第2話 すてごま

 要塞聖堂の中心にある聖堂、その正面扉を開け、一人の男が入ってきた。聖堂の主祭壇近くには、四人の吸血鬼がいる。窓から入ってきた月光が、彼らの青白い肌を妖しく照らす。

 彼らは過激派吸血鬼至上主義者団体『至高の血脈』の中核メンバーであり、処刑人が狩るべき十人の中でも、最も危険な吸血鬼たちだった。

「上の見張りが全滅した。腕利きの傭兵が五人もいて二十秒持たないとは。処刑人が空から来るのはアレクの読み通りだったがな。さすがは処刑人といったところか」

 いましがた聖堂に入ってきた男、マイケルが自身の髭を撫でながら言った。彼は名門イオナスク家の四男で、その優れた才覚を持て余していた所を、アレクに誘われ、『至高の血脈』のメンバーとなったのだった。

「所詮、ヒトあがりでは時間稼ぎにもならんか。アディナはどうだ?」

 アレクが言った。彼こそ『至高の血脈』の実質的なリーダーであり、最も過激な思想を持っている男である。

「あと二十分はかかると」

 ラナは言った。

「できるだけ急ぐけどって」

 ララは言った。

 ラナとララは双子の姉妹である。彼女らは懐古主義的な両親の元に生まれ、幼いころから吸血鬼至上主義思想と伝統的な剣術を叩きこまれていた。『至高の血脈』の中でも最も若いが、直接的な戦闘力では随一である。

「間に合わんかもな。無理に全部は織らなくても――」

「混血の奴らを迎撃に行かせる」

 アレクは冷たく言い放った。

「上の奴らと違って『至高の血脈』のメンバーだぞ。彼らも捨て駒にするのか?」

 マイケルは眉を寄せて言った。

「やつらは所詮半端者だ。真の同胞とは言い難い。その間に完成させる」

「ふん、まあいい。俺はおまえについていくよ」

 マイケルは肩をすくめた。

「我々の目的は必ず遂げてみせる」

 アレクは断固とした口調で言った。


 処刑人は防壁の屋根にいた見張りの死体を見下ろしていた。こいつも写真の十人ではない。

 見張りたちは確かに熟練した兵士だったが、あくまでそれは人殺しの熟練であり、吸血鬼殺しの熟練ではなかった。鉛の弾丸、鉄のナイフ。装備も人殺しのためのもの。身のこなしも吸血鬼の身体能力を活かせていたとは言い難い。『至高の血脈』が、間に合わせにヒトの傭兵を吸血鬼化させたのだろう。処刑人はそう推測した。

 大聖堂に純血の吸血鬼たちが集合しているのは匂いでわかる。だが、その前に相手にしなければならない相手がいるようだ。


 処刑人は首を傾げた。さきほどまで処刑人の頭があった場所を、弾丸が通り過ぎていく。処刑人の白い髪の毛先がチリチリと焼ける。

 紫外線曳光弾。いわゆる『暗い曳光弾』の一種であり、特殊な暗視装置を使うことで、味方にだけ弾道を知らせることができる最新の軍用品だ。これが吸血鬼殺しの道具として流用され始めたのは、ごく最近のことだった。

「よく躱したな。処刑人!」

 女の声が響いた。女は破壊された鐘塔の天辺に立ち、ボルトアクション式のライフルの銃口を処刑人に向けている。処刑人は女の顔に見覚えがあった。シスター・トゥルーラヴに渡された写真の一枚に写っていた顔だった。

「私の名前はメアリー・アン!」

 メアリーは月夜に吼えるように言った。

 狙撃手が名乗りを上げるのはなにか間違っているのではないか。処刑人はそう思った。

「ヒトに傅く『血盟』の犬、誇りを失って堕落した吸血鬼め。ここが貴様の火葬場だ。灰に帰るが良い」

 メアリーは笑みを浮かべた。

「貴様が特に光に弱いのは調査済みだぞ。一部で『陰画ネガ』『日傘持ち』と呼ばれているのも知っている。月の光ですら『日焼け』してしまうほど弱い肌。なるほどな、今日は日傘を忘れたようだな。日焼け止めは塗ってきたか? おまえはここで終わりだ。さあ覚悟を――」

