第17話 最悪との邂逅

 ウサギカフェを後にした翔太は、ろくにウサギと触れあえなかったことに地味にショックを受けたものの、気を取り直して、海玲と一緒に次の目的地を目指して町を歩く。


「クレープ屋さん!」


 次の目的地について聞いた瞬間、海玲が嬉しげな声を上げてくれたことが、翔太には何よりも嬉しいことだった。


「実を言うと、僕も一度行ってみたかったんだよね。ほら、クレープ屋さんって男一人じゃ入りにくいから」

「確かに、男の人が一人で来ているのは見たことないかも。来るとすれば、カップルで――……」


 海玲は唐突に言葉を切り、顔を赤くする。

 わかりやすいところで言葉が切れたという理由もあるが、海玲の反応で大凡おおよそ察してしまった翔太も、釣られたように顔を赤くしてしまう。


「いや……別にカップルとしてじゃなくて……」


 自分でも何が言いたいのかわからず、口ごもってしまう。が、どうにかこの場を誤魔化したいという思いは、海玲も同じだったらしく、


「そ、そうだよね! そうだよね……」


 こちらに乗っかることで有耶無耶にしつつも、なぜかどこか残念そうに言葉尻をしぼめていった。

 そんな彼女の反応が意味するところを考えようとした、その時。



「お~っす♪ 新野くん♪」



 背後から、嫌というほどに聞き慣れた男子の声が聞こえてきて、翔太は硬直する。

 ただの聞き間違いであってほしいと切に願うも、顔の熱を瞬く間に奪う寒気が、恐怖で強張る体が、聞き間違いではないことをそれこそ嫌というほどに翔太に報せていた。

 今、翔太の名前を呼んだのは、


「成瀬……くん……」


 振り返りながら、自分をイジメる〝彼〟の名前を口にする。

 翔太と比べて垢抜けた服装をしている成瀬の隣には、加藤と広田の姿もあった。


「新野くん?」


 気遣わしげにかけてくれた海玲の声が、今はひどく遠い。


「いやぁ、まさかこの世に新野に惚れる女がいるとは思わなかったわ。なぁ?」


 成瀬は揶揄やゆするような物言いで加藤と広田に話を振り、


「ほんとそれな」

「物好きなんてもんじゃねえよな」


 当たり前のように同意した二人が、ゲラゲラと笑い出す。


「でもよぉ。彼女、新野にはいくら何でも勿体なさすぎやしねぇか?」

「確かに……」

「つうか、このコめっちゃ可愛くね?」


 成瀬の言葉に、またしても二人は同意する。


 矛先が海玲に向き始め、翔太は何か言い返さなきゃと焦るも、恐怖で固まった心と体は動く素振りすら見せてくれなかった。

 海玲が、怯えるようにこちらの服の裾を掴んできているのに。


「加藤。ナンパの手本ってやつを見せてやるよ」


 そう言って、成瀬が翔太たちに近づいてくる。


「うっせぇ! 失敗しろ! 俺と同じ気持ちを味わえ!」

「お前年上が好みなのに、こういう時だけ宗旨替えするとかひっでぇ奴だな!」


 その後ろで加藤と広田が、ギャーギャーと成瀬をはやし立てた。


 目の前まで成瀬がやってくる。

 海玲が傍にいるせいか、いつもイジメられている時以上に脂汗が滲んでいる気がする。

 喉は、先程ウサギカフェで潤してきたばかりなのに、もうカラカラになっていた。


「なぁ、彼女。そんなつまんねぇヘタレ野郎と遊ぶよりも、俺たちと一緒に遊ばぼうぜ。絶対に楽しいからよ」


 怯えているのか、海玲はさらに強く、翔太の服の裾を掴んでくる。


(何か……言わなきゃ……)


 このままでは、僕だけじゃなくて夏木さんまで酷い目に遭わされるかもしれない。

 だから、何か言わなきゃ……。

 成瀬くんに、何か言い返さなきゃ……いけないのに……いけないの――


「いや……!」


 海玲は声音を震えさせながらもはっきりと拒絶を示し、翔太はおろか成瀬たちまでもが瞠目する。


「新野くんはつまらない人でも、ヘタレな人でも……ないっ。 わたしは……新野くんと遊びたいの。だから……わたしたちに構わないで!」


 勇気を振り絞って、必死に、海玲は言い切る。

 そこまで言ってもらえたことは翔太も嬉しいけど、


(駄目だ……駄目だ、夏木さん!)


