第4話 竜のなりそこない
「ああ、まったく骨が折れますね。片方だけノースリーブになってしまいました」
処刑人が切断された右腕の断面を合わせる。ララの鋭い太刀筋により組織が潰されなかったその傷口は、処刑人の驚異的再生力も相まって、あっという間にくっついた。処刑人は右腕の調子を調べるために、手の閉じたり開いたりを繰り返した。
「今回は折ったのではなく切られたんですけどっ」
処刑人が不意に跳ぶ。そして、主祭壇の脇に着地し、その陰にずっと隠れていた者を引きずり出した。
「さて、あなたはどなた」
「ごめんなさい。殺さないでください!」
処刑人が引きずり出したのは、みすぼらしい女だった。写真にはなかった顔だが、吸血鬼のようだった。女が着ている作業着は血汚れが目立ち、髪はボサボサ。体臭から察するに何日も風呂に入っていなさそうだと、処刑人は判断した。
「それは貴女次第です。ここでなにをしていたのですか。名前は?」
「私はなんというか……ええっと、雑用をしてました。名前はエイリーン!」
「なるほど、エイリーン。貴女は『至高の血脈』のメンバーですか?」
処刑人は優しく、なだめるように言った。
「いいえ、違います。私はただの深夜清掃員で、やつらにさらわれて、こき使われてただけで……。助けてください、殺さないで……。お願いします。死にたくないんです」
エイリーンは涙ながらに処刑人の足に縋りついた。処刑人はエイリーンの心音、汗、呼吸の乱れから判断して、彼女が真実を語っていると確信する。
処刑人はしゃがんで、エイリーンと視線を合わせた。
「私は貴女を殺しませんよ。エイリーン。殺すのは『掟』を破った吸血鬼だけです。私が貴女を保護しましょう。本来は私の仕事ではありませんが、ついでなので」
「本当ですか……」
エイリーンが涙を拭いながら言った。
「その代わりと言ってはなんですが、少し教えていただきたいことがあります。残りの『至高の血脈』のメンバーはどこにいるのかわかりますか?」
「あなたがくる直前、隠し階段から聖堂の地下にある墓所に入っていきました。ここです」
エイリーンは主祭壇の前に敷いてある絨毯の端を捲った。そこには古びた木製の落とし戸があった。
「なるほど。もう一つ、ここ数日前、タンクや紡績機の搬入があったみたいですが、彼らはそれをなにに使うつもりだったのでしょうか」
「タンクや紡績機は地下墓所に置かれています。彼らは『竜を織る』と言ってました」
「『竜を織る』とは?」
処刑人は首を傾げた。
「わかりません。なにかの比喩か、暗号だと思うんですが、それ以上は……。それと、地下の墓所には他にもたくさんの人間や吸血鬼が連れ込まれていました」
エイリーンはおずおずと言った。
「ふむ、旗でも織っていたのでしょうか」
処刑人は腕を組んで言った。
「えっ、旗……ですか?」
いきなり、素っ頓狂なことを言いだした処刑人にエイリーンは驚いた。
「竜といえば、始祖ドラキュラ公。ドラキュラというのは、もともと竜の息子と言う意味ですから、『至高の血脈』が竜を自分たちの象徴として掲げるのは自然なことです。この占拠した要塞聖堂に相応しい大きな旗を織ろうとしていたのなら、人手も要る」
処刑人はこれ以上なく真剣な面持ちで言った。
「は、はあ。そうでしょうか」
エイリーンは引きつった笑みを浮かべて言った。先ほどまで死の権化のようにふるまっていた処刑人が、間の抜けた推測をするのを、どう解釈したらいいのかわからなかったのだ。
「タンクは、そうですね……」
処刑人は自分の顎を撫でた。
「わかりません。まあ、どうでもいいですね」
「ええっ?」
エイリーンは驚いた。
「推測にも限度がありますから。実際、地下にいってみればわかることですし」
処刑人は言った。自分で聞いておいてなんて言い草だと、エイリーンは思ったが、その考えをぐっとのみ込んだ。
