第19話 マリオネットの娘①

窓を叩く雨の音。

激しい風がガラスに叩きつけている。


ゆっくりとフェンリルは目を覚ますと重い体をベッドから持ち上げる。天気のせいで朝方なのにまるで夜であるかのように暗い。


その陰鬱な空気を引きずったまま、彼は廊下へと歩き出る。


見慣れない廊下。そうだ、ここはロズウェル氏の屋敷だ。ぼんやりとした頭の中を整理していく。疲れからか頭のもやが晴れない。


階段を下りると丁度ロズウェル氏が食堂に入るところだった。背の高い老紳士であるロズウェルは鉄のような冷たい顔でこちらを見下ろすと、静かに口を開いた。


「昨日は夜遅くにお疲れ様。」


フェンリルは逆に恐縮する。


「いいえ、すみません真夜中にお騒がせしてしまって。」


そう口をついて出た。そして徐々に頭に記憶が蘇ってくる。依頼を受けたこの屋敷に、昨夜の夜遅くに転がり込んだのだ。


ここは山中深く、1番近くの村からでも谷を三つ越えた所にある森の洋館だ。


「ルナはどうしてます?」


フェンリルの問いかけに少し間を置いてロズウェルが答える。


「まだ食堂にはいらっしゃっていません。お疲れなのでしょう。先に朝食はいかがかな?」


ロズウェルの提案をフェンリルは受けることにした。2人で大きな食堂の中に入ると、広いテーブルにはすでに3人分の食事が準備されている。


戸惑うことなく長机の端と端に2人は座った。フェンリルはこういうのは慣れている。


「ローザ、水を良いかな?」


ロズウェル氏が誰ともなしに声をかける。


「はい」という返事と共に姿を現したのは、まだ幼い美しい少女。かと思ったが、よく見るとその表情は動くことなく静止している。


機械人形か。フェンリルはすぐに察する。世界中でも多くの発明家、スチーマーが血眼になって創造を夢見る"生きた機械"。


驚く事にローザと呼ばれたそれは滑らかな動作でロズウェルのコップに水を注ぐと、こちらに歩いてくる。氷のような顔とうっすらと赤い髪の毛。その瞳で見つめられると、フェンリルは一瞬緊張で身体が硬直する。


これは本物なのか?しかしそんな疑問はお首にも出さない。失礼に当たらないようにロズウェル氏の反応を伺うように努める。ロズウェル氏はそのフェンリルの様子を見て初めて笑顔を浮かべる。


「そうかしこまらなくても大丈夫ですよ。私の自慢の"娘"です。」


ローザはフェンリルの手前までくると軽くお辞儀をしてコップに水を注ぐ。近くで見るとやはり瞬きひとつしないその瞳に奇妙なものを感じる。水を零す事なく注ぎ終えると無駄ひとつない所作で後ろを向く。


まるで人間のモノのような恐ろしく滑らかな動作。フェンリルはあまりの事に、その人工筋肉の材質を推察しようとその背中を見つめていたのがいけなかったのだろう。手が滑りナイフをテーブルに落としてしまった。


金属音を響かせながらさらにナイフは地面へ。しかし、即座にローザは素早く屈み、ナイフをキャッチする。


その人間離れした素早さにもかかわらず、左手に持った水瓶からは水がこぼれる事もない。これにはフェンリルも思わず身震いする。


「ははは、驚かせてしまったようだね。ローザ、拾ってくれたのはありがたいが、新しい物をお持ちしてくれないか?」


フェンリルは食事をしながらも頭が機械人形の事から離れない。あれは一体なんだったのだろうか。


味のしない食事を終えると、ローザの入れてくれた紅茶が並べられる。いつのまにかルナの皿は片付けられていた。


「さて、どうですかな、私のローザは。完璧な私の"娘"です。」


ロズウェルは娘という響きにひどくこだわった。


「そうですね。確かに“完璧"と言って差し支えないかもしれません。」


熱い紅茶に口をつける。


「そうでしょう?手紙でもお願いしました通りあなたに私の成果をレポートしていただきたいのです。"クラウン"誌にフェンリル殿は執筆権をお持ちでしたな。」


フェンリルから苦い顔が漏れる。この老人、良く調べている。


「よくご存じですね。確かに寄稿の権利は持っています。年に1、2本、資金繰りに困ったときに書くぐらいですが。」


フェンリルは窓の外を見た。大きな窓の外は相変わらずの大雨で、見渡せる山々もどんよりと淀んでいる。


「私はかつて人工筋肉の研究で特許を取得しました。おかげでこんな山中に暮らしていても生活には不自由は無いのです。どうにも、人間が嫌いなたちでしてね。ですが研究するにはここは十分です。そしてその20年の成果をこうして世に知らしめたいと思うのは、悪いことではないでしょう。」


ロズウェル氏はそう言ったがフェンリルは今回の依頼を受けるにあたって氏のことは少し事前に調べていた。研究するだけなら山中で十分、というのは嘘だ。彼は人工筋肉の研究で一世を風靡したもののその後の研究は鳴かず飛ばず。都を追われるように山中に親子3人で籠ったと記録にはある。


「どうです?私が生み出した"命の宿ったスチームテクト"です。」


フェンリルは眉を動かす。"スチームテクト"とは芸術家肌のスチーマーがよく使う作品の呼び方だ。


「命?命と言いましたか。それはなかなか大きく出ましたね。」

緊張感に負けじとゆっくり息を吐く。

「ローザさんに、命があると言う根拠は?」


ロズウェル氏は2度目の笑いを見せる。

「ありますよ。もちろん。ローザは花も鳥も全て等しく愛でる。私の愛を受けてそれに応える。これが命で無くてなんなのか。」


静かな中に強い語気が混じる。


「それでは制作手法は?」

「それは、まだお答えできません。」


意外な答えにフェンリルは驚く。

「頭脳素子の材料は?」

「それも、お答えできません。」


フェンリルは眉間にシワを寄せる。

「論外ですね。これではレポートは書けませんよ。」

そう言うと席を立とうとする。


「どこに行かれるのです?」

ロズウェルは声をかける。

「ルナを起こして帰ります。」


ロズウェルは「おお」と芝居かかった声を漏らす。

「この雨です。もう一晩泊まっていかれると良いでしょう。それに、そう。ローザを見ているうちに、あなたの気も変わるかもしれない。」

フェンリルの目も見ないままそう語る。


夕食になってもルナは現れなかった。


長い机を挟んでロズウェル氏とフェンリルは向かい合う。


重い沈黙が流れていた。外を眺めると雨風はより激しさを増し、雷さえ聞こえてきている。卓上のろうそくの炎が揺らめき、傍に立つ微動だにしないローザの頬を照らしている。


「フェンリル殿、あなたは信用できる。」

唐突にロズウェルは口を開く。

「ローザをちゃんと"ローザさん"と呼んでくれたのは、ここに来たスチーマーの中であなたが初めてです。」

フェンリルの中に違和感がひっかかる。ここに来たスチーマー、とは誰のことだろうか。フェンリルはもう一度ローザをチラリと見た。ろうそくに照らされる表情は不気味だが彼女はフェンリルの視線に気がつくと首を傾けて愛らしさを振る舞った。


「命、命か。」


フェンリルは誰にも聞こえないように呟く。と、その時だった。雷鳴が轟いたかと思うと突然蝋燭の火が消える。フェンリルは驚いてその場に硬直する。


なぜ?風もないのに火が消えた?

暗闇に何かがゴソゴソと動く音。


「ロズウェルさん?ロズウェルさん!?」


思わず大きな声を出す。返答にはしばしの沈黙を要した。


「すまないがフェンリル殿。そちらの灯りをつけてくれないか?」


闇の中から湧き出すようなその声に、フェンリルはハッとして胸ポケットから火のマナ石を取り出し、ろうそくに火をつけていく。


ぼんやりと、ローザとロズウェルが浮かび上がる。なるほど、笑えない冗談だが2人ともその無表情な鉄面皮はよく似ている。


フェンリルは皮肉にもそう思ってしまった事に気がついて自分の頬を叩いた。いけない。いけない。そんな風に思うのは失礼だ。


その夜、フェンリルはベッドに横たわり1人考える。ローザの事もそうだが、ロズウェルは他にも何かを隠している。


あの機械人形、ローザは言葉こそ発しないものの、こちらの文言は全て理解していた。言語野自体は確実に機能している。


人間の脳をそのまま再現しようとすれば、現行の魔導書の製本技術では城二つ分くらいの大きさの書架による魔導書連結が必要になるはずだ。それが無いと言う事は・・・。


雨の音だけが響く部屋。

沈黙が思考を呑み込む。


と、コトリ、と物音が聞こえた。ビクリと飛び起きて扉を見るフェンリル。きぃ、と音を立てて扉が開く。


「誰だ!」


声を上げるが返答するものは居ない。恐る恐る近づいて見るが、誰もいない廊下を暗闇だけが支配する。


「?」


フェンリルはひざまづいて地面を見る。一滴のシミ。雨漏りだろうか。彼は指で触ると匂いを嗅ぐ。


「これは、作動油だ。」


口の中で呟いた時だった。屋敷中に響き渡る女性の悲鳴。フェンリルは弾かれたようにすぐさま駆け出す。


「ルナ!!!」


その名を叫びながら声のした方向へ。長い廊下の曲がり角、確かこの方向に、と思うと背の高い人物にぶつかる。


「ロズウェルさん!」

「すみませんフェンリル殿。大丈夫かい?」


倒れそうになるフェンリルの肩を力強く支える。


「それよりこちらに。」

2人で廊下を走っていく。


すると廊下の真ん中にいたのは腰を抜かしたルナであった。


「どうしたんだ?!」

「こ、こ、この人、人?」


ルナが指差す先にはローザが無言で佇んでいる。ロズウェルがはははと笑った。


「すみませんね驚かせて。こちらは私の可愛い娘、ローザです。お昼にサンドイッチをお届けに行った時は私が参りましたからね。」


そう言って立ち上がるルナに手を貸した。ルナはフェンリルの後ろに小走りで走る。そしてロズウェルに聞こえないくらいの小声で呟いた。


「フェンリル、私見たのよ。」

「機械人形を?」


フェンリルも苦笑する。しかしルナの声は震えていた。かつてこんな事があっただろうか。


ルナは小さく首を振る。


「違うわ。この屋敷、私たちと機械人形、ロズウェルさんしかいないはずでしょ?」


フェンリルの背中を悪寒が駆け抜ける。ルナはうなずく。


「この屋敷、何かいるわよ。」


降り頻る雨の中、暗闇を雷が照らしだす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る