」


 と笑顔で言われ頭を撫でられた。


(も~冴子さんってほんと、もう~ずるい!!)


 私たちは海へと繰り出した。



 年甲斐もなく海ではしゃいだ後、ビーチパラソルの下で浜辺を見回す。


 家族連れや、友だち同士、恋人たちが楽しそうに夏を満喫している。


 目の前を手を繋いだカップルが通りすぎ、反対方向からは腕を組んだカップルが過ぎ去って行った。


「いいですよね~」


 思わずそんな光景に羨ましさが出てしまった。


「何が?」


「私も冴子さんと腕を組んだり手を繋いで歩けたらなって⋯」


「⋯⋯⋯私と付き合ったこと、後悔してるの?」


 海を見つめたまま冴子さんが寂しそうに呟く。


「してないですよ。私、冴子さんと一緒にいられてすごく幸せですから!⋯でも時々、もっと人目を気にせずに触れられたらって思って⋯⋯っ!?」


 何の前触れもなく冴子さんに手を取られ、恋人つなぎをする。


「みんな遊ぶのに夢中で誰も私たちなんて見てないよ」


「⋯それもそうですね」


 冴子さんの少し冷たいこの手の感触をきっと私はずっと忘れない。





4 旅館にて



 海を存分に堪能し、私たちは車で旅館へやって来た。


 今日泊まる旅館は海が一望できる高台の上に建っていた。


 裏手には木々が生い茂り、古く趣のある建物はとても風情があった。


 今日は夜に花火大会が行われることもあり旅館は満室だった。


 窓からは海が見える。


 ここからなら花火もよく見えるだろう。


 私たちは海の幸をふんだんに使った夕食を堪能し、広い温泉で疲れを流し、旅館の売店に寄っていた。


「冴子さん、アイス食べませんか?花火のお供にどうですか?」


 売店の片隅にあるアイスコーナーを覗き込む。


 何でもすぐに決める冴子さんはレモン味のかき氷を手に取った。


 私は少し迷い、ブルーハワイのかき氷を手にする。


「それって何味なの?」


 と私のアイスを指して言う。


「ブルーハワイはブルーハワイですよ」


「説明になってない。味の名前が色名って変なアイスよね」


「確かにイチゴとかメロンみたいに食べ物の名前ではないですね」


 そんな他愛もない話をしながら部屋に戻った。


 花火の打ち上げ時刻になり、私たちは部屋の明かりを消して窓の前から空を眺めていた。


 他のお客さんも花火を楽しんでいるのだろう。

 歓声が聞こえてくる。


 冴子さんと私は先ほど買ってきたアイスを食べながら、夜空に咲く大輪の花を見上げた。


「ねぇ、ブルーハワイってどんな味なの?私、食べたことないんだけど」


「味見してみますか?」


 私は持っているスプーンでかき氷を掬い、冴子さんに差し出した。


「美味しいですか?」


「うーん、何の味なんだろう、これ」


「口に合わなかったですか?」


「美味しいけど何の味か分からない」


 と首をかしげている。


 そんな姿がとても可愛らしく見えた。 


「私も冴子さんのかき氷味見したいです。いいですか?」


「いいよ」


 と返すや否や肩を抱き寄せられ、唇を奪われた。


 花火が打ち上がる音が鼓膜と体に響く。


 いくつもの花火の音を見送った後、冴子さんは私から離れると「美味しかった?」と何事もなかったかのようにに言う。


「すみません、よく分からなかったので、もう一回味見させてくれませんか?」


 私は冴子さんの浴衣の袖を掴んで自分の方へ引き寄せた。


 冴子さんは優しさと妖艷さがない交ぜになった目で私を見つめている。


 今日初めて見た浴衣姿が艶かしく、胸をときめかせていた。


「ちゃんと分かるまで教えてあげる」


 かき氷が溶けるのも構わずに私たちは花火の明かりに照らされながら何度も唇を重ねた。





5 休みが明けて



 楽しかったお盆休みが終わり、またいつもの日常に戻った。


 私と冴子さんは満員電車に揺られて会社から帰宅する途中だ。


 人の熱気でクーラーの効果がなくなった箱の中で、私は冴子さんと抱き合ってるかのように向かい合っていた。


 乗客に押されて強制的に冴子さんの胸元に顔を押しつける羽目になってしまう。


「大丈夫?痛くない?」と冴子さんが耳元で話す。


「大丈夫です」


人前でもこれならいくら密着してても変な目で見られることがない。


 少し前までは冴子さんの柔らかい体に包まれているとドキドキしたのに、今はとても安らぎを感じている。


 私はどうせ誰にも見えないからと冴子さんの腰に腕を回すと、冴子さんも左腕で私を抱き寄せた。


 お互い顔を見合わせる。


 満員電車の中で出来るちょっとした秘め事だった。



 降車駅に付き私たちは素知らぬ顔で離れ電車を降りた。


 冴子さんは歩くのが早いので、すたすたと階段を降りてゆく。


 私が壁に手を付きながらとろとろ降りているので

「奈津、遅い!」

 階段を戻って来た冴子さんに怒られた。


「何でいつものろのろ降りるの!?」


「ごめんなさい、こういう駅の広い階段苦手で⋯。周りに人がいると段差を見落としそうで⋯」


 冴子さんは何を言ってるのか分からないと言いたそうな顔で私を見上げている。


 この話をすると大概理解されないので、冴子さんがそんな態度でも仕方ない。


「人がたくさんいる駅の階段って壁とか手すりに掴まってないと転げ落ちそうで怖くて⋯普通の階段は平気なんですけど⋯」


「じゃあ、掴まれば」


 冴子さんはこちらに背を向け右腕を差し出した。


「ありがとうございます」


 私は冴子さんの腕を掴みながら階段を降りた。


「すみません、階段が怖いなんて子供みたいなこと言って」


「別に。もっと早く言ってくれればいいのに。暑いから何か飲んで帰ろう」


「はい!」


 次の日から冴子さんに手助けしてもらいながら階段を降りるという習慣が増えた。





6 誕生日



 今年は八月最後の土曜日が私の誕生日だった。


(冴子さんにお祝いしてもらいたいな)


 と思いつつも今誕生日の話をしたらまるでプレゼントを催促するみたいで言い出せなかった。


(誕生日はまた来年もあるし⋯)


 金曜日の夜、私と冴子さんは駅に向かって歩いていた。


 あと数十歩で駅に着くというところで

「会社にスマホ忘れた。奈津、先に帰ってて」

 そう言うと冴子さんはこちらの返事も待たずに踵を返してしまった。


(冴子さんが忘れものするなんて珍しい)


 私は一人電車に揺られ駅に降りた。


 駅の傍のスタンドでフルーツジュースを買って冴子さんを待っていた。


 スマホを取りに戻っただけなのだからすぐに来るだろうと思ったのになかなか冴子さんの姿が現れない。


 結局、三十分待っても冴子さんと会うことはできなかった。


(気づかなかったのかな)


 もしそうなら冴子さんの方が先に家に帰宅することになる。


(私が後から帰ったら怒られそう⋯)


 慌てて私は自分たちが住むマンションに向かった。


 しかし家に戻っても冴子さんの姿はなかった。


(会社で誰かに捕まったのかも)


 冴子さんでも先輩や上司に誘われたら断れない。


 今頃どこかに呑みに連れて行かれているのかもしれない。


 そんな事を予想していたら丁度冴子さんから「遅くなる」と一言だけラインが届いた。


(しょうがないか)


 私は諦めて夕飯の仕度を始めた。



 九時を過ぎた頃、私は冴子さんが帰って来た音で目が覚めた。


 どうやらテレビを見ているうちに眠ってしまったらしい。


「⋯おかえりなさい」


「うん、ただいま」


 冴子さんは着替えると台所に立ってご飯の用意をしている。


「食べてこなかったんですか?」


「⋯⋯奈津が作ってると思ったから」


「⋯⋯」


「⋯もったいないでしょ、せっかく作ってくれたんだから」


 私たちは普段、冴子さんがご飯を作り私が片付けをしている。


 冴子さんは意外と言ったら失礼だけど料理が得意で作るのも好きな人だ。


 どちらかが遅くなる場合は早く帰った方が作ると決めている。


「冴子さんどうせ部長あたりに連れ回されてたんでしょう?ご飯の仕度は私がしますから、冴子さんは座っててください」


 料理スキルで言えば冴子さんの方が圧倒的に上だ。


 私が作るより断然冴子さんが作った方が美味しいご飯になる。


 それでも冴子さんは私が作ったご飯を楽しそうに食べてくれるのが嬉しかった。




 私は冷蔵庫を開け、今日作ったおかずを取り出そうとしてあるものに気づいた。


 私が帰って来た時にはなかったものだ。


 それは白い四角い箱だった。


 箱には二人で何度か足を運んだことがある洋菓子店の名前が入っていた。


『私いつかこのお店のフルーツタルトを自分の誕生日ケーキにするのが夢なんです』


 以前冴子さんにそんな話をしたのを思い出す。


「冴子さん、この箱⋯」


「ケーキよ、ケーキ。見れば何となく分かるでしょ」


「わざわざ買いに行ったんですか?」


 このお店があるのは会社から家とは逆方向になる。


「奈津、明日誕生日でしょ」


 私は冴子さんを思いっきり抱き締めた。


「知ってたんですか、私の誕生日」


 冴子さんは優しく私の頭を撫でてくれる。


「逆に何で知らないと思ったの?」


 知ってて当たり前と言わんばかりの言い草だった。


 最初の頃は名前で呼んでくれなかったし、「あんたなんか暇潰し」と言われていたのに。


「冴子さん、私って今でも暇潰しなんですか?」


 なんて返って来るのだろ。私は少しドキドキしながら冴子さんの顔を見上げた。


「そうよ。暇潰し。退屈な時間が奈津といるとなくなる。ずっと楽しい時間が続くんだから最高の暇潰しでしょ?」


 誇らしげに笑うと冴子さんは私にそっとキスをする。


 私は人生で一番幸福な誕生日を過ごした。





 月曜日、いつものように冴子さんと出勤する。


 私の左肩には冴子さんからもらった誕生日プレゼントのカバンが掛かっていた。




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