「情報提供ありがとうございます。それではこれを」
処刑人は懐から小さなチタン製ケースを取り出し、その中に入っていた名刺をエイリーンに渡した。その名刺には『イーコール製薬 オリビア・スミス 補佐 生産管理部』と書かれていた。
「これは……?」
「私の名刺です。偽のですけどね。社会的立場というやつです。製薬会社の社員が、世界を飛び回って各地の生産工場の様子を見て回っている。というストーリーです。まあ、それはともかくとして、その名刺があればあなたは家に帰れるはずです」
「家に帰れるんですか!」
エイリーンは喜色を疲れた顔ににじませた。
「この要塞聖堂を囲むように、イーコール製薬の社有車、多分白塗りのバンが詰めています。ここから出て行って、そのバンを探してください。社名が大きく車体に書かれているからすぐわかると思います。そのバンの中にいる人たちにこの名刺を見せて、『処刑人から保護すると言われた』と言ってください。それで貴女は家に帰れるはずです。途中で事情聴取ぐらいはされるかもしれませんが、それだけです」
処刑人は言った。
「あ、ありがとうございます」
「私が無線機や携帯電話で『血盟』本部に連絡が取れればいいんですけど。私、そういったものをすぐに壊してしまうので、持ち歩かないのです」
処刑人は申し訳なさげに言った。処刑人の驚異的身体能力による戦闘中の高Gは、繊細な電子機器の類には耐えられない。
「見張りはどうすればいいんですか。もし見つかったら……」
エイリーンは不安げに言った。彼女は戦闘や身体能力に優れた吸血鬼ではなかった。
「大丈夫です。全員殺しましたから、堂々とここを出ていけますよ」
処刑人は笑って言った。
カビ匂いと死の匂い。処刑人は石造りの隠し階段を下りながら、最後の血液パックを飲み干した。処刑人の身体に、結晶針を飛ばしたことで失われた血と活力が戻ってくる。
写真の十人も残すはあと二人だけ。『至高の血脈』の実質的リーダー、アレク・ドゥミトレスクとその妹のアディナ・ドゥミトレスク。彼らが愚か者でなければ、この地下になにか切り札を隠しているはずだ。いずれにせよ、いまはこの虎穴に足を踏み入れるしかない。処刑人はそう思った。
処刑人が最後の階段を降りると、テニスコート一枚分ほどの地下空間があった。歴代の修道士が埋葬されていたはずの地下墓地には、新しい死体が山積みになっている。吸血鬼や人間の死体。その全てがミイラのようにカラカラに乾いていた。何者かがその血を吸って、命を奪ったのだ。
「来たか、処刑人」
男の声が地下墓地に響いた。処刑人はその男の顔に見覚えがあった。アレク・ドゥミトレスク。しかし、その姿は異形と化していた。
いまや、アレクの腰から下は赤黒い竜としかいえないものに接続している。よく見れば、その竜体は赤い糸のようなもので構築されているのがわかる。トカゲに似た身体とコウモリに似た翼を持ち、しかし、首を欠いた竜。その首のあるべき場所にアレクの上半身がある。
「仮装大会ですか。楽しそうですね、私も混ぜてくださいよ」
処刑人はアレクの方に歩きながら、露わになっている右腕の肘裏から手首に掛けてを、左手の爪で引き裂いた。傷口から滲み出した血は滴ることなく、彼女の全身を覆っていき、結晶の甲冑と化す。
「私は無敵になったのだ。血の竜との一体化によってな。見るが良い。この力!」
山積みとなった死体にアレクがトカゲの前脚を振り下ろす。凶悪なかぎ爪が死体を一瞬で八つ裂きにし、粉微塵にし、吹き飛ばした。ロケット弾でも爆発したようなありさまだった。
「この竜体でヒトを殺し尽くし、ヒトに闇と吸血鬼の恐怖を思い出させてやる。ハハハ!」
アレクは笑った。
「ふむ、あなたもなかなか回りくどいことをしますね」
処刑人は言った。
