第20話 地の底での蠢動
ここはメルフィナ地下神殿。
異界の邪神ラゴンを奉る、カタン教団のラナリア公国支部にあたる施設だ。
公国の北部にひろがるガンディール山脈、そこを南北に貫通するガンドリーナ隧道の中に存在している。
【カタン教団】は、リムルティア世界で信奉されている創造神リアナに不満を抱く者たちにより、はるか昔に設立された。
いや……。
女神リアナというより、リアナを主神に奉り全世界に信徒をもつリムルティア創世教団を恨む者たちが、異界の邪神の力を召喚することで、自分たちの野心――世界を裏からあやつろうと作りあげたものだ。
当然、すべての国で非合法とされ、見つかれば厳しく罰せられる存在である。
「ナシュタール教務官、いま【ゼアルード】の結社員がおこなった報告はまことか?」
クリュシュナ枢機卿から詰問された男――ナシュタールは、心の中でしまったとつぶやいた。
黒い教団司祭服の中で、痩せて枯れ木のようになった体を緊張させる。
ナシュタールは、ラナリア公国の南部に存在するメラ男爵領の教務官で、地位的には司祭長にあたる。
神殿に呼びだされて詰問されている
断罪人2人を、異変が発生したとの報告があった迷いの森の古代神殿へむかわせた。
神殿の調査は順調に終わった。
だが、ちかくにあるアナベルの町で予期せぬ戦いが勃発し、断罪人のひとりを死なせてしまったのだ。
極秘に調査するよう枢機卿から命じられていたのに、派手に戦ったあげく1人が死んでしまったのだから、使役したナシュタールが罰せられるのは当然……。
ただし自分的には、クリュシュナ枢機卿に送った報告書でうまくごまかしたつもりだった。
なのに神殿に招聘されたのだから、どこかでミスをしでかしたらしい。
魔導遠話で呼び出された以上、もう逃げ隠れはできない。
あわてて教団が設置した遠隔転移用の魔方陣をつかい、メルフィナ地下神殿までやってきた。メラ男爵領からの長距離転移だったため、かなりの転移酔いに悩まされている。
「ナシュタール、まことかと聞いておる。はやく答えよ!」
カタン教団の戒律は厳しい。
口のききかたに注意しなければ……。
「報告の内容は事実……ですが説明不足のため、いささか誤解をあたえる内容になっております」
「ほう? 弁明を聞こうか」
クリュシュナ枢機卿の態度には、やけに余裕が見られる。
なにか自分に不利な情報でも持っているのだろうか。
クリュシュナはカタン教団支部を統括する最高責任者のため、一介の教務官が逆らえる存在ではない。だから証拠をつかまれたらもう終わりだ。
「カタン教団は暗黒神ラゴン様を主神と奉じているため、光の女神リアナを信奉する【リムルティア創世教団】とは永らく敵対しております。こうして拠点をかくし、闇にまぎれて活動しているのも、すべては破滅の日を招来せしめるため。ですから古代神殿での異常が教団の活動をじゃまするものであれば、最優先で御報告しなければ……そう思った次第でございます」
「ふむ……古代神殿で発生した巨大光柱については、さきほど総本山へ仔細な調査を依頼したところだ。おそらく機能不全におちいっていた神殿機能が回復したさい、余剰となったエネルギーが放出されたのだろうが、さらなる調査が必要と思ってな。しかし、それとゼアルードの断罪人をひとり失った件は別問題だ」
ゼアルードは、カタン教団の隠密工作部隊だ。
教団の教義に反した者の粛清から、敵対勢力の暗殺、創世教団の弱体化にいたるまで、おどろくほど広範囲に活動している。
隠密断罪人は、生まれ落ちたばかりの乳児を誘拐し、能力のある者だけ選抜して徹底的に育てあげる。無能な乳児はラゴン神への生贄として捧げられる。
断罪人は有能なため、ナシュタールはこれまで何度も使ってきた。
なのに肝心なときに失敗し、同士討ちで1人を死なせてしまった。
これをいま責められている……。
ナシュタールは、仲間をみずからの手で消滅させたもう1人の断罪人――いま自分の横にひざまずいている男を、まるでゴミを見るような目でにらんだ。
「この者……ゼアルードのベラムは、私の命をうけ、迷いの森の古代神殿における異変を調査しておりました。よってアナベルの町における偶発的な戦闘は、あくまで神殿の異変調査の中で発生した不慮の事故となります」
ベラムの報告では、古代神殿での調査を終えたベラムとメグラは、神殿に残っていた魔力波動の痕跡をたどってアナベルの町へ行ったという。
町の中心にある広場で【波動探知】の暗黒魔法を使用したところ、いきなり空間転移してきた男に重力系の魔法で拘束された。
