第18話 大図書館よ歩き出せ⑦
魔導書というのはつまるところ超巨大なマナ演算機。数百ページにも及ぶそれはただ一つの帰結を導くための過程に過ぎない。
私からみればそれは物語と全く変わらない。
「一冊あたり400層の魔法陣か。果たしてどんな魔法が飛び出すやら。」
ルナは楽しみとばかりにマリーダどフェンリルの作業を覗き込む。2人は積み上げた本に大量のしおりを挟んでいた。
「ル、ルナさん?!随分と呑気ですね?!わ、私が来なかったらどうするつもりだったんですか?!」
作業の手を止めずにマリーダが声を上げる。
「その時は素敵なプランBでも考えていたわよ。」
ニヘラと笑ってみせる。
私も大概だと思うけど、彼女はもっと嘘が下手。マリーダはそう思いつつフェンリルに声をかける。
「最終調整、こんなにテキパキできるなんて。実は魔導書も描けたのでは?」
そう言いながら赤いしおりを本に挟む。これは回路の切り替え。並列回路を持つ魔導書はこうしてしおりを挟む事でマナの通り道を切り替えて機能を調整、変化させる事ができるのだ。
「人並みにはね。でもマリーダさん程のセンスはありませんよ。」
そう言いながらフェンリルはパラパラとページをめくり、的確な箇所に黒いしおりを挟んでいく。黒いしおりは回路の無効化。回路組み換え時に不要な魔路を絶縁する。
それは一通りの魔術体系を理解していないと到底できない作業だ。
「こっちは終わりました。」
フェンリルが最後の一冊を渡す。
「あ、ありがとうございます。」
マリーダはおどおどしながらその緑色の本を受け取ると書架に収めた。
高さはマリーダの身長の3倍以上。幅は馬車ほどもある巨大な書架。
「すみません本当に。最後は頼りきりで。」
フェンリルは申し訳なさそうに言う。これにはさすがにルナも申し訳なさそうに顔を曇らせ、マリーダの後方に立ち尽くすのみ。
「い、いいえ。これは私が踏み出さなければ行けない、最初の一歩。のはずです。」
マリーダは書架に備え付けられたレバーを握って感触を確かめる。さぁ行こう、私。
彼女は自分自身を叱咤して、ゆっくりと立ち上がる。砂埃を含んだ向かい風が緑色の髪を揺らす。
マリーダが眼鏡をかけ直して睨んだ先には、真っ直ぐ伸びる北への旅路。赤茶けた大地を一本の糸のように伸びるその道は遥か大図書館マグネルへと繋がっている。
それをまるで断ち切るかのように山がそびえる。いや、それは山ではない。神亀ドルドレイ。
体を揺らしてこちらに近づく。一歩ずつ。一歩ずつ。地鳴りが聞こえてくる。ああ、まるで私のいくべき運命に立ち塞がっているみたい。
マリーダと書架はマリントンの街を背に、ただそれだけで立ち向かう。
マリーダは目を瞑って深く呼吸すると、祈るように左手を顔の前にかざす。指にはめられた、赤い宝石の指輪が光を放つ。
「神様すみません。」
口の中でつぶやく。
誰にも聞こえることはなく。
だが力強い言葉で。
「そこ通りますんで、どけます!」
目を見開くと本棚に手を当てた。
「起動せよ戦闘書架。魔導書1080冊、直通回路形成。メタモルフォーゼ・ビブリオマキナ!」
叫びと共に書架がその形を変えていく。巨大な箱は分割され、手、足が形成される。そして巨大なそれはマリーダを包み込むように巨人の形態をとった。
「パワードスーツ?!」
ルナはこの世界に来る前の世界で見た映画を思い出して思わず声を上げる。
「すごい!噂通りだ!」
フェンリルはどことなく嬉しそうだ。
ルナはその様子を見て大きくため息をつく。
「マリーダさんと出会ってからどことなくテンション上がってるのはわかってたけど、こういう事かぁ。全く男の子ってのは。」
呆れて頭を抱えながらも口の中でつぶやく。
「心配して損したわ。」
湧き立つ2人をよそにマリーダは駆け出していた。その巨大に似合わず恐ろしく早い。大地を力強く蹴り、岩肌を飛び越え風になる。
「神様。大人しく・・・しててね!」
叫びながら足元にたどり着くと、勢いのまま甲羅を持ち上げる。衝突による衝撃で山が大きく揺らぐ。
「ぐ!うう!重い!」
一瞬たじろいだものの、そこからその神亀の巨体はびくともしない。書架は緑の光の粒子と共に魔導回路が唸りを上げる。
「マ、マナドレイン!」
マリーダは慌てて大地に左足を打ち下ろす。鋭い杭がカカトから飛び出し大地に深々と刺さると、大地のマナを吸い上げ始めた。ビブリオマキナはその出力をさらに上げていく。
