第3話 双子の剣士

 処刑人はメアリーの死体をゆっくりと下した。

「灰となりしあとは、せめて安らかならんことを」

 処刑人はつぶやくように言った。処刑人の身体を覆う結晶の形が崩れる。液体に戻った血は、皮膚に穴を開け、体内に帰って行った。

「ああ、まったく疲れますね。思ったより血の消費が激しい。」

 処刑人は背伸びをしてから、懐から支給された血液バックを取り出し、中身を飲み始めた。若い処女の血、芳醇で混じり気のない精気の香り。処刑人は失われた活力が漲るのを感じた。出撃前の景気付けに一パックはもう飲んでしまっているので、あと一パックしか残っていないのが惜しまれる。

「首は最後に回収するとしますか。面倒ですけど。やはり、助手が欲しいですね」

 処刑人はため息をついた。近年、『掟』を破る吸血鬼の数が急増しており、処刑人は多忙を極めていた。助手が欲しい。処刑人は心の底からそう思っていた。なにも戦闘のプロである必要はない。ただ、 報告書の作成や、アシの確保、雑用を手伝ってくれるだけでいい。シスター・トゥルーラヴにも要請してはいるが、反応は芳しくなかった。当分は孤独な戦いを強いられるだろう。

「さて、後五人。もう一息、とはいえ――」

 写真の十人の内、すでに五人は始末できた。残りはあと五人だ。その五人も聖堂にいるのは見当がついている。だが一つ、不安があった。

 本来、彼らには派遣された処刑人を倒すほかに、生き残る方法などないはずである。ならば、出し惜しみなどせずに、全員で戦うのが最も効率的なはずだ。だがしかし、相手は戦力を分散してぶつけてきている。戦力の逐次投入の愚をあえて犯しているのだ。まるで時間稼ぎをするように。

 実際、こうして隙を晒しているのに、乗って来ない。気配はある。何者かがこちらの様子を伺っているはずだが、攻めてはこない。なにかおかしい。

 要塞聖堂への物資搬入も気になるところだ。タンクと紡績機。なにに使おうとしているのか、さっぱりわからない。

 血を最後の一滴まで飲み干した処刑人は、空になったパックを丁寧に折り畳み、懐に仕舞った。ゴミになるからだ。

「先に進むしかなさそうですね」

 そして、処刑人は跳んだ。罠があろうが、策があろうが、踏みつぶすのみ。雪辱を誓い、三百年間ひたすら磨き続けた処刑人としての技は、断じて安いものではない。

 猫のように滑らかに、処刑人は聖堂の正面扉の前に着地した。


 聖堂の正面扉を開け、処刑人が聖堂の中に入る。聖堂の中は静まり返り、静謐な月の光だけが、内部を照らしている。気配は四つ、しかし、目に見えるのは二人だった。

 二人は瓜二つだった。同じ黒髪を同じおかっぱ頭にして、同じ黒レザーのコートを同じように着て、同じ剣を腰に提げて、主祭壇の前に鏡合わせのように立っている。

 写真で見た顔だ。処刑人はそう思った。

「ようこそ、処刑人。私はラナ。」

「私はララ」

 二人は同時に会釈をした。

「これはどうも、ご丁寧に。私は『血盟』の処刑人。あなたたちを殺しにきました」

 処刑人は会釈を返した。

「私たちはあなたに会えるのを心待ちにしていた」

「剣士として、あなたと戦いたい」

 二人は同時に剣を抜いた。それは、一種のロングソードだった。刀身には木目のような紋様がある。多積層鋼を使い、吸血鬼の身体能力に見合うようにつくられた逸品だった。

「銃などと言う無粋な武器を使うのは二流」

「ヴァシェ家の剣技をお見せしよう」

 二人が同時に構えた。腰を落とし、右足を前へ。柄を両手で持ち、右肩近くで構えて、切先を相手に向ける。牡牛の構えだ。

「私からすれば、武器を使う時点で二流ですが」

 処刑人は両手を強く握った。爪が自身の手のひらに刺さり、血が指の間から滴る。その血が固化し、結晶が成長する。

 数秒後、処刑人の両手には赤黒い結晶でつくられた大型の剣鉈があった。

「少し、遊びに付き合って差し上げましょう」

 処刑人が剣鉈の刃先を手招きするように動かした。

 瞬間、ラナが右へ、ララが左へ跳んだ。聖堂内に置かれた長椅子の背もたれを蹴り、一気に処刑人へと肉薄する。二つの鋭い突きが処刑人を襲う。

 処刑人は二人の剣先を撫でるように剣鉈で受け、突きをそらした。ラナはそこから手首を返し切り上げを、ララは切り下げを放つ。処刑人は二人の斬撃を剣鉈の刃の中ほどで受けた。剣鉈に二人の剣が食い込み、白いヒビが入る。

 好機と見たラナとララは剣をさらに押し込んだ。

『ラナ、こいつの結晶は鋼より強いわけじゃない。脆い!」

『弾丸を防げるのはむしろこの結晶が砕けて、衝撃を吸収してたからなんだ。私たちの剣技なら、こいつを殺せる!』

 二人は言葉なき言葉で意思を伝えあった。


 ラナとララの血の業は、いわば一種の血の共鳴とも言うべき現象だった。血は吸血鬼の本質であり、訓練された吸血鬼は、ある程度自らの血液を操作することができる。双子のラナとララの血質は非常に似通っており、二人は近くにいるのであれば、互いの血液を操作することができた。これにより、彼女らは感覚と意思を共有し、互いに通じ合うことができるのだ。


