血盟の処刑人
デッドコピーたこはち
第1話 要塞聖堂強襲
月が眩い闇夜の空を、とある製薬会社が所有するプライベートジェットが飛んでいた。妙に静まり返ったその機内、八つしかない客席には、純白の少女一人だけが座っている。正しくは、彼女が少女だと言えるのは見た目だけで、実際には三百年を生きる吸血鬼である。
純白の髪、あまりにも白い肌、白揃えのパンツスーツに身を包んだ彼女は、吸血鬼の『掟』に背いた罪人を始末する『処刑人』の一人だ。
処刑人はこれからの仕事のため、目を閉じ、身体を休めている。その幼さが残る面持ちには、月光の冷たさと慈悲深さがあった。
休憩中の処刑人に一人のプライベートジェット専属キャビンアテンダントが話しかけてきた。
「時間です。これを」
キャビンアテンダントの声に反応して、処刑人はまぶたを開けた。血の色をした瞳が向けられる。キャビンアテンダントの手には、赤い液体が入ったアンプルがあった。
「ありがとうございます」
処刑人は軽く会釈し、アンプルを受け取った。
「それでは、ごゆっくり」
キャビンアテンダントが笑顔を見せた。一瞬、露わになった歯列の中には、ヒトではあり得ぬほど発達した犬歯の輝きがあった。
ギャレーに戻っていく彼女を見送ったあと、処刑人は手の中のアンプルを回し、そのラベルを読んだ。
「ふむん、『シスター・トゥルーラヴより愛を込めて』か」
処刑人はアンプルの首を折り、その中身を一息にのみ込んだ。
次の瞬間、処刑人は懺悔室の中に自らを見出した。
ひと一人が入るのが精一杯の個室。椅子に座っている処刑人の正面には、出口の扉が、右を向くと、格子窓があった。格子窓のカーテンは開いており、その向こうには見知った顔が見えた。修道服を着ていても、その
「こんばんは、シスター・トゥルーラヴ」
処刑人は言った。
「こんばんは、処刑人」
修道服姿のシスター・トゥルーラヴと呼ばれた女は微笑んだ。
シスター・トゥルーラヴ。吸血鬼の相互扶助組織『血盟』のエージェントであり、処刑人たちの監督官。彼女は吸血鬼の血液を源とした超常的な力『
処刑人へこうやって自分の血液を渡し、『血盟』からの密命を下すのも、彼女の任務の一つである。シスター・トゥルーラヴの幻覚血液によるメッセージは、偽造もすり替えも不可能だった。
「もう、二人きりの時は、昔みたいに『お姉さま』と呼んでも良いといつも言っているじゃないですか。いとこ同士なんですから、仲良くやりましょうよ」
シスターは頬を膨らませて言った。
いまの彼女はシスター・トゥルーラヴの幻覚血液によって、処刑人の脳内に再構築された疑似人格であった。限られた話題ならば、本人と遜色ない受け答えをすることができる。
「貴女が私の真名を呼べるのならそうします。シスター・トゥルーラヴ」
処刑人は冷たく言った。
「そんな意地悪を……」
シスターはバツが悪そうに俯いた。彼女が処刑人の真名を呼べないのには理由がある。処刑人は『血盟』によって真名を奪われているのだ。
処刑人は高貴な両親の間に生まれた純血の吸血鬼である。
彼女の成長は十六歳で止まった。吸血鬼は通常、二十歳ほどまでヒトと変わらずに育ち、そこからヒトの十分の一の速さで歳をとっていくものだが、彼女はそうではなかった。彼女は十六歳のまま歳を取らず、吸血鬼として未熟なままで、吸血の儀式によって眷属をつくる能力も備わらなかった。
『血盟』は吸血鬼という種の存続のために結成された組織である。彼らは彼女を劣等と認め、吸血鬼としての権利の大半をはく奪した。その一つが真名だった。彼らは彼女の真名を呼ぶことを禁じ、穢れた同族殺しの業である処刑人になることを命じた。
「まったく『血は
処刑人は言った。シスターが片眉を上げたあと、懐から写真の束を取り出す。その写真には若い男女の吸血鬼の顔が写っていた。
「この十人の首を持って来てください」
「首を?」
処刑人は格子窓の隙間から渡された写真を受け取った。
「命だけでは足りないと?」
処刑人は首を傾げた。
「彼らは吸血鬼至上主義者の過激派で、『至高の血脈』と名乗っています。写真の裏に詳しいプロファイルが。各地で人間や、人間に協力的な吸血鬼に対して、誘拐、拷問、殺害等を繰り返してきました。若くて未熟な連中ですが、中には純血はおろか名家の吸血鬼もいます。これは由々しき事態です。下手すれば、人間との共生協定にも悪影響が出るかもしれません。ゆえに、元老院は彼らの首を見せしめに使いたいそうでして」
「追従者へのけん制ですか。ご老人方も古い手を使いなさる。二百年ほど価値観の更新が追いついてませんね」