 そんな風に言ったら、〝彼〟の機嫌を損ねてしまう。〝彼〟を怒らせてしまう。


「んだと?」


 案の定、不快感を露わにした成瀬が、腕力に言わせて翔太と海玲を引き剥がす。


「ツベコベ言ってねぇで一緒に来いっってんだ。初めからお前に拒否権なんてないんだよ」


 そして、無造作に、無遠慮に、海玲の右手を、父親のDVで怪我をした手を掴んだ。


「いた……っ」


 海玲の口から苦悶の声が上がる。

 その瞬間、翔太の中で切れたのは恐怖という名の鎖か、はたまた堪忍袋の緒か。


「やめろぉおぉおぉおおおおぉぉおぉおぉぉおおおおぉおおぉッ!!」


 気がついた時にはもう、声を上げながら成瀬に体当たりをしていた。


「ちぃ……!」


 しかし悲しいかな。

 体格差に加えて筋力差もあるせいで、成瀬を二三歩後ずさらせただけで、突き飛ばすことはおろか尻餅をつかせることすらできなかった。

 けれど、成瀬の手を、海玲から引き剥がすことはできた。成瀬の矛先を自分に向けることも。


「てめぇ……!」


 思わぬ反撃を受けたことにキレているのか、普段は他の人間にバレにくい腹部ばかりを殴っていた成瀬が、翔太の顔面に拳を叩き込む。


「新野くんっ!!」


 海玲が悲鳴を上げる中、殴り飛ばされた翔太は地面に倒れ伏す。

 幸い歯が欠けるようなことにはならなかったが、口の中が切れたため、鉄の味が口腔いっぱいに拡がった。


「お、おい、成瀬……!」

「やべえって……!」


 騒ぎが大きくなって人が集まり始めたことに焦った加藤と広田が、成瀬を止めに入る。

 すぐに冷静さを取り戻した成瀬は、周囲を見回して舌打ちを漏らすと、


「新野の分際で恥かかせやがって……てめぇ、


 死刑宣告に等しい捨て台詞を吐き、加藤たちとともに、逃げるようにこの場から去っていった。

 そんな成瀬たちの背中を呆然と見つめながら、翔太は思う。


(なんで……こんなことに……)


 今日は、海玲と二人で楽しい一日を過ごすはずだったのに。

 DVのせいで怪我をした海玲に、今日という日を目いっぱい楽しんでもらおうと思っていたのに。


(僕がイジメられているせいで、台無しになった……)


「新野くん……」


 横合いから、海玲の声が聞こえてくる。こちらを気遣う優しい声音だった。

 けれど、自分のせいで恐い思いをさせてしまったせいで、その声音は少しだけ震えていた。

 それが、翔太には許せなかった。

 成瀬たちから海玲を護ることすらできない情けない自分が、恥ずかしくて仕方なかった。

 だから、海玲に顔向けできなくて、


「とりあえず、ここを離れ――新野くんっ!?」


 気がつけば、その場から逃げ出していた。


(やっぱり、僕……僕!)


 夏木さんが傷つくまで、僕は恐くて何も言えなかった! 何も動けなかった!


 僕は、どうしようもないほどに弱い人間なんだ!


 好きな女の子一人護れない、弱い人間なんだ!


 何が夏木さんにふさわしい男になりたいだ!

 

 身も心もこんなに弱いくせに、何を勘違いしていたんだ!


 僕が、夏木さんの隣にいていいわけがなかったんだ!


 ひたすらに、ただひたすらに、己を罵倒する。

 ひたすらに、ただひたすらに、海玲から逃げていく。

 けれど、翔太は気づいていない。

 これほどまでに自己嫌悪に陥ってなお、自殺という言葉が脳裏をかすめてすらいないことを。

 それは、海玲と出会う前の翔太にはなかった、些細ではあるけれど、確かな強さであることを。

 そのことに気づかないまま、翔太はひたすらに、ただひたすらに走り続けた。

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