 殺気。処刑人は瞬時に後ろ蹴りを放った。

「ぐえ」

 カエルの潰れるような声。処刑人の蹴りをまともに胸へ喰らった小太りの男は、胸骨を粉砕骨折し、骨片が心臓に多数突き刺さって、即死した。

「姑息ですね」

 処刑人はつぶやくように言った。彼女は自分の後ろに忍びよってくる者がいることにとうに気がついていた。メアリーの口上に気を取られているふりをして、近づいてくるのを待っていたのだ。

「ああ、フィリップ!」

 小太りの男の隣に立っていた細身の男が叫ぶ。男の右手には大型の鉈、左手には銀製のナイフが握られていた。小太りの男も、細身の男も、写真の中にあった顔だ。

 確認する前に、蹴りで頭を吹き飛ばさなくて良かったと、処刑人は思った。

「馬鹿、身を守れ。ニック!」

 囮作戦が瓦解し、動揺しながらもメアリーが発砲する。処刑人は身を屈めて弾丸を躱し、ニックの方に踏み込んだ。両手で突きを打つ。

「くっ」

 処刑人の諸手突きを、ニックは両手の武器で防いだ。鉈と銀のナイフの刀身が半ばから折れる。

 すかさず、処刑人は前蹴りを繰り出した。彼女の革靴のかかとが、空中で銀のナイフの破片を捕える。そのまま、蹴りがニックの眉間に打ち込まれると、銀の破片は、ニックの小脳にまで達し、生命活動を停止させた。

 フィリップとニックの死体が血の跡を残しながら屋根を滑り落ちていく。

「くそっ、ジェーン、ローランド。蜂の巣にしてやれ!」

 女が右から、男が左から要塞聖堂の防壁を垂直に駆け上ってくる。その手には二丁拳銃と短機関銃が握られていた。彼らも写真にあった顔だった。

 処刑人の身体能力は超吸血鬼的だが、三方向からの銃撃はさすがに対応できないだろう。メアリーはそう思った。

 駆け上る二人の援護のため、メアリーは処刑人を撃った。処刑人は弾丸を後方宙返りをして躱す。

「仕方ない」

 空中で回転している最中、処刑人は爪で自分の首を掻き切った。

 首から血が大量に噴き出す。噴き出した血が意思を持って動いた。血が処刑人の身体にまとわりつき、固化する。血でできた赤黒い結晶が、処刑人の身体を覆っていく。

 処刑人が一回転して着地したとき、既に首の傷は癒え、彼女の全身は結晶に覆われていた。それは血の装甲、結晶でつくられた甲冑だった。板状結晶が幾重にも重なって形作られたその甲冑は、赤黒い薔薇のようでもある。

「本気を出すとしましょう。これが私の不死身の薔薇イモータル・ローズ、その真髄です」

 処刑人は言った。月光の光を受けて、処刑人の甲冑は宝石細工のように赤く輝いている。

 防壁を駆け上る勢いのまま跳びあがったジェーンとローランド、そして鐘塔にいるメアリーは、同時に処刑人へと弾丸を浴びせかけた。紫外線曳光弾がヒトには不可視の光を輝かせながら、処刑人へと襲いかかる。処刑人は動かなかった。

 数多の弾丸が甲冑に食い込み、ヒビを入れる。だが、それだけだった。

「あなたたちの弾丸は私に届きはしない」

 処刑人が身に纏う赤黒い結晶は、全ての弾丸を完璧に受け止めていた。紫外線によって焼かれた弾丸近くの結晶は、白い煙を立ち昇らせているが、処刑人自体には傷一つ付いていない。

 フルフェイスヘルメットめいて頭部を覆う結晶越しに、処刑人はローランドを睨んだ。ローランドの額から汗が噴き出す。

「メアリー、援護してくれ!」

 防壁の屋根へ着地し、短機関銃の弾倉を交換しているローランドへ、処刑人は突貫した。凄まじいスピード。処刑人の一歩一歩で足元の瓦が粉々になる。

 処刑人の右腕を覆う結晶がその構造を変えた。先端の結晶が楔状に発達し、腕ごとが結晶の杭となる。

 メアリーは処刑人の頭部を撃った。しかし、弾丸は結晶に阻まれ、処刑人の頭を僅かに傾げさせただけだった。

「うおおおっ!」

 ローランドは叫んだ。速すぎる。逃げられない。覚悟を決めた彼は、腕を十字に組み、処刑人の突きを受けようとする。だが、無意味だった。次の瞬間、処刑人の右腕はローランドの腕ごと彼の心臓を串刺しにしていた。ローランドは即死した。

