第28話 世の中は勝手に動くもんだ。


 春都たちが公都プラナへ馬車で移動しているころ……。

 アントハム辺境伯領の公都ゴートムでは、シャレにならない事態が勃発していた。


 アントハムはラナリア公領の東に位置する領地で、先代国王の甥であるグラディス・バード・ダリアス辺境伯爵が統治している。


 辺境伯爵の地位は、ラナリア領主のプラナール伯爵より上だ。

 王国の辺境を守る重要な役職のため、ほとんど公爵と同じ扱いを受けている。

 それだけに、背負う責任も重い。


「ええい! なぜ砦の防備が破られたのだ!」


 ダリアスの大声が響きわたる。

 怒鳴られたウインザー公領宰官は、おもわず首をすくめた。


 ここは公都ゴートムにある辺境伯爵の館。

 つねに戦いと共にある辺境伯爵らしく、まるで要塞のような館だ。

 装飾はほとんどなく、住居というのに入口は不都合なほど狭い。


 玄関を入ったホールは円形で、外円に沿って何枚かの分厚い石壁が立っていて、もしホールに敵が乱入しても、石壁に隠れた弓使いや魔法使いが陰から攻撃できるよう設計されている。


 公都ゴートムも例外ではない。

 平地にあるというのに、館は人工的につくられた高台の上にそびえている。


 館を2重の水掘がかこみ、それぞれの掘に城壁がめぐらしてある。

 そして館の高台のふちにそって内壁が作られていて、館は内壁にすっぽり包まれて存在している。


 まるで300年前に勃発した大陸戦争のときの要塞都市……。

 ウインザーがダリアスといっしょにゴートムに来たとき、おもわず身震いした光景だった。


「……儂の問いに答えぬつもりか?」


 ますますダリアスの声が大きくなる。


 ダリアスの肉体は、神に愛でられたと称されるほど恵まれている。

 並みいる騎士が見あげるほど背がたかく、王都の闘技場で戦う格闘士より体重がある。


 だが肥満体ではない。全身くまなく筋肉の鎧に包まれている。

 その体で怒鳴られたら、歴戦の勇士さえ震えあがる。


 そういえば……ウインザーは、ふと昔のことを思いだした。


 ダリアス様が自分の背丈を抜いたのは、たしか12歳のころ……。

 あの頃から、王都の悪ガキを集めて暴れはじめた。

 その悪ガキどもが、いまの辺境騎士団の各隊長を務めている。


 なにしろウインザーは、ずっと教育係として側にいたのだ。

 ダリアスが辺境伯に任じられるよりずっと前――まだ王都でバード公爵の息子として生活していたころから……。


 だからダリアスは、50歳の大台を越えた今でも、自分から見ればヤンチャなのまま……。


 ダリアスの鬼人のような怒りに、参列するだれもが身をすくめている。

 その中でウインザーは、意をけっして顔をあげた。


「ランドサム辺境砦は、クラウゼント国に対抗するため要塞化されていました。ゆえに、だれもが難攻不落と信じておりました」


 ダリアスは意にそわぬ報告を聞いて憤慨している。

 ならば、まず落ち着かせるべきだ。

 状況を隠すことなく伝え、冷静に判断してもらわなければ……。


「……ところが獣人どもは、砦の北にあるガンディール山脈の南端部にあたるプライマー山稜にトンネルを掘りぬき、そこから我が領地へ侵攻したのです」


 辺境伯爵領は、国防上で重要な地域に設置される。

 あえて王家の親族に統治させることで戦略的な防波堤とするものだ。


 アントハム辺境伯爵領の場合、セントリーナ王国とクラウゼント獣人王国が戦争をしているため、文字どおりの戦場となっている。


 いまダリアスが口にしたランドサム辺境砦は、アントハム領の東端に構築されていた。

 クラウゼント軍が領内に侵攻してきても、ランドサム辺境砦さえ健在なら敵軍を撃退できる……だれもがそう思っていた。


 なにしろ砦には、アントハム公領軍のほかに、セントリーナ正規軍とラナリア派遣軍が常駐しているのだ。


 総数は5万を越える。

 この数は、ウインザーの記憶が正しければ、セントリーナ王国が東部方面に動員できる戦力の半分にもなるはず。


 だが、突破された。

 軍用念話魔法具による報告では、クラウゼントの侵攻軍は3万5000ほどらしい。


 山地にトンネルを掘って迂回し、闇夜にまぎれて砦の西側――背後から1万5000の奇襲部隊が攻め入った。


 砦の許容兵力は、わずかに5000名。

 そのすべてがセントリーナ正規軍だった。


 ほかの部隊は砦の西側に野営陣地をかまえていたため、4分の3の兵員が就寝中に襲われた。野営陣地は蹂躙され、またたくまに死体が積みあがっていった。


 なんとか奇襲を逃れて戦場を脱出した者は3万ほどいた。

 だが、ほとんどが武器すら持たず、命からがら、西の要衝――ムーラン方面へ遁走したのである。


「夜間に奇襲されたという報告は承知している。たしかに砦の北面と西の門をおさえられたのは痛かった。だが、それだけで辺境砦が落ちるはずがない。なにが起こったのだ!」


 砦から国境まで歩いても30分しかかからない。

 ここ十数年、何度も戦場になってきた場所だけに、砦の守備隊は精鋭ばかりで固めていた。


 だからダリアスの知恵袋を自負しているウインザーも、砦は孤立しても1ヵ月間は持ちこたえられると信じていたのだ。


 なのに実際は、たった2日で陥落した。

 それがダリアスを怒らせている。


「そ、それは……」


 ウインザーが言葉につまったのを見て、それまで片膝をついてうつむいていたベックハルト警務官が声をあげた。


「由々しきことながら、砦内に敵の内通者がいた模様です」


「ほう、初耳だが……その者の面は割れておるのか?」


「糧食隊長に任じられていた、ペペルコ大尉が首謀者と思われます」


「くわしく申せ」


「ペペルコは部下に命じ、奇襲された日の朝食に、大量の紫トガリシメジを混入させました。このキノコは食用の紫ダルマシメジにそっくりですが、ひと欠けでも食すると20分で死亡する猛毒です。これで大半の兵が死亡しました」


 糧食隊長は役職上、鑑定の魔法やスキルをもっている。

 したがって、似ているから間違ったという言いわけは通らない。


 話を聞いていたダリアスが、カッとウインザーをにらむ。


「糧食班長は名前からして亜人のようだが……なぜ亜人を要職につけたのだ?」


「それは……軍務官の判断かと」


 いきなり名指しされたベッカース軍務官が、血相を変えて立ちあがる。


「宰官閣下ともあろう御方が、なにを血迷われた! 軍の任官において人間族と亜人族の格差があってはならぬ……そう通達を出されたのは閣下御自身ではありませんか!」


「ウインザー、それはまことか?」


 ダリアスに問われたウインザーは、顔から血の気が引くのがわかった。


「……通達は、あくまで国の方針にもとづいて行なったものです。セントリーナ王国では、人種のちがいで言われなき差別をおこなうと罰せられます。それくらい御存知でしょう?」


「基本的にはその通りだ。しかし物事には常に例外がある。国防の最前線である辺境砦という特殊性、しかもいまは戦時だ。これらを考慮すると、軍内において敵に内通する可能性のある亜人を要職につけるのは、国防において致命的な失態をしでかす原因となる」


 このままでは断罪される。

 しかし、ダリアスが法に基づいて自分を罰するのなら、あえて受ける覚悟だ。

 ウインザーにとって、ダリアスの信任を失うことは死ぬよりつらいことだった。


 ゆっくりと王立親衛騎士団のバウンド団長が手をあげた。


 バウンドは王国に4団ある親衛騎士団の第2団長で、通称【徹虎隊】をひきいる隊長でもある。を子供のころから鍛えあげた師匠同然の人物だ。


「伯爵様。いまは罪をあれこれ算段している場合ではありません。敵はすでに辺境砦を突破し、明後日には東の要衝となっているムーランに到達します。まずはムーランを防衛している辺境騎士団に、遠話で迎撃準備を命令なされるべきかと」


 ムーランの町は東部街道の要衝で、町全体が城塞化されている。

 そこを守る公領辺境騎士団の第2連隊も、公都を守る第1連隊につぐ実力がある。


 だが、敵がムーランを突破すると後がない。

 たしかにバウンドのい言うとおりだった。


「うむ、貴公の進言は正しい。して、ムーラン守備隊だけで敵を阻止できると思うか?」


「おそらく無理でしょう。彼らが阻止できるのは良くて5日。そのあいだに、公都にいる私どもセントリーナ正規軍と、駐屯しているラナリア派遣軍を支援にむかわせるべきです。ムーランまでは馬で2日、速歩で4日。いま御命令なされれば間にあいます!」


 セントリーナ正規軍の中核部隊である王立親衛騎士団の第2団長が、みずから出陣すると宣言したことで、ようやくバウンドの顔にすごみのある笑顔が浮かんだ。


 バウンドは、居ならぶ公領の重鎮たちを見まわす。

 だれも反論を口にしない。


「よし! ただちに支援軍をさしむけろ。それからラナリア公領へ遠話をおくり、大至急、現状をセントリーナ王国へ中継してもらえ。事は我が領内にとどまらぬ。いまは王国全体の危機と思え!」


「承知いたしました」


 皆を代表してウインザーが返事をする。

 すんでのところで処罰をまぬがれたことにホッと胸をなでおろす。


 まだ辺境伯爵領の危機は去っていない。

 ここで投獄されるわけにはいかないのだ。

 たとえ最後の1人になろうとも、我が身をもってダリアス坊ちゃまを守る!


 ウインザーの決心は微動だにしなかった。


「ムーランへの援軍だけでは難しいようであれば、この儂みずからが、親衛第1連隊をひきいて出る!」


「伯爵様、それはいくらなんでも……公都の守りがいなくなります!」


 あわててベッカース軍務官が止めにはいる。


「かまわぬ! ムーランで敵を阻止せねば、公都だけが無事であっても意味がない。儂がおるところが公都だと思え、よいな!!」


 さすが若いころ、王族の暴れん坊と揶揄された経歴の持ち主だ。

 その覇気はいまも衰えていない。


 が戦うと決心したのであれば、自分も共に戦場へいこう。

 知恵袋として戦略戦術を駆使し最後まで助ける!


 だが、このダリアスの決断が、その後の世界に大きな影響を与えることになる。

 このことを、まだ誰も知らない……。


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