捕まったのは波動検知をしていたメグラであり、ベラムは周辺警戒のため、広場の隅にあった小屋の中で隠密スキルをつかって闇にひそんでいた。
メグラが捕まったため、ベラムはゼアルードの『沈黙の掟』にしたがい、【漆黒蝕球】の魔法でメグラもろとも敵を抹殺しようとした……これが事の顛末らしい。
この報告内容を枢機卿が信じれば、ベラムは掟を守っただけであり、無罪と判断されるだろう。
ただしベラムに過失がなければ、それで事がおさまるかといえば『否』だ。
メグラは優秀な断罪人であり、これまで育てあげるために費やした資金は、ゆうに中流貴族の邸宅が買えるほどにもなっている。
これに今後の遺失利益までくわえると、だれかが責任をとらなければならないレベルに達しているのだ。
その筆頭候補が自分……。
我が身がかわいいなら、すべての責任をベラムにかぶせるべきだが、そうなると自分が使える貴重な駒をひとつ失ってしまう……。
あれこれ考えても妙案がうかばない。
そうこうしているうちに、枢機卿がしゃべりはじめてしまった。
「不慮の事故だったことは理解した。だが総本山が追求しそうな部分は、もっと別のところにある。手練の者をつかったというのに相手のほうが圧倒的に強かった……これが問題になる。さもなくば同士討ちなどという混乱がおこるはずがない」
やはり、そこを突くか……。
ナシュタールは自分が追いつめられたことを知った。
ゼアルード断罪人は、こと暗殺と情報工作に関しては、女神リアナが加護を与えた【英雄】を越える。なのにアナベルでは不始末をしでかし貴重な1名を失った。
ということは、相手は最低でも英雄以上の存在ということになる。
これが問題点のひとつだ。
第2の問題点は、
『ゼアルードは莫大な時間と労力、そして多額の資金を消費して1人の断罪人を育てあげる。そのため失えば、だれかが責任を取らねばならない』
……にある。
この2点の責任を回避しないかぎり、自分は罪を問われる……。
「周辺調査の結果、アナベルで断罪人が対峙した者は、古代神殿を活性化させた張本人の可能性が高いとのことです。古代神殿ははるか昔、ラゴン様の暗黒波動からリムルティア世界を保護するため、女神リアナを信奉する者どもが造ったもの。そして我が教団が苦労をかさね、すべての神殿の不活性化に成功したものでもあります」
どうする、どうすれば言いのがれられる……。
そう思いながら、ナシュタールはクリュシュナがとっくに知っている事柄を口にしつつ、考える時間をひねり出すのにやっきになった。
「貴官は儂をだれだと思っておるのだ? そのような新米信者に聞かせるような話、聞く耳もたんわ。さっさと結論を言え、結論を!」
かなりイラだっている……。
もうこれ以上の引きのばしは無理だ。
いちかばちか勝負にでるしかない。
「古代神殿を活性化できるのは、女神リアナが召喚した勇者のみと伝えられております。ですから、アナベルで断罪人が遭遇した相手は、あらたに召喚された勇者である可能性がきわめて高いと判断しております。いかにゼアルードといえども、異世界からきた勇者には太刀打ちできません……」
たぶん司祭長も、いま言ったことぐらいは予想している。
しかし、こちらが先んじて告げれば、あとで知っていると言っても意味がなくなる。そう思って先制した。
「それは違うぞ、ナシュタール教務官。あらたな勇者が降臨すれば、かならずや総本山の知るところとなる。しかし総本山から儂に、そのような通達はなかった」
「いやそれは、まだ総本山が知らないだけかも……」
「貴官の言、総本山……いいや、ベントラミン法皇様やミーリア巫子長様に対する不信心と受けとってかまわんか?」
これは本当にまずい。
しかし司祭長が、いま自分を断罪する理由がわからない。
もしかすると……。
「そのようなこと、ラゴン様に誓って思ってもおりませぬ。私としては、
おそらくクリュシュナは、今回の責任が自身におよばないよう、こちらに全責任を押しつけるつもりだ。ならばそれを逆手にとって私の手柄にしよう……。
カタン教団の教義によれば、世界の破滅は刻一刻と近づいている。
破滅の時にラゴン神が降臨し、暗黒浄化がおこなわれる。
それまでに、なんとしても教団中枢へ駆けのぼらねば。
ほかの者はともかく、私だけは間違いなくラゴン神の恩恵をうけ、新世界へ転移させてもらわねばならない……。
そのためには、なんでもする。