「このおおお!!!もううう!頼むからぁ!」
マリーダは無茶苦茶に叫びながらさらに力を込める。が、その時だった。踏み出された前脚がビブリオマキナを吹き飛ばす。
ドルドレイにとっては何気ない、ただの前進のための一行程。しかし人間にとってはそれが致命の一撃。これが神と同格視されるものと、ただの人間との決定的な差。
マリーダはビブリオマキナと共に大地を転がり、指にはめられた指輪の赤い宝石にヒビが入る。
「機動キーが!」
マリーダはビブリオマキナの四肢をフル稼働させ機体を立て直す。が、既にヒビの入った起動キーではどうする事もできない。彼女は投げ出されるように荒野に転がった。
その顔にかけたメガネが割れる。
全身に激しい痛みが走る。
「痛い、痛いよ。こんなのやっぱり無理だよ。」
立ち上がる力もなく芋虫のようにうずくまる。涙が頬を伝う。
私には無理なんだ。
バロの言う事は正しかったんだ。
神様に逆らって、どうにかなるわけないじゃん。
与えられた運命を受け入れてみんな生きてるのに、私は好きな事ばっかりしようだなんて、虫が良すぎたんだ。
全身から力が抜けていく。
「マリーダ!」
彼女を呼ぶ声。見るとフェンリルがそこに駆け寄り、マリーダを庇うかのように立ち塞がった。
「無理じゃないよ。せっかくここまでマリーダさんはがんばったんだから。」
そう言って握った手を差し出す。その手の中には青く輝く宝石の指輪があった。
「もう一つの機動キー?」
理解できずにマリーダは驚く。
「僕もひとつ、魔法を仕込んでおいたのさ。キミのに比べると稚拙だけど。」
フェンリルは倒れているマリーダを起こしながら、古い起動キー、赤い宝石の指輪を外して青く輝く指輪を優しくマリーダの小さな指にはめる。
「さぁ、もう一度、君らしく図々しく、道を開けさせてよ。」
そう言って笑う。
全く、全く、まったく〜!
マリーダは立ち上がり、フェンリルを背にした。そして真っ直ぐドルドレイを見据える。
「指輪なんてつけさせて。それ、私の故郷だと婚約の意味なんですけど。」
「え、うそー?!」
フェンリルは困惑する。マリーダは振り向いて思い切りの笑顔を作る。
「えぇ、ウソです。」
そして今度こそ道を見据えると指輪をかざす。
「術式開始。」
詠唱に反応して指輪から光と共に回路の情報が流れ込んできた。彼女は察する。
「なるほど、さらりと言うけどとんでもない回路を組んでくれたものね。」
マリーダは深くため息。そして赤き光と共に詠唱を開始した。これは"覚悟"だ。
「起動せよ、戦闘書架。魔導書1080冊直列"消却"!!」
彼女の言葉と共に散らばっていた書架の破片までもが集まり、彼女の右手に巨大な拳を形成する。
彼女は歩く。
大図書館が、一歩ずつ歩いていく。
風が頬を撫でる。
もう大丈夫。
"もう迷わない"んじゃない。迷いながらでも、もう私は歩いていけるんだ。
顔を上げて目の前の神を見据える。さぁ、今こそ道を拓く時!
「神様。」
はっきりと口に出して祈る。
「道を、私に譲れ!!」
叫びながら放つ渾身の右フックが、神亀ドルドレイの頬に直撃する。まるで落雷が落ちたかのような轟音が辺りに響きわたり、空気の膨張が周囲をなぎ払う。
そして、一瞬のちに静寂。
マリーダには自分の吐息だけが聞こえていた。永遠にも等しい静止のその後、ズシーンという足音。
「まだ生きてる?」
ルナが驚愕する。
「いや、よく見ろ。」
フェンリルに言われてみると様子がおかしい。
ズシーンともう一度足音。
「進路が、それている。」
フェンリルが明るい声を出す。ルナも歓声をあげた。
「すごいわマリーダ!本当に神様に道を譲らせるなんて!」
二人の歓声を聞きながらマリーダは立ち尽くす。
そしてドルドレイと呼ばれた神亀の上に広がる森を見た。ユゴスの民たちが風に吹かれている。バロもまたその森からマリーダを見ていた。お互い目が合う。不思議と笑っている。マリーダも釣られて笑った。
彼女の生き方と彼の生き方は相容れない。一方は神と共に生き、一方は神の言うことさえ聞かない。
この先もきっと、一生分かり合えることはないだろう。だが、それでいい。
背負うものがある二人にとって、他人の生き方に口を出しているヒマなど無いのだから。
街から遠ざかる雄大な山そのものを、夕日が見送った。
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