処刑人は呆れた口調で言った。
「最初の写真の男が『至高の血脈』の実質的リーダー、アレク・ドゥミトレスク。彼は家系図を遡っていけば、両親の先祖が共に始祖へたどり着く『完全な純血』です。幼いころ、人間の吸血鬼狩りに両親を殺されたことがきっかけで、吸血鬼至上主義へと傾倒するようになりました。妹のアディナも行動を共にしています」
「ふむ、境遇は同情に値しますね」
処刑人はアレクの写真を見て言った。彼は、アッシュグレーの髪をマリンカットにした目鼻立ちの整った色男で、自信に満ちた傲慢な表情をしている。
「やれますか。処刑人」
シスターが尋ねた。
「当然、やります。彼らはいまどこに」
処刑人は断固たる口調で答えた。
「そうこなくては。彼らはブラショヴ北西にある要塞聖堂を武装占拠しています。要塞聖堂は堡塁と三重防壁を持ち、まともに攻めるのは非常に困難。ですが、あなたなら問題ないでしょう。そのプライベートジェットで数十分後には着きますよ。武器も機内に用意してあります。銃、ナイフ、杭、もろもろ。ご入用の際はCAにひとこと言ってください」
「武器は要りません。血はありますか」
「そう言うと思いました。若い処女の血を詰めた血液パックを三パック支給します。あなたの好みのA型ですよ。機内の冷蔵庫にありますから、これもCAに」
「ふむ、良いでしょう。本当は五パックほど欲しいですが」
処刑人は残念そうに言った。生き血を啜ることを掟で禁じられた今世の吸血鬼にとって、若い処女の血はめったに味わうことができない珍品である。彼女も高貴な血を引く吸血鬼の例にもれず美食家であり、貴重な血を得ることができるのは、数少ない処刑人としての役得だった。
「元老院はあなたが必要以上に力を付けることを恐れているのです。あなたは最強の吸血鬼殺しの吸血鬼ですから。」
「ふん、恐れるなら、むしろ待遇を良くして欲しいですけどね。危険視しておきながらなお、手元に置いて使おうとするとは。都合の良いことです」
処刑人は鼻で笑った。
「鋭い刃ほど自分に向けられれば恐ろしく、敵に向けられれば頼もしい。そういうものでしょう。あなたに勝てる吸血鬼がいないからこそ、こうやって仕事を任されている」
シスターがウインクする。処刑人は鬱陶しそうに眉を寄せた。
「伝えることは他にありませんか。もうそろそろ、ここから出たいのですが」
「ああ、もう二つだけ。数日前、要塞聖堂に不自然な機材の搬入がありました。これが、そのリストです」
「なるほど、大容量タンクに紡績機?」
処刑人は格子窓の隙間から渡されたリストを受け取って言った。
「連中がなにを企んでいるかはわかりませんが、ろくでもないことなのは確かです。即急に奴らを始末し、阻止して下さい」
「まあ、やることは変わりませんね」
処刑人は頷いた。
「最後に、要塞聖堂にいる吸血鬼は写真の十人だけとは限りません。こちらで確認できていない吸血鬼たちが合流している可能性や、間に合わせでヒトを眷属にしている可能性があります。十人以外の首を持って帰る必要はありませんが、抵抗したら殺しても構いません。あなたの状況判断に任せます」
「わかりました。シスター・トゥルーラヴ」
処刑人は席を立ち、会釈した。
「それではまた」
「よい狩りを。処刑人」
シスターが言った。処刑人は出口のドアノブを捻り、外へ出た。
吸血鬼になってから妙に月が大きく見える。ジョンソンはそう思った。彼は要塞聖堂の尖塔や防壁の屋根に立ち、自動小銃を持って警戒にあたっている傭兵の一人である。
ジョンソンは少し前まで人間の傭兵だった。素行不良で軍を追い出されたが、PMCに就職してからは順風満帆だった。彼には自信があった。殺しと生存の技術に優れているのは当然として、彼の勘の良さと運の太さには突出したものがあった。彼は野生の獣のように危機を察知することができたし、銃弾や榴弾の破片を受けても、重要な内臓には当たらず、致命傷には至らなかった。
そんな折、軍時代の旧友、エイダンから連絡があった。その飲みの誘いに乗って、指定されたバーに行くと、記憶と変わらないエイダンがいた。ジョンソンは驚いた。あれから十年は経っているのに、エイダンは若いままだったのだ。
「どうしたんだおまえ……」
ジョンソンは言った。エイダンと比べると、多少なりとも皺が増え、体力的にも衰え、老いさらばえた自分を惨めに感じた。
「若返ったんだよ。秘訣があるのさ」
エイダンは笑った。彼の笑みに人並み外れた凄みを感じ、ジョンソンの背筋が粟立った。
