第28話 旅の終わり(前編)
あの呼吸の音は誰だろう。
煩く、深く長く。
それでいてか細い命をつなぐような呼吸。
ぼんやりとした私の視界に白い天井灯が映る。
はじめはセピア色。
だんだんと色がついて行くように、この世界を視認する。
規則正しい機械音が、
私の胸の鼓動を伝えている。
あぁ、そうか。
これはわたしの呼吸の音か。
どうりで死にそうなはず。
だって私はあの時……思いかけてふと横を見ると、目を見開いた私の母が驚きの声をあげる。
「るな!目を覚ましたの、るな?!」
涙を流しながら私の両手を掴む。こういう時、なんて言うんだっけ。私は久方ぶりに口を開く。
「おか……あさん?」
母は泣きながら私の両手を掴む。温もりを確かめるように。
「良かった!本当に良かった!」
そう喜ぶと廊下に駆け出す。
「待ってて、さっき出て行ったばかりだから、先生を呼んでくるわ。」
部屋に私は1人残される。
見やると窓の外には暗い雲。カレンダーを見るには4月になっていた。ああ、そうか。私、2ヶ月も寝ていたんだね。
唐突な目覚め。ふと、私の顔が濡れているのに気がつく。これは、涙?なんで?私は点滴を引きながら立ち上がると近くの鏡を見る。
黒くて長い髪。ヨレヨレの病院服。そうだ。私は鐘月るな。でもなんで?なんで涙が止まらないんだろう。
それから1週間はまるで夢のように早く過ぎた。
桜が散る頃には2ヶ月寝たきりだった私も賢明なリハビリの甲斐もありなんとかいくらかは歩けるようになり、学校の友達は次々とお見舞いに駆けつけた。
バレー部の先輩、先生。みんな涙を流して喜んでくれた。私も涙を流す。でも正直実感がない。
私にしてみたら、"あの時"から一瞬で今に至ったようなものだから。そこで私は頭に引っかかるものを感じる。果たしてそれは本当だっただろうか。
何かとても、とても長い夢を見ていたような。
車椅子に乗ったまま思案顔の私の顔を、椅子を押すミッちゃんが覗き込む。活発な茶髪のショートヘア。クリッと大きな瞳のわたしの親友。
「どうしたのルーちゃん?まだ少し、ぼーっとしちゃう?」
私は首を振る。
「ううん、大丈夫。それより嬉しいな。またミッちゃんに会えるなんて。こんな日が来ると思ってなかったな。」
泣きそうな笑い顔の私の物言いを、彼女は元気付けようと笑い飛ばす。
「あはは、変なの!意識が無かったはずなのに、まるでずっと起きてたみたいね。」
ここは病院の屋上。清々しい春の晴れ空に、真白いリネンが干されている。この世界は相変わらず湿度は高いが、それでも吹き抜ける風は清々しい。
「うん。私も不思議な気分よ。こうして日本語を話すのも、とても久々という気がするし。」
私は遠い目で灰色一色の街並みを見下ろす。桜があちらこちらで咲いている。
「あらやだ、スペインに住んでた頃の子ども時代の夢でもみてたの?」
それともまた違うような不思議な感覚。私は急に怖くなってミッちゃんの腕を握り締める。私はどうしてしまったんだろう。
断片的な記憶。顔が思い出せないあの人。とても、とても忘れてはいけない約束があった気がするのに。
私のただならぬ様子を感じ取ったのか、ミッちゃんは私をギュッと抱きしめる。
「大丈夫だよ。大丈夫。」
私はその腕にしがみつく。大丈夫なのかな?本当にこれで大丈夫なのかな。言いようのない不安をかき消すかのように桜吹雪が私たちに吹き付ける。
またの名を夢見草。
桜は私にどんな夢を見せたというの?
暖かい彼女の腕越しに私は視界の端でちらりと捉える。
真白い蝶々。
それはどこかで見たような。
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