いつも通り

 さて、わたしは幽霊である。

 なぜ幽霊かと言えば死んでしまったからで、なぜ死んでしまったのかと言えば自殺したからである。世を儚んで……というわけではなく、あの人に先立たれたのが悲しくて……というわけでももちろんなく、その他に考え得るあらゆる物語的悲劇や困難や苦悩の末のやむにやまれぬ選択でも決してありえず、ごく個人的なありきたりでつまらない感情によってあっさりと命を投げ出した。語るには恥ずかしい理由なので、そこは皆様のご想像にお任せしたい。あるいは「最近の若者は……」と定型句で罵っていただくのも結構。

 ともかく無事にわたしは死んだ。縊首ではなくODを選択したのは、眠るように最期を迎えられるのではないか、きれいに死ねるのではないか、などと浅知恵を巡らせた結果だが、どうやらゲロ塗れになった挙げ句に吐瀉物を喉に詰まらせ窒息したらしく、きれいなどとはほど遠い死体ができあがっていた。なるほどわたしにはお似合いではないか、まじまじと自分の顔を見つめてそう思った。

 見るに堪えない死に様だったし、生前は鏡に映る自分ほど憎らしいものはなかったのに、何故だか側を離れがたくてしばらくその場に留まった。触れられはしなかったが、形だけ、頭を撫でてやったりもした。三日間くらいそうしていたら、肌が黒っぽくなって虫が湧いてきたので、さすがにそろそろ場所を変えようと思う。

 扉をすり抜け、外に出てみる。靴は履けなかったから裸足のままだ。ちょっとした背徳感にウキウキした。階段をペタペタ降りながら考える。これからどうしようかしらん。

 お薬バイキングに勤しんでいたときには、その後のことなんて想像していなかったし、そもそも後があるなんて考えてもみなかった。でもせっかくこうしてわたしの意識が続いているのだから、生きていてはできなかったことを色々やってみようか。生きているわたしではできなかったことに挑戦してみようか。空を見上げる。東の空が白んでいる。朝が来るのだ。わたしが死んでも、変わらずにちゃんと朝が来るのだ。


 まだ暗い大通りを、大好きなロックバンドの歌を大声で歌いながら歩いた。歩きスマホのサラリーマンをひっぱたいてやった。地面をつつき回る鳩を意味もなく追いかけた。道の真ん中ででんぐり返しをした。

 どれもこれも、お腹が痛くなるくらい笑えた。涙がこぼれるくらい笑えた。自分が笑えることすらおかしかった。何をやっても、誰もわたしに気づかない。誰もわたしを気にしない。それは生きていたときもきっとそうだったけれど、怖れずにいられるのは、そして期待せずにいられるのはとても気楽だった。


 ちょっと遠くの繁華街まで足を伸ばした。おしゃれな男女に混じって、おしゃれなお店に入り込む。きらびやかな照明の下で、すてきな品々を目一杯に眺める。周囲を見渡せば、みんな優しい笑顔をしていた。道をすれ違う誰も彼もがこの瞬間を堪能しているみたいだった。いつも、自分を嗤う視線が怖くて足もとばかりを見ていたから知らなかった。こんなにも楽しい場所だったなんて。

 あちこちのお店に入っては、イマドキの洋服を、美味しそうな料理を、個性的な雑貨を思う存分見て回る。これはあの人に似合いそうだ。これはあの子が持っていた。そんなことを考えながら飽きるまで遊んだ。そのうちにふと視線を上げると、見知った顔を人通りに見つけた。

 ちょっとだけ、いいなあ、と思っていたひとだった。笑い方が子どもっぽくて、姿勢がぴしっとしていて、他者ひとのことをよく見ていて、話す声の柔らかい、そんなひとだった。仕事の話題ではよく言葉を交わしたけれど、ついぞプライベートのことは踏み込めなかった……。そのひとが今、こちらに向かってのんびりと歩いてくる。きらきらした街の中でも、その姿は特にきらきらして見えた。そして隣には、同じくらいきらきらした誰かがいた。手を繋ぎ、仲睦まじげに笑い合う誰かがいた。

 そ、っかあ……。

 溜息がこぼれた。勘違いしないでほしい、安堵の溜息だ。ああ、よかった。あのひとのことだけが、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ心残りだった。でも、わたしが生きていようがいまいが結果は変わらなかったのだ。むしろ人間関係を余計にこじらせず済んだのだから、よい結果であったくらいだ。やはりわたしの決断は間違っていなかった。


 二人の背中を遠く見送ってから、わたしは家に帰ることにした。てくてくてくてく、歩いて帰った。ベッドの上の死体は相変わらず、いつも通りなくらい無様に転がっているばかりで、SNS映えしないディナー席に芋虫くんの不満が聞こえるようだ。うちは安さと量が売りなんですよ、と反論しようと思ったけど、安さはともかく量は人並みにもないから黙っておいた。

 ベランダに出て、夕空を見上げる。代わり映えしない町並みに飽いて太陽が欠伸をしている。それがわたしをなんとも申し訳ない気持ちにさせた。ごめんなさい。精一杯の謝罪をしておいた。なんということだろう。わたしが死んだところで、変わらずに今日が終わっていくのだ。

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