 処刑人は尋常ならざる速度で跳び退き、壁を蹴って天井に飛び、さらに天井を蹴って主祭壇の前に着地した。

「処刑人、あなたは無敵じゃない」

 ラナは距離を取った処刑人を見つめながら、得意げな顔で言った。

「いまの一合でわかった。剣の腕も私たちの方が上だ」

 ララが言った。ララもラナとまったく同じ顔をしている。

 処刑人がヒビの入った剣鉈を見る。彼女は手首を返して剣鉈をぐるりと回した。すると、血がヒビに染み渡っていき、固化する。ラナとララの剣を受けてへこんだ部分にも血が行きわたり、補修が行われた。

「剣術よりも口の方が達者なようで。『吠える犬はめったに噛まぬ』という言葉がありますが、本当のようですね」

 処刑人は鼻で笑った。

「ぬかせっ」

 ラナとララは処刑人に飛びかかった。


 処刑人はラナとララの完全な連携攻撃をいなしながら、聖堂内部の気配を探っていた。聖堂内にある四つの気配の内、二つはラナとララであり、一つは主祭壇の陰に隠れてそこから動かないのは掴んでいる。問題は、残りの一つだった。

 恐らく、聖堂の外での戦闘を観察していたのと同一人物だろう。しかし、聖堂内に気配を確かに感じるものの、どこにいるかまではわからない。気配はすれども、姿は見えず。子ネズミの心音まで聞き分けられるほど鋭い感覚をもつ処刑人にとって、それは奇妙な感覚だった。

 隠蔽系か幻覚系の『血業』の持ち主とみえる。何かしらの方法でこちらの五感をごまかしているのだ。

 処刑人はその一人にこちらを攻撃させるために、ラナとララのとの剣戟の中で、あえて何度か隙をつくっていた。全身を結晶で覆っていないのもそのためである。だが、その誘いにも乗って来ない。相当な手練れに違いない。処刑人は推測した。


 処刑人がラナの振り下ろしを身を捻って躱し、ララの切り上げを剣鉈で弾く。

「そろそろ、飽きてきたでしょう。少々強引ですが、らちを開けましょうか」

「なにを言ってる!」

 処刑人は怒りの籠ったラナの突きを剣鉈でそらし、長椅子を蹴りつけた。長椅子が粉砕され、破片がラナとララに降り注ぐ。二人は卓越した剣さばきで破片を全て叩き落とした。

 後ろにステップを踏んで、二人と距離を取った処刑人が、両手を天に突き上げて組む。剣鉈が形を崩し、組んだ両手へ血が球状に集まった。血の球から針状結晶が発達し、ウニのような、いがぐりのような形を取った。

「まずい!」

 危機を察したラナとララは半身を切り、互いに剣を処刑人に向け、身を寄せ合った。

「弾けろ」

 処刑人がつぶやくように言った。

 血の球が炸裂した。処刑人の突き上げた両手を中心に、血の結晶針が全方位に撃ちだされる。結晶針が聖堂の壁や天井、床に至るまで満遍なく突き刺さり、窓ガラスを割り、長椅子を破壊した。

 ラナとララが結晶針を二人で迎え撃つ。しかし、同時に迫る結晶針を全て叩き落とすことはできなかった。ラナの右肩に、ララの左脛に結晶針が突き刺さる。

 そして、もう一人、数多の結晶針を受けてしまった者がいた。

「くそったれが。なんて無茶苦茶なことしやがる」

 長椅子の破片に塗れて横たわるマイケルは苦痛に呻きながら言った。

 針だらけになった彼の右手には銀のダガーが握られている。彼の『血業』は光を屈折させ、音を吸収する血の霧を生じさせることで、身を隠すというものだった。その能力を使い、処刑人に不意打ちをしかけようと考えていたのだ。

「こんな風に、俺が」

 動けないマイケルに処刑人が猛然と襲いかかる。負傷したラナとララはそのカバーに間に合わなかった。

 処刑人はマイケルの胸を蹴り潰した。マイケルは即死した。

「おおおっ!」

 剣を左手に持ち替えたラナが一瞬早く、処刑人を射程に捉える。ラナの突きを処刑人は身を捻って躱した。右足だけで跳躍したララが、処刑人を袈裟に切りつける。処刑人は、身を屈めて斬撃をやり過ごした。

 いま、処刑人は素手だ。しかも、さきほどの攻撃で大量に血を消費している。たたみかけるならここしかない。そう判断したラナとララは決断的に猛攻を仕掛けた。

 ラナの足先を狙った下段への突きで処刑人の体勢が崩れた。ララが切り上げる。処刑人の右腕が肩から切り落とされた。

「取った!」

 ララが歓喜に叫んだ。

 処刑人の肩口から血が噴き出す。その血は意思を持って動き、意味のある形を取った。血が固化し、処刑人の肩口に赤黒い結晶でできた穂先が備わる。

 ララは自らの早合点を悔いた。

「甘い」

 次の瞬間、ララの胸が処刑人の穂先で貫かれていた。

「ララ!」

 ラナが叫んだ。ララの血が、生命が、流れ出ていく。

 ラナはいつもそばに感じていたララの感覚と意思が薄れていき、妹の魂がどこか遠くへ去っていくのを感じた。

 処刑人が切断された自分の右腕の手首を左手で掴む。そして、動揺して動きを止めてしまったラナに対して、水平に振るった。右腕の切断面からこぼれる血が、刃を形作る。その刃が、ラナの右腕を切断し、あばらを裂き、心臓を真っ二つにした。

 ラナは最後の一瞬、力を振り絞り、ララの方へと倒れ込んだ。双子の姉妹の死体は、折り重なるようにして、聖堂の床に横たわった。

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