第22話 マリオネットの娘④
深夜、この屋敷の人間が誰しも寝静まった頃。フェンリルはベッドから起き上がる。
窓の外では雨が勢いを増している。フェンリルは冷静に冷めた頭で部屋を出ると、ランプを手にロズウェルの部屋の方に歩き出した。
しかし幾分もしないうちに立ち止まる。廊下の先、奈落へと繋がるようなその暗闇に、佇んでいる一つの影。機械人形のローザ。
フェンリルは寒気を感じで唾を飲む。しかし彼女がそこにいる事は逆にフェンリル推測が正しい事を意味する。
彼は自分の心に鞭を打つと、ゆっくりと足を前に進める。そしてロズウェルの部屋の近くでランプの火を消した。近づくと微動だにしないままの機械人形に、静かに声をかける。
「ローザさん、今夜は貴方の正体についてお話をしに来ました。」
屈んで、その低い顔に目線を合わせる。赤い瞳。よく見るとその瞳の中はこまめに収縮している。
「"あなたの部屋"で話しませんか。」
そう言うと彼女を追い越し、さらに廊下の奥に歩みを進めていく。曲がり角を一つ曲がってその奥に、白いドアがその姿を現した。
すると、ローザは突如素早く動き、フェンリルを追い越してドアのノブに手を回す。
「ノック・・・グライ・・・スルモノヨ?シツレイナヒト。」
不気味な響きの音声が告げると、意識が途切れたようにその身体から力が抜けガシャリと地面に崩れ去る。と同時にガチャリとドアが内側から開く。
中から顔を出したのは白い肌、赤い髪に赤い瞳の"人間のローザ"。
「コッチに来てはダメって言ったじゃない。お兄ちゃん?」
そう言いながらフェンリルを手招きする。足がある。体も透けていない。れっきとした人間だ。
招かれるがままに中に入ると部屋は薄暗く、あちこちで魔導書が乱雑に散らばっている。しかもそれらは捻糸で繋がれて直列接続しているらしい。稼働中の魔導書らしくぼんやりと光を放っている。
そしてフェンリルが驚いたのはその行先だ。その糸はひとつにまとまり、帽子のような大きな器具に繋がっている。
「やはり"君が中に入っていた"んだね。ローザさん。」
ローザと呼ばれた少女は両手を広げた。降参の合図だ。
「参ったわ。なぜ分かったの?」
か細い声だが少女らしからぬ大胆さですぐに負けを認めると、傍のベッドに腰掛ける。フェンリルは言葉を選びながら慎重に謎を紐解いていく。
「ローザさんはあまりに"高性能"すぎました。卓越した動作系と、言語の処理能力。そしてそれらを統合して管制する能力。これらはどう見積もってもあのボディには収まりきらない。」
フェンリルはそう告げながら周囲を見る。乱雑な部屋に見えるがおそらく本人にとってはこれが使いやすい配置なんだろう。さまざまなスチームテクトが所狭しと置いてある。
「だがそれも処理装置を個体の外に出すことができる高度な"遠隔操作"技術と、処理装置に"人間をそのまま使う"という2点を併用すれば解決はできます。」
ローザはその考察に舌を巻く。
「見事だけど、そこに至った決め手は何?」
フェンリルはうなづいて言葉を続けた。
「遠隔操作には風のマナと雷のマナを混ぜて使います。雷のマナの物体を貫通する力と、風のマナの振動する力を合わせて空気中は風のマナが振動する雷のマナを包み、物体中は雷のマナが振動する風のマナを包む。この連続的な組み合わせと、振動数を制御する事で目的の物体に命令を伝える。しかしこれには弱点があります。振動を高くすればするほど一度にたくさんの命令が乗せられますが、その分マナが疲弊するので"射程距離"が短くなる。」
本当は"それにしても既存の技術よりは段違いに高精度だ"と付け加えたかったがフェンリルは堪える。その脳裏では食堂でナイフを落とした時の一幕を思い返していた。
あの超スピードと超反応をローザがなし得たのは超極短の振動による情報量の多さが可能にしたものだと仮定した。
逆にそれがあったからこそ、"つい昨日まで"はまるでローザに頭脳素子が内蔵されているとフェンリルにも思わせるほどの素早い反応が可能になっていたのだ。
「ローザの行動範囲は食堂と、その真上に位置する二階の自室、そして食堂の隣の厨房のみ。ロビーから見て屋敷の反対側に位置する廊下は“掃除さえままならない“始末だ。それが証拠に貴方は昨日、ついには我々が侵入した"図書室"には距離的に対応できずに焦ってあなたが生身で現れた。つまり逆説的に考えられる結論は一つ。貴方の自室から、貴方がそのスチームテクトでローザを動かしていた。」
フェンリルは言い切るとローザの瞳を見る。その赤い目はわずかに潤んでいる。観念したようにローザが口を開く。
「遠隔操作装置は私が作ったの。パパもローザの頭に何が入っているのかは知らないわ。」
ローザは俯いた。
「パパは私がローザに入っている時だけ、私を娘と呼んでくれる。」
フェンリルも俯く。
そうか、それで。
「パパは取り憑かれていたのよ。機械に命を吹き込むって。そして、少しづつおかしくなっていった。」
フェンリルはかける言葉もなく彼女の瞳を見る。その瞳は憂いを帯びている。
「でもパパを攻めないで。私は良いの。私は今日も"ローザになるから"」
そう言って傍に打ち捨てられていたその機械帽子を手に取ると、頭に装着する。フェンリルの背後で、機械人形のローザが起き上がる。
「ドウ?コレガ・・・ワタシノ、ホントウノスガタヨ?」
しわがれた音声で語りかける。そしてゆっくりと右手をフェンリルに向かって差し出したその瞬間だった。
その機械の手が弾けると、中から素早く触手が伸びてフェンリルの首に絡みつく。
「アマカッタワネ。」
機械人形のローザは無表情にフェンリルを睨み付ける。人工筋肉に使われたクラーケンの触手のその大部分が剥き出しとなり、振り解けない程の強い力で首を締め付けていく。
「ぐぁ?!、あぁ!」
フェンリルは苦しみながらもがく。それと同時に疑問が湧いてくる。なぜこんなにも強い力が?クラーケンの触手は確かに生身なら強力だが、今は乾燥した干物に近い状態のはず。水のマナも無いのにどうして。
口の中でつぶやき気がつく。
そうか。そういう事か。フェンリルはもがく。ジタバタともがきながら、ランプの天板を叩き割ると、中の白い粉をローザの触手に投げつけた。
「ナ、ナンダコレハ?!」
萎びたように触手が枯れていく。フェンリルはその場に転がって苦しそうに咳き込んだ。
「火のマナランプには大量のマグマシェルの貝殻粉末が封入される!言うなれば乾燥剤だ。これほど水のマナと相性の悪いものはない!」
みるみるとその粉は白くかたまり、気味の悪い触手から水分を搾り尽くす。
「雨だ!この雨を利用して大気中の水のマナ濃度を限界まで上げているな?どうりでここに来た時から空気の重さを感じていた。そしてクラーケンの筋肉繊維に常に水のマナを補充する。」
フェンリルはさらに付け加える。
「超極単振動の遠隔操作も、使ったのは風のマナじゃない、水のマナだな?水のマナは風のマナよりよく振動を伝える。」
その間にもマグマシェルの白い粉は水のマナを無尽蔵に吸収して熱に変えて行く。
「ア、アツイ!カラダガ、ヤケル!」
ローザが廊下まで聞こえるほどの大きな叫びを上げる。痛みに悶えたその隙を見逃さず、フェンリルは廊下に飛び出した。
外では雷が鳴り響き、その閃光が廊下を照らす。逃げ惑うフェンリルの目に飛び込んできたのは、その雷に照らされるロズウェルの冷たい顔だった。
薄暗いその廊下に、静止したように立ち尽くす。
「フェンリル殿、ローザに何をした?」
初めてその顔に浮かぶ明らかな怒り。機械人形のローザは泣いているかのような悲鳴を上げて廊下に這っていく。
「パパ、コナイデ!コナイデ!」
ロズウェルはそれを見て目を見開き、さらなる一歩を踏み出す。フェンリルも声を上げる。
「ロズウェルさん、来ないでくれ!」
明らかな焦りがフェンリルの顔に浮かぶ。ロズウェルは目を見開いたままに、構わずさらに一歩を踏み出す。
フェンリルは再び声を張り上げた。
「来ちゃダメだ!ロズウェルさん!!」
必死の叫び。ロズウェルは足音を響かせてさらに近づく。
「ローザ、大丈夫だ。怖いもの・・・は何もない。すぐパパが守って・・・あげ・・・るか・・・ら」
途切れ途切れの言葉を残してロズウェル忽然と静止する。片足を踏み出したまま、今にも動き出しそうな石像のように凍りつく。
部屋の中から人間のローザが姿を表す。
「お兄ちゃん、気がついてたのね。」
「あぁ。」
フェンリルは動かなくなったロズウェルに近づく。そして部屋から恐る恐る顔をだしている人間のローザに振り返る。
「機械人形だったのは、ロズウェルさんの方なんだろう?」
フェンリルに確信を突かれてローザは今度こそ本音を吐いた。
「そこまでバレてるなら、もう言うことは無いわ。完敗よお兄ちゃん。」
そしてゆっくりと機械人形に歩み寄る。
「私が本物の"ロズウェル"よ。どうして気がついたの?」
フェンリルは言葉を紡いだ。
「違和感を感じたのは食堂でロウソクの火が消えた時だ。今思うと、空気中に水のマナが濃度限界まで満ちていた影響で炎自体が不安定だったんだろう。あの時、ロズウェル氏はロウソクの火を付けなかった。僕に『つけてくれ』とお願いしたんだ。客人に礼を尽くしてきたロズウェル氏の行動にしては違和感があった。最初は目を悪くされているのかとも思ったがそうじゃない。彼にはできなかったんだ。」
ローザは、いや、ロズウェル嬢は静かに機械人形を見つめている。
「僕が座っていたのは上座。入り口から最も遠い席だ。同時にそれはこの屋敷で"図書室"から最も遠い場所にあたる事を意味する。そう、おそらく図書室に納められているのは頭脳演算用の"大量の魔導書"だ。そこから遠隔で機械人形を動かしていた。つまり、この屋敷は機械人形"ロズウェル"の振る舞いをテストする実験場だったのさ。」
ロズウェル嬢は静かにフェンリルを一瞥すると機械人形"ロズウェル"の頬を愛しそうに撫でる。そしてゆっくりとその口を開く。
「完全な生命を作り出すのは無理だったわ。」
ロズウェル嬢は語り始める。
「でも毎日決まった、同じシークエンスの繰り返しなら、あの"図書室"サイズの書架でも再生することができた。」
フェンリルはハッとする。その繰り返しからループのような奇妙なデジャブが生まれた、と言うことか。
「パパはもういないわ。でも良いの。私のパパは"こう動いた"んだもの。実験は成功よ。」
彼女は満足げに笑う。
「そうか。」
フェンリルは納得する。そして静止した機械人形を見た。今ロズウェル氏がいるそこは、おそらく図書館からのマナ供給ができるギリギリの外の位置。
そこからロズウェル氏は一歩を踏み出そうとした。彼の中に根付くあらゆる自己保存命令に優先して"娘を守る"というその一点だけのために。
そしてそれは毎日決まった同じルーティーンだけの中からは絶対に生まれないもの。フェンリルは半ば感動して思わずつぶやく。
「新しい、一歩だ。」
もしかしたらそれは新しい生命の始まりとも言えるかもしれない。機械に命は宿るのか。その答えを出すかも知れない小さな一歩。
意味を理解してかローザの目には涙が浮かぶ。
「ありがとう、お兄ちゃん。」
そう言って一粒の涙をこぼす。いつのまにか雨が上がっていた。窓の外に見える稜線からは微かな光が差す。
夜明けがこの館にも訪れようとしていた。
翌朝、久しぶりに晴れた空にルナが伸びをする。久々の旅立ちの朝だ。
「それで、ロズウェルさんはフェンリルに手をかけなかったんでしょ?流石はロボット三原則。」
と、頬を膨らませた相方に声をかける。
「ロボ・・・?なんだいそれ。」
フェンリルは不機嫌に突っ返した。どうやらルナは最初から全てをある程度察していたらしい。
「この世界じゃ、アイザック・アシモフも通じないか〜」
ルナはフェンリルを放っておく。拗ねているだけならすぐに機嫌は治るだろう。ふと、二人は見送りに現れた小さな少女に目をやった。
「1人で大丈夫なの?」
ルナは心配して腰をかがめる、ロズウェル嬢も何故か不機嫌な表情だ。
「そのうちパパもローザもちゃんと作り直しますから。それに1人の方が研究しやすいので、お構いなく。」
ぷいとルナから顔を背けるとフェンリルに走り寄る。
「お兄ちゃん、いつでもまた立ち寄ってください。力になれる限りはこの御恩は返しますので。」
そう言って満面の笑みで腕に抱きつく。今度はルナがむくれる番だ。
「ちょっと、あんた離れなさいよガキンチョ!」
「あかんべ〜だ!私なんて昨日、『君の部屋で2人で話をしようか』なんて誘われたんですから!そんな経験あります?無さそう〜!」
「ちょっと待ちなさい!何なのそれフェンリル!」
ルナとロズウェル嬢、2人が互いの頬を引っ張り合いながら騒ぎ立てる。そのやりとりを見ていて思わずフェンリルは耐えきれず吹き出し、その場で大笑いをする。
いつもの世界が帰ってきた。
空には大きな虹が掛かっている。
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