第25話 翔太の決意
学校から帰宅し、
海玲とて暇じゃないのだ。
常時スマホを確認しているわけではなく、今のようにしばらく既読がつかないこともそう珍しい話ではない。
なのに、
(なんで、今日に限って、こんなにも嫌な予感がするんだろう……)
スマホに付いた、海玲とお揃いのストラップを眺めながらそう思う。
なぜだかわからないが、胸騒ぎがしてならなかった。
そのせいか、海玲からの返信を待つ以外のことをやろうという気が起こらず、スマホを床に置いてからは、ただボーっと天井を眺めているだけだった。
それからいったい、どれくらいの時間が経った頃だろうか。
ピンポーンと呼び鈴が鳴り、もう少しでうたた寝しそうになっていた翔太は反射的に飛び起きる。
「は、はいッ!」
返事をしながらも、慌てて玄関へ向かう。
外はもうすっかり暗くなっていたので、玄関の灯りをつけてから扉を開けると、
「新野くんっ!」
次の瞬間、制服姿の海玲が抱きついてきて、翔太の思考が盛大に止まった。
「……え? えぇッ!?」
ほどなくして回り始めた思考が、海玲に抱きつかれたという事実を認識し、翔太の頬を瞬く間に火照らせていくも、
「ぅ……ひっく……っ」
翔太の胸に顔を
よく見ると、彼女は靴下のままで靴を履いていなかった。
その手に握られたスマホは、画面はバキバキに割れ、本体自体もちょっとした拍子で真っ二つに割れそうなほどに破壊されていた。
そして、初めて彼女と遊んだ時にクレーンゲームでゲットした、お揃いのウサもんストラップのマスコットは、右耳と右足がもげている上に、顔と胴体にあたる部分は原型が留めないほどにまでグチャグチャに潰されていた。
誰の仕業であるのかは、疑うまでもない。が、勝手に決めつけるのもよくないので、念のため海玲に訊ねてみる。
「まさかこれ……夏木さんのお父さんが?」
海玲は翔太の胸に顔を埋めたまま、ぎこちなく首肯を返した。
「と、とりあえず中に入って。たいした物はないけど、お茶くらいは出せるから」
再び翔太の胸の中で首肯を返してから、海玲は離れる。
泣き腫らして真っ赤になった目と、憔悴しきった表情がひどく痛々しく、見ているだけで胸が締めつけられる思いだった。
靴を脱ごうとしたのか、海玲は片足をあげたところで「ぁ……」と、か細い声を漏らす。
今になってようやく、自分が靴を履いていないことに気づいたようだ。
(そういえば……ここまで靴も履かずにやって来たということは……!)
海玲が足を下ろす前に、翔太は彼女の靴下の裏に視線を移す。
案の定、真っ白の靴下には血が染み付いていた。
「な、夏木さん! お風呂場に案内するから、靴下を脱いで足を洗って! その後で応急処置をするから!」
それから海玲は言われたとおり靴下を脱ぎ、お風呂場で足を洗う。
その間に翔太は救急箱を用意し、海玲の足の裏を消毒してからガーゼを貼り、包帯で巻いて固定した。
「これでよし、と」
女の子の生足を
度重なるイジメのせいで生傷が絶えず、購入した救急箱と、外傷の処置に手慣れてしまったことが、こんな形で役に立つとは思わなかった。
「ありがとう……新野くん……」
か細い声音で、海玲は礼を言う。
足の裏を消毒した際、普通ならその痛みに表情をしかめてもいいはずなのに、海玲の表情は、それこそ眉一つ動くことはなかった。
度重なるDVで痛みに慣れてしまっているのか、それとも痛がる余力もないほどに憔悴してしまっているのか。
いずれにせよ、翔太の胸は締めつけられるばかりだった。
部屋の中央にある、勉強机の代わりとしても使っているローテーブルの上に、ペットボトルの緑茶を注いだコップを二つ並べる。
「どうぞ、夏木さん」
首肯を返し、舐めるようにちびちびと緑茶を啜る海玲をよそに、翔太はコップの緑茶を一気に
海玲がこの部屋に来た上に、彼女の足の応急処置を施したせいか、喉はとっくの昔にカラカラになっていた。
再びペッドボトルの緑茶をコップに注いでから、翔太はおずおずと訊ねる。
「夏木さん……答えたくなかったら別に答えなくてもいいけど……お父さんと、何があったの?」
わずかな沈黙を挟み、海玲はか細い声音で語り出す。
翔太がイジメられている動画を撮るために、海玲が学校を早退したことを不審に思った海玲の父――
そのことを追及され、答えあぐねていた海玲に激昂した潮にDVを振るわれたことを。
その拍子に落ちたスマホとストラップを見て、「俺は買ってやった覚えはないぞ」とさらに激昂した潮がそれらを踏み潰して……気がつけば、スマホとストラップを奪い返して家を飛び出していたことを。
「そんな……じゃあ、僕のせいで夏木さんが……」
血の気が引く思いだった。
イジメを解決するために海玲に無理をさせてしまった結果、この事態を招いてしまった。
全て、僕が悪――
「違うっ!」
今までのか細さが嘘のような、悲鳴じみた声で海玲は否定する。
「新野くんのせいじゃない! 悪いのは、全部〝あの人〟だから……」
けれど、すぐに言葉尻が萎み、か細い声音に戻っていく。
「もう、本当にわけがわからない……〝あの人〟がいったい何を考えているのかも……〝あの人〟がいったい何を思って、こんなことをするのかも……」
その声音は、翔太が海玲と初めて出会った時――自殺しようとしていた時の彼女と同じくらいに、絶望に満ちていた。
もし僕がいなかったから、彼女はまた自殺しようとしていたかもしれない――自惚れでもなんでもなく、そう確信できるほどに。
「もうやだ……わたし、〝あの人〟がいる家にいたくないぃ……やだ……やだよぉ……」
話している内に心が絶望に塗り潰されたのか、海玲は子供ように泣きながら父親の存在を拒絶する。
さしもの翔太も、海玲をここまで追い詰めた潮に憤りを覚えていた。海玲の父親だから悪し様にできないという思いは、最早欠片ほども湧いてこなかった。
(今度は、僕の番だ)
そう己に刻みつける。
夏木さんは、僕をイジメから救ってくれた。
そのせいで、父親にひどいDVを受けてしまった。
僕のせいで彼女を傷つけてしまった。泣かせてしまった。
だから――
(今度は、僕が救う。夏木さんを)
そのためならば、どんな無茶だってする。どんな無理だってする。
それで彼女を救えるのなら、それは、とてもとても安いものだから。
(肝心の、夏木さんをお父さんから救う方法だけど……)
だから、試してみる価値があるかもしれないという程度の方法を、一応は思い浮かんでいた。
だけど
そもそも
下手をすると、夏木さんに嫌われてしまう可能性すらあるものだった。
(でも……!)
彼女が今、こんなにも傷ついているのなら。
たとえ
構わない。
(それで夏木さんが、DVから解放されるのなら……!)
悲壮な――などという
ただ夏木さんのために
そして、絶対に夏木さんを父親のDVから解放する。
その決意だけを、己が胸に、己が魂に、強く強く刻みつけた。
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