冴子さんと私

砂鳥はと子

第1話 冴子さんと私

 1ヶ月前、私は会社の先輩の冴子さえこさんと付き合うことになった。


 前からずっと気になっていた先輩に断れるのを覚悟で呑みに誘った。


「美味しいお酒が呑めるなら一緒に呑んでもいいけど」


 普段あまり笑顔を見せない冴子さんが少し楽しそうに笑みを浮かべているのを見て、私は内心ガッツポーズをした。





 大分酔いが回って来た頃、私は思いきって冴子さんに

「彼氏さんどんな人なんですか?」と探りを入れた。


 社内でも美人で仕事もできる冴子さんがモテないわけがないのだけど、人づてにフリーらしいと聞いて本当かどうか確かめたかった。


「今は一人」


「へぇ~意外ですね。私が男なら冴子さんみたいな素敵な人、絶対落としに行きますよ!」


藍田あいだは男じゃないから落としには来ないってこと?」


 全くもって予想外の返答に私は持っていたグラスを落としそうになった。


「⋯女が落としに行っても冴子さんは落ちてくれるんですか?」


 平然を装いながら、でも内心では耳元にも聞こえるくらいに心臓がドキドキしていた。


「男とか女とかそんな些末なこと、どうでもいいでしょ」


 当たり前のことを聞くなと言わんばかりの態度に私は思いきって


「それなら、私冴子さんと付き合いたいです。冴子さんの彼女になりたいです」


 と言った。はっきり言った。


 決してこれは冗談ではないし、酔って頭が回ってないわけではない。


 私は冴子さんの手を握りしめ本気の想いが伝われと必死に見つめ返した。


「別にフリーだからいいけど?」




 こうして私は冴子さんと付き合うことになったのだけど、どうして私と付き合ってくれたのか分からない。普段は態度もそっけなく

「あんたなんか暇潰し」と平気で言う。


 美人で聡明で、だけどいつも人を寄せ付けない冴子さんにしてみれば彼女の言うように暇潰しなのだろう。

 男でも女でも選び放題であろう冴子さんと付き合えることになったのはほんの気まぐれだと思っていた。



 昨日、社内の食堂で私は以前お世話になった他の部署の先輩と話していた。


 冴子さんにも負けない美貌と誰にでも分け隔てなく優しい先輩。


 私は彼女と楽しく話ながら昼食を食べていた。

 食堂を出たところで、冴子さんが不機嫌な顔をして壁にもたれて立っていた。


「ちょっと藍田こっちに来て」


 冴子さんに呼ばれ私は人気のない会議室に放り込まれた。


「ねぇ、あんた誰の彼女?」


「も、もちろん冴子さんですよ」


「いい? あんたは私だけ見てればいいの。分かった?それともあの女の方がいいわけ?」


 冴子さんは私に乱暴にキスをすると何事もなかったようにいつものクールな顔でその場を去った。


 私のことなんか「暇潰し」って言ってたのに、ずるい。



 私はそれから時々、わざと他の人に愛想を最大限に振り撒いては冴子さんを怒らせた。


 一体何度、職場で冴子さんにキスされたか分からない。


 そして今日も何度目か分からないキスをされた。


「今更ですけどさすがに会社はまずくないですか、冴子さん。お仕置きなら外で受けますよ? いくらでも」


「いい度胸ね」


 冴子さんは怒っているような楽しそうな複雑な顔をして私を見ていた。


 去り際に

奈津なつ、あんた家に来なさい。あんたが住めるくらいのスペースはあるから」


 付き合ってからもずっと名字で呼んでいたのに急に名前で呼ぶ上に、家に住めなどと言われて、私はきっと間抜けた顔になっていただろう。


「⋯同棲のお誘いってことですか?」


「文句あるわけ?」


「ないですよ、全然」


 私は満面の笑みで返した。


 冴子さんは本当に素直じゃない。


「私は冴子さんの彼女ですから」


 でも私はそんな冴子さんが好きだ。

 多分、ずっと。


 だから冴子さんも、私のことだけ見ててくださいね。

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