「おまえ、人間を辞めてみないか」
そうして、ジョンソンは吸血鬼になった。いまはそのエイダンと共に、吸血鬼至上主義者に雇われて警備に就いている。
ジョンソンは今夜『処刑人』が来ると聞かされていた。こちらが人殺しのプロなら、相手は吸血鬼殺しのプロだ。しかし、彼に不安はない。若返るだけでなく、さらに強靭になった肉体。闇夜の中でも問題なく行動できるほど鋭い五感。不死身。不老不死。あまりにも素晴らしい。
さあかかってこい、処刑人。7.62x39mm弾で蜂の巣にし、心臓をナイフでえぐり取ってやる。ジョンソンは自動小銃を握りなおした。
赤い瓦葺の街並みを見折ろしていたジョンソンは、ふとなにかを感じて、月を見上げた。あれ、月はあんなに赤かっただろうか。そう思った次の瞬間、彼の瞳は驚きで見開かれる。
「上だ、敵が来た。処刑人だ!」
ジョンソンは無線機に向かって叫んだ。
「なんだあれは」
ションソンの視線の先には、赤い翼を広げて飛び来る処刑人の姿があった。
古城の上空まで近づいた処刑人は、プライベートジェットから空中投下されていた。パラシュートなしでの自然落下。彼女の身体は終端速度まで加速し、古城目がけて突っ込んでいく。
激突の数秒前、処刑人は両手首を爪で同時に切り裂いた。手首の傷口から鮮血が噴き出す。だが、その血は空中にまき散らされることはなかった。
処刑人の血は意思を持って蛇のように動き、細い繊維状になって固化、赤黒い繊維状結晶となった。繊維状結晶はぐんぐんと成長し、その長さは十数メートルに達する。長大な繊維状結晶の束は、翼のごとく広がり、空気抵抗によって彼女の身体を減速させた。
自身の血液を結晶化させ自在に操る。これが処刑人の『
ジョンソンが見た赤い月は、血の翼をすかして見たものだった。
天使のように、あるいは悪魔のように翼を広げてやってくる処刑人を見て、ジョンソンは慄いた。精鋭の吸血鬼の中には、血を自在に操るものもいるとは聞いていたが、これほどのものだったとは。
処刑人は鐘塔に着地した。鐘塔は要塞聖堂でも最も背の高い建造物である。着地の衝撃で吊られた鐘が動き、月夜に鐘の音が鳴り響く。屋根の上に配置された傭兵たちが一斉に鐘塔へ自動小銃を向けた。
鳴りやまぬ鐘へ処刑人が蹴りを食らわせ、その動きを止めた。
「私は『血盟』の処刑人。あなたたちを殺しにきました」
処刑人が良く通る声で言った。血の翼はいつの間にか姿を消している。
「撃て、撃て!」
傭兵たちはいっせいに引き金を引いた。
弾丸の嵐によって、鐘が狂ったように鳴り、砕かれた石壁によって、鐘楼が粉塵で覆われる。しばらく銃声が続いたあと、不意に銃声が止んだ。傭兵たちが、弾倉全ての弾を撃ち尽くしたのだ。
これだけ撃ちこめば、さすがに動けまい。ジョンソンは念のために、自動小銃へ弾倉を再装填しながら思った。だが、死んではいないだろう。吸血鬼に止めを刺すには、日光か、銀か、心臓の完全な破壊が必要だ。
ジョンソンが連絡のために仲間へ無線を飛ばそうとしたその瞬間、怖気が走った。
後ろにいる。直感したジョンソンは身を捻りながら、引き金を引いた。だが、弾丸は発射されない。彼の自動小銃は彼の左腕ごと真っ二つにされていた。
恐ろしいことに、彼は痛みを感じていなかった。切断された左腕の切り口は、あまりにも滑らかだった。
ジョンソンは残された右手で腰のホルスターから拳銃を抜いた。アドレナリンが過剰分泌され、時間の流れが鈍化する。
今頃になって思い出したように、切り口から血が噴き出し、飛沫となった血が月光を受けてテラテラと輝くのが見える。
純白の少女が穂先のように尖った赤黒い結晶を両腕に纏わせて、こちらに突っ込んでくるのが見える。
ジョンソンは拳銃の引き金を引いた。マズルフラッシュに続いて、弾丸が銃口を飛び出していく。処刑人の心臓を打ち抜くはずだったその弾丸は、処刑人が振るった結晶の穂先によって両断された。
そんなバカな。ジョンソンは思った。自分はまるで空気が糖蜜になったかのようにゆっくりとしか動けないのに、処刑人は水の中を泳ぐようにすいすいと動いてくる。こんなのは不公平だ。
二発目の弾丸が発射される前に、処刑人がジョンソンの拳銃を切り裂いた。
まったくツイてねえ。吸血鬼になって神に見放されたのだろうか。人間を辞めるなんてアホなことするんじゃなかった。自分の胸に迫りくる結晶の穂先を見て、ジョンソンはそう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます