第20話 マリオネットの娘②
窓を叩く雨の音と、激しい風がガラスに叩きつける音に目が覚める。
フェンリルは重い体を引きずってベッドから起き上がる。もう朝だと言うのに外はまるで夜であるかのように暗い。天気のせいだ。
その陰鬱な空気に飽き飽きしながら、彼は廊下へと出る。暗く長い廊下。
そうだった、ここはロズウェル氏の屋敷だ。
もやが晴れない頭の中を整理していく。思考が纏まらない。
階段を下りるとちょうどロズウェル氏が食堂に入るところだった。ロズウェルは相変わらずの長身で冷たい表情のままフェンリルに声をかけてくる。
「昨日は夜遅くにお疲れ様。」
「いいえ、すみません真夜中にお騒がせしてしまって。」
そう口をついて出た時だった。おかしい。フェンリルは気がつく。到着したのはおそらく昨日では無い。一体これは何度目の朝なのだ?
「ルナはどうしてます?」
分かってはいるのに反射的に決まり切ったことを聞いてしまう。
「まだ食堂にはいらっしゃっていません。お疲れなのでしょう。先に朝食はいかがかな?」
ロズウェルの提案にフェンリルは冷たい汗を流しながら従う。
食事を終えると紅茶ポットを乗せた台車を押して、ローザが部屋に入ってくる。
「どうですかフェンリル殿。気は変わりましたか。」
無表情なその顔を崩さずにロズウェルが声をかける。フェンリルは紅茶を注ぐローザを観察しながら答える。
「確かにお嬢さんは見事です。ですが、せめて図面だけでも開示していただけませんか。」
「いいですよ。」
意外にもロズウェルはあっさりと承諾する。ローザに合図をすると彼女は用意していたかのようにケースに入った図面を取り出す。
フェンリルは逆に奇妙な違和感を感じつつ、机の上の紅茶を端に避けた。
「広げても?」
「構いません」
フェンリルは図面をいくつか手にとった。
「人工筋肉には特殊な処理を施したクラーケンの触手ですか。驚きました。」
ロズウェルは褒められても表情を崩さない。
「ええ。クラーケンの触手はそのパワフルさと精確さは知られていますが、その繊維を腐敗させずに保持する事が困難で長年課題として残っておりました。細かいことはまだ申し上げられませんが私はこれを処理する方法を考案いたしました。」
フェンリルは技術的な話に食指が動いたのか、その口調もいつもの調子に戻りつつあった。
「耐用期間は?」
「一年半、と言うところでしょうな。そのタイミングでメンテナンスを行って全交換が必要になります。交換はパッケージ化したものを交換するだけで、2時間もあればすみます。」
「見事です。」
フェンリルはスチーマーとしてのロズウェルの腕に素直に感心しながら別の図面に目を移す。すると目に止まるものがあった。
ローザの四肢の人工筋肉、そして胴体の魔力炉心。となると人工頭脳が収められていると仮定できるローザの頭の部分が、その図面では黒く塗りつぶされている。
しかもそのインクの具合は風化がまだ浅い。まるで昨夜慌てて塗りつぶしたかのように。
「人工頭脳には何を?」
フェンリルは自分の中の逡巡を押し殺し、臆さず聞いてみたが答えは素っ気ないものだった。
「それもお答えできません。あなたもスチーマーならわかりますでしょう?技術上の秘密ですよ。」
そう言ってロズウェルは取り合わなかった。
苦い朝食を終えて部屋を出るとルナがフェンリルを待ち構えている。
「遅かったわね。」
フェンリルはたじろいで場を取り繕う。
「ま、待った?」
「待ったわよ。」
そう言ったあとフェンリルに耳打ちする。
「それで、収穫は?」
「無いね。ただしキモはやはりローザの人工頭脳だと思う。」
ルナはそれだけで満足そうにうなずく。そして2人は歩き出し、適当に話のできる場所を探して屋敷の裏をぶらついた。最終的には厨房勝手口の軒下にこっそりと陣取る。雨の滴が間近でひたひたと垂れて水たまりを打っている。
「こっちは収穫ありよ。さっきまで厨房に商人が来ていたのよ。」
フェンリルは驚いた。
「この雨の中を?」
ルナはうなずく。
「相当良いお金で雇われているんだと思う。週に2日、荷物を背負って山を登ってきてここに食材を下ろす契約みたい。噂程度だけど話が聞けたわ。」
ルナは得意げに話し出す。途中何度か興奮で声のトーンが上がり、フェンリルはそれを諫める事となった。だがしかしその内容はおよそ予想どおりのもので、フェンリルの考えを裏付けていた。
ロズウェルはどうやらその昔、小さな娘を落石事故で亡くしていると言う。なんでもひどい事故で、直撃した落石は体のほとんどの臓器を破壊し遺体の損傷が大きかったが、唯一頭だけは無傷で残ったという。
「妙な話だな。落石の死亡で最も多いのは頭部への直撃だ。」
フェンリルがつぶやく。ルナも同意する。
「この一件、臭うわよね。」
話の続きはさらにフェンリルの予想を裏付けるものだ。不思議なことにその遺体明晩には姿を消したとの噂があるらしい。
「それとこれ。」
ルナは1枚の古ぼけた写真を取り出す。
光のマナと光に反応する植物を組み合わせた古い型の写真機のものか。薄くだが色がついている。