 処刑人は瞬時に右腕を引き抜いて反転し、今度はジェシーへと向かう。右手の結晶の構造はすでに元に戻っていた。

 ジェシーが二丁拳銃を迫りくる処刑人に向ける。ジェシーの得物は四十五口径の軍用自動拳銃をフルカスタムしたものだ。吸血鬼の膂力に耐えられるように各部を強化してある。ジェシーはこの愛銃で、何人もの親人類的な吸血鬼を葬ってきたのだ。

「くたばれっ」

 狙うは処刑人の心臓だ。さきほどの銃撃でも処刑人の甲冑にはヒビが入っている。一か所に集中して銃撃を加えれば、あの結晶の装甲も砕け散るはずだと、ジェシーは考えた。

 突進してくる処刑人に対して、ジェシーは両手の拳銃を連射した。

「そんな……」

 ジェシーは愕然とした。十六発全ての弾丸が、処刑人の胸部を覆う結晶の装甲に防がれていた。処刑人は弾丸をものともせず、依然、暴走機関車のごとく突っ込んでくる。

 自身の二丁拳銃に絶対の自信を持っていたジェシーにとって、それは悪夢的光景であり、彼女の心を折るには十分なものだった。

 処刑人の右足の結晶構造が変わった。右足の膝に衝角のごとき突起が生える。ジェシーはメアリーのいる鐘塔の方を見た。メアリーはジェシーを目があうのを感じた。

「たすけて、メア――」

 処刑人がジェシーの胸に膝蹴りを見舞う。ジェシーの胸を貫通し、血に濡れた結晶が、月光に照らされて輝いた。

「そんな馬鹿な。そんな馬鹿な」

 メアリーは、崩れ落ちるジェシー姿を視界に収めつつ、震える手でライフルに通常弾を装填していた。予備で持ってきたものだったが、軽い曳光弾ではなく、重い通常弾であれば、処刑人の甲冑を貫通できるのではないかと考えたのだ。

 彼女は長年連れ添った仲間たちが一人また一人と殺されていくのを見ながら、なにもできなかった自分を悔やんだ。もはや、これは戦闘ではない。一方的に死を与える『処刑』だった。

 思いがけず、涙でメアリーの視界が歪む。彼女は涙を拭い、ライフルを構えなおした。すると、防壁の上から処刑人の姿が消えていた。

 ぱたりと音がする。メアリーがそちらの方を見ると、自分の両腕が床に落ちているのが見えた。

「えっ?」

 メアリーの首が掴まれ、凄まじい力で持ち上げられた。

「ぐあっ、あぐ」

 片腕でメアリーを持ちあげているのは、処刑人だった。彼女はネック・ハンギング・ツリーの要領でメアリーの首を絞めあげた。メアリーの腕の断面から、血が迸る。

 メアリーは処刑人の赤黒い甲冑に入った白い蜘蛛の巣状のヒビが、赤く染まっていくのを見た。処刑人の血が、弾丸の衝撃を受け止めて入ったヒビを補修しているのだ。さらに、その血が弾丸を外へ押し出しているのも見える。

「ばけ……ものめ」

 息も絶え絶えにメアリーは言った。

「メアリー・アン。あなたたちの目的はなんです? 残りの仲間は何人? 答えて下さい」

 処刑人は尋ねた。

「こた……えないと……いったら」

「答えなければ殺します。答えても殺します。時短のために聞いているだけなので」

 処刑人は言った。

 メアリーは血混じりのつばを、処刑人の顔に吐きつけた。メアリーのつばが、処刑人の頭部をフルフェイスヘルメットめいて守る結晶に防がれる。

「くた……ばれ。じごくで……まってる」

 メアリーは笑った。

「そうですか。それは楽しみですね」

 処刑人が左手で貫手を打つ。肋骨の間を抜けた処刑人の左手は、肺を避けて突き進み、メアリーの心臓を握りつぶした。メアリーは即死した。


 処刑人がメアリーの胸から左手を引き抜くと、力を失ったメアリーの両目から涙がひとしずく流れ、月の光で輝いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る