『竜を織る』というのがまさか言葉そのままの意味だったとは、まったく驚きだ。なんという執念。酔狂という他ない。処刑人はそう思った。
あの竜は血によって編まれている。『
恐らくは、大量のヒトの生き血を使い、血を糸状にする能力を主軸に複数の吸血鬼の『血業』を組み合わせたのだろう。竜の胴体部分にも吸血鬼の気配を感じる。きっと、妹のアディナが入っているのだ。
なんと邪悪な二人羽織か。処刑人はそう思った。
「処刑人よ。おまえも純血の吸血鬼だと聞いた。ならばわかるだろう。ヒトは悪意に満ち、惰弱で、堕落した生き物だ。生きる価値のない下等生物だ。滅びて当然の種族。なぜ、高貴な我々がヒトの顔色を伺って生きていかねばならん。間違っている。そうは思わないか」
アレクの表情は怒りに満ちていた。
「私からすれば、あなたを含めた他の吸血鬼こそ、悪意に満ち、惰弱で、堕落した生き物ですが、生きる価値がないとは思いません。私が吸血鬼を殺すのは、ただ使命に従い、処刑人として『掟』から逸脱した吸血鬼を狩らねばならないからです。己の価値を証明するために」
処刑人は言った。
「己の価値を証明するためだと」
「そうです。私はかつてこの身体の不具のために、劣等の烙印を押され、名を奪われました。その不名誉は私の両親にも及び、父は消え、母は精神を病むことに。私のためにも、両親のためにも、私は己の名誉を回復せねばなりません。最高の処刑人として吸血鬼の歴史に名を刻み、『血盟』の元老院――いや、私を劣等と蔑んだ全ての吸血鬼たちを見返してやるつもりです」
処刑人の瞳には固い決意の炎が宿っていた。
「おまえこそ、回りくどいことを。『血盟』の老人たちがそんなに気に入らないのであれば。殺してしまえば良いだろう」
「老人たちを殺すのは造作もないことです。しかしそれでは、私がだた多くの吸血鬼を殺したならず者として忘れ去られるだけ。そうなれば、名誉の回復などされるわけがない」
「だから三百年の間、仇である連中に従ってきたというのか? ふん、おまえは所詮、腰抜けの犬だ」
アレクはあざ笑うように言った。
「破壊するのは簡単なこと、ただ、変えるとなれば時間がかかります。私はこの仕事をじっくりやるつもりです。別に、急いではいませんから。ただ、何千年かかろうが、私は名誉と真名を取り返してみせるつもりです」
処刑人は断固とした口調で言った。
「あなたも本気でこんな短慮な方法で世界を変えられるとは思っていないでしょう。吸血鬼は滅多に子をなせませんが、ヒトはどんどん増えます。吸血でのヒトの転化なくして、吸血鬼の存続は考え難い。吸血鬼が生きていくのにヒトは必要ですが、ヒトが生きていくのには吸血鬼は必要ありません。となれば、共生以外に道はないでしょう。吸血鬼至上主義と言う思想そのものが、自己矛盾を抱えています」
「ヒトなど力で支配し、奴隷にしてしまえばいい!」
アレクは吼えた。
「まあ、昔ならそういった手も使えたかもしれませんが、ヒトは力を付けました。現代では吸血鬼狩りの手段などいくらでもあります。前時代でさえ、吸血鬼は絶滅寸前まで追い込まれました。あなたの両親もそれで命を落としたはず。私でも戦車小隊には勝てません。いまのあなたでもね」
処刑人は肩をすくめた。
「両親のことを言うな!」
アレクはかぎ爪のついた前脚を振るった。処刑人が身を屈め、破壊的な一撃を避けた。
「あなたが本気で両親の仇を取りたいと思ったのなら、もっと思慮深く行動すべきでしたね。私との無駄話に夢中になって時間を稼がれたばかりに、翼の先がもう……ほら、ほつれていますよ」
処刑人はアレクのコウモリに似た翼を指差した。アレクがそちらを見る。確かに血の糸で精緻に編まれていたはずの翼が、先端からほつれ、形を失いつつあった。
「馬鹿な――」
唖然としているアレクに処刑人が飛びかる。処刑人は右足に纏う結晶を変化させ、脛に角鉈のような刃をつくった。身を守るべく、アレクが反射的に処刑人へ手をかざした。
処刑人が跳びあがりながら、右足でアレクに蹴りを見舞う。
「ぐおっ」
アレクの左腕が飛んだ。左腕は前腕の中ほどで切断されていた。アレクの傷口から血が迸る。だがそれは一瞬だけだった。
「はあっ」
アレクが自らに活を入れると、出血は一瞬で止まった。
「やはり、血液の操作に長けているようですね。それで竜を制御している」
処刑人は宙で一回転し、アレクの背後へ着地した。
「舐めるなよ。おああっ!」
アレクは尻尾を横なぎに振るうために長いトカゲの身体を捻った。処刑人が腰を落とし、身を丸める。処刑人の右半身に数多の柱状結晶が発達した。処刑人は半身だけ針のむしろと化した。
アレクの尻尾が振るわれる。衝撃。尻尾が処刑人を弾き飛ばし、石壁に叩きつけた。
「くそっ、こんな……」
アレクは上半身を捻って後ろを向いた。攻撃した方であるはずのアレクの尻尾は、ズタズタに引き裂かれ、血の糸がほつれて無残な姿になっていた。
石壁に叩きつけられた処刑人が立ち上がる。結晶の甲冑には全体にヒビが入っていたが、足取りはしっかりしており、大きなダメージはなかった。結晶が砕けることで、衝撃を緩和したのだ。
「それだけ大きくて複雑なものを『血業』で維持しつづけるのは無理があります。私の
処刑人は身体の調子を確かめるように、首を左右に傾げた。
「だまれええっ」
アレクは吼えた。アレクと竜体との境目の下あたりに裂け目ができる。三日月のような裂け目から勢いよく血が吹き出し、その血が自然発火する。哀れな犠牲者たちの『血業』によって再現された、冒涜的な
処刑人は壁や天井を蹴って跳ねまわり、
むしろ、地下空間の温度上昇によって追い込まれるのはアレクの方である。処刑人は全身を結晶で保護しているが、アレクの上半身は剥き出しだ。彼は完全に冷静さを失っていた。
「必ず俺がおまえを殺す!」
不意に、竜体が火を吹くのを辞め、羽ばたいた。地下墓地の天井が突き破られ、地下空間が崩壊する。なりそこないの竜が聖堂の天井も突き破って、月夜に羽ばたいた。
遅れて、瓦礫が炸裂する。折り重なる石と、木材と、瓦の破片の中から処刑人が飛び出した。
「あら、まずいですね」
処刑人が空を見上げると、身を崩しながらも、月に羽ばたいていこうとする赤い竜が見えた。長くは持たないだろうが、墜落した先で逃げられれば、追跡は困難だ。
勢いよく処刑人が右手を天にかざす。すると、全身を覆っていた結晶が右手に集まっていき、長さ数メートルの巨大な赤黒い結晶の投げ槍となった。これは処刑人にとっても博打だった。もし、この投げ槍を外せば、大量の血を無意義に失うことになる。そうなれば余力を失い、アレクたちを仕留めるのは難しい。だが、処刑人は決断的に行動した。
処刑人は駆けた。両足で踏み切り、辛うじて残った聖堂の外壁、その上へ。屋根を蹴り、宙へ躍り出る。
「墜ちろ!」
処刑人は神代の英雄たちがそうしたように、槍を全力で投げた。音に迫る速さで投げられたその槍は、緩い放物線を描き、赤い竜へと迫った。
竜の輪郭を失いつつも、アレクは飛び続けていた。
「止めろ! アディナ」
空中でアレクは振り返って叫んだ。そこには、ほどけていく竜体とそのほつれた血の糸の中に見え隠れする妹アディナの姿がある。処刑人に敵わないと判断したアディナが、竜体の制御を一時的に奪って、この逃走を行っていたのだった。アディナも兄と同じく血の操作に長けていた。
「アレク、ここは一旦逃げて、再起を――」
アディナは最後まで言葉を紡ぐことができなかった。
アレクの両目が見開かれる。彼が最後に見たのは、最愛の妹を貫いて迫る赤黒い槍の穂先だった。
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