詳しいディテールはぼやけてわからないが、家族3人の肖像に見える。若きロズウェル氏と髪の長い妻らしき女性。そしてその娘は薄い紅色の髪の毛の少女。
その時だった。話で夢中だった彼らの背後でコトリという物音。2人は慌てて写真を隠す。
そこにいたのは赤い髪のローザであった。彼女は無言で2人を追い越すと、大きなブリキ缶をゴミ捨て場と思われる場所に設置する。その表情からは、彼女が一体何を考えているかは読み解けなかった。
日が落ちたころ、フェンリルは疲れてベッドに横たわる。
雨のせいか気分も陰鬱だ。
ローザの正体。ロズウェルの秘密。少しずつ分かってきた気がする。しかし何か引っかかる。
そう思いながら扉の方を見てフェンリルは硬直する。
扉の隙間から、確かに誰かがこちらを見ている。
「だ、誰だ!」
思わず飛び起きるとルナの飄々とした声が笑った。
「私よ。ドアが開けっ放しだったからね。まったく無用心なんだから。」
両手を広げて笑う。彼女の笑顔だけが救いだが、ルナも疲れが溜まっているのか少々笑顔にも陰りが見える。
「少し、整理したいことがある。」
ルナと連れ立って夜の屋敷を歩き出す。詮索している事がバレるとバツが悪い。一応声は控えめに、足音は極力静かになるように努めた。
暗い廊下をランプの明かりを頼りに進んでいく。念のため光が少なくなるように覆いを被せている。
「ルナ、君は今日が昨日と同じ日だと思ったかい?」
フェンリルはボソリとつぶやく。ルナは首を振った。
「いいえ。至って普通よ。あなたがもしそう思うならそれはずっとロズウェルさんと一緒にいるからじゃ無い?」
ルナの妙な物言いにフェンリルは首を傾げる。
「ロズウェルさん?」
ルナは無表情のまま続ける。
「気がついてないなら教えてあげる。あの人、頑固なまでに規則正しく同じ生活を送るタイプよ。あなたと同じ。そういう人が2人揃うと、毎日って繰り返しに感じちゃうものよ。」
ルナはそう力説する。フェンリルは省みるところが無いでもなかったが思惑する。本当にそれだけだろうか。
フェンリルは玄関の中央ホールまで出る。ロズウェル氏が一人で、いや、ローザと二人で住むにはあまりに広い屋敷だ。
一回のロビーから右手に進むと食堂。食堂はとても長い。フェンリルは招待を受けた側なのでいつも上座に座る。上座は部屋から遠くていつも移動が大変だ。隣が厨房、だと思うが入った事はない。僕らの部屋は二階入ってすぐ左手。おそらく予想だが、二階の右手にローザやロズウェルさんの部屋があるのではないだろうか。それでは一階の左側、食堂の反対にあたるそこには何があるのか?
「昨日ルナが腰を抜かしてたのはどこだっけ。」
フェンリルが聞く。"腰を抜かしていた"という物言いに眉をしかめながらルナは答えた。
「二階の右側の奥ね。あの辺何があるのかな〜って部屋から出てみたのよ。」
「ふむ。」
フェンリルは一階の左手に行こうとして足を止める。
「どうしたの?」
尋ねるルナを手で制止した。そしてしゃがみ込む。
「見てルナ。」
言われてルナもしゃがむ。見るとそちら側の廊下にはうっすらと埃が溜まっている。
「あら、お掃除してない。」
少しおどけて口に手を当てる。
「わざとかもしれない。これでは歩き回れば足跡がついてしまう。」
フェンリルは立ち上がると再び二階に上がる。
「後はルナが腰を抜かしたあたりか。」
ルナはムッと顔をしかめる。
「それなら私はこの辺りにしておくわ。もう眠いし。それに探索なら昼でも良いはずよ。」
そう言って自分の部屋のドアを開ける。
「そ、そんな!ちょっとだけ付き合ってくれないか?」
「だめよ。何かあったら次はあなたが腰を抜かしなさいよね〜。」
意地悪な笑みを浮かべてドアをパタリとしめた。あたりはシーンと静まり返っている。
連日の雨で湿気を含んだぬるい空気がどこからか流れてきて頬を撫でる。フェンリルはゴクリと唾を飲んだ。そして一歩ずつ歩き出す。
暗い廊下に赤い絨毯が続いている。あの曲がり角まで、あの曲がり角まで行ってその先の構造だけ確認しよう。
そう自分に言い聞かす。しかし少し進んでから気がつく。近くの部屋の扉の下。わずかな隙間からランプの光を見られたらどうなる?
先ほど予想した通りならばこの先はおそらくロズウェル氏かローザの部屋だろう。フェンリルは咄嗟にランプを消した。
月のない夜だ。明かりひとつない中で妙に耳が冴えて、雨の音がハッキリと聞こえてくる。
一歩、あと一歩。この曲がり角の向こうはどうなっているのか。気持ちの悪い汗が背中を流れる。
曲がり角を曲がったその時だった。
激しく鼓動がひとつ打つ。
ヒラリと白い布が翻るのが見えた。そしてこちらを見る赤い目。ローザ。いや、それはローザではない。本物の人間のそれ。それは写真で見たあの姿そのもの。薄い紅色の髪の少女だった。
「ダメじゃない、お兄ちゃん。コッチに来たら。」
その声を最後まで聞き終えることもなく、フェンリルは悲鳴をあげ意識を失った。
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