第17話 大図書館よ歩き出せ⑥
亀の歩み。
しかし山そのものが動くとしたら、例え歩みが遅くともそのスケール感は桁違いだ。
その一歩が、森を踏み越え川を乗り越えて大地を揺るがす。
「ちょっと!意外と早いわよ!どうするのフェンリル!」
その背中の山中。激しい振動で立っていることもままならず、みな一様に木につかまっている。平気で立つのはバロくらいのものだ。
「なんであんたは平気なのよ!」
ルナが激しい上下動に振り回されながら叫ぶ。
「ユゴスの民、ここで生まれここで死ぬ。このくらいは普通だ。」
「わぁああ?!」
情けない叫び声の方をルナが見ると、大地の傾きによってフェンリルのしがみついていた倒木がずり落ちていく。
バロはのしのしと地を踏み締めて歩みよると、フェンリルをむんずとつかみ近場の太い木を掴ませた。
「あ、ありがとう。」
「どういたしましてなのだ。」
ルナは調子が狂うとばかりに頭を掻き、一応とばかりに聞いてみる。
「バ、バロさん・・・?ドルドレイを止められたりしないの?」
バロは不思議な顔をする。
「ドルド・・・?ユーゴー様の事か。それは無理だ。ユーゴー様はユーゴー様の意思で生きていく。その考えにヒトは口出しできない。」
フェンリルも口を挟む。
「あ、あなた達も本当はあの街に行ったり、人と話したいって言っていたじゃないか?」
バロはフェンリルを睨み付ける。大男に睨まれてフェンリルはビクリと縮こまる。
「言った。でもそれはバロがそうしたいだけ。ユーゴー様がそうしたくないならそれでいい。お前たち、話しずらい。わかるようにユーゴー様を神様と呼んでやる。いいか?神様がそう言っているなら、私たちユゴスの民はそれに従う。」
誰もが口を閉ざす。大きな足音と振動、けたたましい葉の擦れる音だけが場を支配する。文字通り、マリントンの破滅が一歩ずつ現実のものとなっていく。
「ある意味、正しいな。」
フェンリルは冷静に分析する。
「えぇ。確かにね。神様の言う事なら仕方ない、か」
ルナとフェンリルは顔を見合わせる。
「もうだめだ。おしまいだ。」
マリーダは震える。どうしてこんな事に?私が本棚をここに置いたから?それとも本棚を返してって言ったから神様が怒ったの?
「私は、私はいつもこうだ。」
つぶやくマリーダを横目にルナとフェンリルは荷物から長い縄梯子を取り出すと、木に結え付けて山の麓まで転がしていく。
「何をしている?」
バロは不思議そうに尋ねる。
「何って。神様を止めるのさ。」
振り向かずに答えるフェンリルに、バロは不快感を表すこともしなかった。子どもに言い聞かせるように繰り返す。
「言ったはずだ。神様が言うなら、それは受け入れるしかない事。なんでも自分の思い通りにして生きていく事はできない。生きている限り、どうしようもない事の連続。その宿命は受け入れなければならない。ユーゴー様はその象徴だ。」
「あら、神様だって意見聞くくらいならできるわよ、きっと。」
そう嘯くルナにマリーダも声を振り絞る。
「む、無茶だよ。こんなに大きいんだよ。できるわけないよ。下手すると怪我するだけじゃすまないよ。」
ルナはマリーダの目を見た。
「マリーダ。あなた、臆病なのにわがまま。私、嫌いじゃないよ。」
ルナはマリーダの肩を掴む。
「でも、なら。やりたい事があるなら、神様蹴っ飛ばしてだってやってご覧なさいよ。嘘泣きだってなんだってする、そんなあなたの以外とあなたらしいやり方かもよ?」
そう言うと梯子を降りていく。
「わ、私は。」
ひとりマリーダはつぶやく。
息を吸って、吐く。
神様を蹴っ飛ばしてでも自分の道を押し通る、か。
ルナの背を見送りながら自問自答する。
なんだ、最初からやることは決まっていたのかもしれない。マリーダはよろけながらも立ち上がると、本棚に手をつく。
「バロさん。本棚、返してもらいます。」
バロは大きくため息。
「やはり外地のヒトはわからない。」
バロはそう言いながらも本棚を大地から引き抜く。
「もしお前がユーゴー様の心を変えられるなら、この本棚を貸してやる。だが、無理なら返してもらう。それだけだ。」
そう言ってマリーダの5倍は質量があろうかと言う巨大な本棚を彼女に渡す。彼女はむんずとその本棚を背中に背負う。重力魔法が機能している。このくらいの重さはいつもの事だ。
「必ず、私の道を開けてみせます。」
マリーダはよたよたと本棚を背負いながらそこを後にした。卑怯だって、臆病だって、嘘つきだって私は良い。やりたい事をやって生きるなんて傲慢を、臆病でごまかした仮面の下で静かに押し通してきたのだ。
神様くらい説得してみせなくてどうする。
静かに緑の光を漂わせ始める彼女の背後の書架"ビブリオ"。そう、大図書館が歩き始めた。
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