「よかろう。一連の報告は追加事項として総本山におくるが、貴官はさらなる調査をおこない、かならず彼の者の正体をあばいてみせよ。そのためには手段を問わぬ。公領にいるゼアルードすべてを使ってでも確実につきとめよ。すべて貴官の責任においてだ。いいな?」
「ははーっ」
どうやら首がつながった。
教務官程度で処刑されてしまっては、魂をラゴン神に拾いあげてもらえない。
そうなれば平民といっしょくたにされ、女神リアナの手によって輪廻の螺旋へもどされてしまう。そうなれば、間近にせまっている新世界への転移など夢また夢……。
そのような仕打ち、破壊神の信者としては最悪の悪夢だ。
自分だけは、そうならないよう立ちまわる。
ナシュタールは暗黒の誓いもあらたに、他者を蹴落とす決心をかためた。
詰問を終えたクリュシュナ枢機卿が、ふと何かを思いついた表情になった。
「……ふむ。そういえば貴官には、以前から降格申請しておった部下がおったな?」
「はい? あ、メーラル尼僧長のことですね。どうにも融通の効かない女でして……」
「いま遠話で、その尼僧長の処刑を命じた。今回の不始末は、貴官が尼僧長に委任した結果として処理しておく。新たな尼僧長は、貴官のお気に入りを据えるが良い」
「寛大な御処置、まことにありがとうございます」
尼僧長には悪いが、ここは自分の身代りになってもらおう。
だいいち枢機卿が自ら命じたのだから、公国内ではだれも逆らえない。
おそらく拷問されて、【隠れリアナ信徒】を自白させられた上で処刑されるはず……教団ではよくある事だ。
これで、とりあえずは何とかなった……。
*
クリュシュナ枢機卿との謁見を終えたナシュタールは、メルフィナ地下神殿内にあるゼアルード用に割りあてられた区画へ足をはこんだ。
「バール。貴様ならやれると信じている。ゼアルード支部で最強の貴様なら、私の命令を完遂できる。そうだな?」
ナシュタールは、目の前にひざまずく1人の魔人を見おろした。
赤銅色の肌は、魔人族のなかでも最強の物理破壊力をほこる鬼人種の象徴だ。
くせの強い赤紫色の巻髪に紫の瞳、唇を引き裂くように突きでた2本の牙。
身長は2メートルを越えている。
80年前の魔王ペンデイアナスと勇者アルディーンとの戦いにおいて、勇者にしたがう槍の英雄ガランドを倒した男だ。実力は充分すぎるほど持っている。
「……承知」
巨魁の鬼人――ラガルス・バールが、ちいさく答える。
人間なら30歳台にしか見えないが、鬼人の寿命はエルフについで長い。
本当の年齢は265歳、いまが全盛期だ。
「行動隊の人選は貴様にまかせる。ともかく相手の力量を完全に把握し、確実に私のもとへ報告せよ。もし戦闘になった場合は全力で対処してよい。相手を殺すことができれば、もはや勇者かどうかなど関係なくなるからな。ただし……報告せずに全滅することだけは許されぬ。これだけは肝に命じておけ」
「……御意」
返事と同時に、バールの姿がかき消える。
「あやつ……いつのまに特殊転移魔法を」
一般的な転移魔法は、視野にはいる範囲でしか転移できない。
ナシュタールも短距離転移魔法なら使えるが、ここは山脈をつらぬく隧道の中……大深度の地下にある神殿なのだ。
見わたせる室内でしか転移できないはずなのに、バールは躊躇なく別の部屋へ転移していった。これはもう、長距離転移の特殊スキルが発現しているとしか思えない。
特殊スキルは神に愛でられた者でなければ発現しない。
これがリムルティア世界での常識……。
むろんカタン教団員の特殊スキルは、ラゴン神に愛でられた者にあたえられる。
「飼犬に手を噛まれないよう、団員すべての再鑑定が必要だな……」
自分だけは生きのこる。
ラゴン神を信じた瞬間から、教団員ならだれしもそう思っているはずだ。
だから自分は、教義にもとづいた正しい判断をしていることになる。
「ふあっはっは! こんなところで死んでたまるか。絶対に魂をラゴン様にささげて、新世界へ転生してやる。そうなれば創世教の信者どもの魂は、すべて私の奴隷となる。私は新世界の王になるのだ!」
ラゴン神が創世する新世界では、女神リアナを信奉していた魂は、すべてカタン教徒の奴隷として転生する。そうカタン教団では教えている。
あらたに生まれる暗黒世界は、カタン教団員の上層部のみが支配する楽園となる。
その中の1人になることが、私の究極の望みなのだ……。
ただ1人、自分の執務室にのこったナシュタール。
夢想はとめどもなく広がるばかりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます