第14話 大図書館よ歩き出せ③
静かに息を吸って、止める。
集中してゆっくり筆を下ろすと、そこから白紙の紙の上に世界が広がっていく。
色彩が芽生えてマナの流れが見えてくる。
少なくともマリーダにはそう感じられていた。
彼女にとって魔法陣の繋がりはそれぞれ一つの物語。いくつもの要素が絡まりあい、増幅しあい、時に打ち消しあって最後に美しい結果だけを残す。
「やっぱり、私は本だけを書いていたかった。」
口の中に自然と声が生まれていた。マリーダはハッと気が付き筆を止める。部屋の中にはフェンリルとルナ。そして自分の3人のみ。
既に日は落ちてマナランプの揺らぐことのない光が皆を照らしている。良かった。どうやら彼らには聞こえていなかったらしい。マリーダは胸を撫で下ろす。
そう、彼女は今やマグネルのマリーダ。"歩く大図書館"なのだから。自分のしたい事だけしていればいいというわけではない。
マリーダが振り向くとフェンリルはマリーダの描き出した魔法陣をテンプレートに彫り込んでいる。ルナは木箱の内側に赤い革を貼り付けていた。
マリーダの視線に気がついたのかフェンリルは口を開く。
「魔導書は増幅系の魔法陣は同じものをいくつも描く事が多いから、このテンプレートを使えば少しは楽に描けるはずです。」
フェンリルはテキパキとその型紙を仕上げる。ルナは最後に箱の蓋を取り付ける。
「フェンリル、これでいいの?アカシヤサラマンダーの革を内側に貼って、下にはホウラワタゲの綿を網に入れて固定したわ。」
フェンリルは少し大きめのその箱を開く。
「うん。良い出来だ。ここに入れればすぐインクが乾きますよ。マリーダさん。」
その箱の中には何層にも網が入れられ、接する事なく書きたての原稿が重ねて置けるようになっていた。中には空気のマナと火のマナを微弱に循環させる構造。
「あ、ありがとうございます!」
幾分か気持ちの落ち着いたマリーダはそう答えると再び机に向かい恐ろしいスピードで紙に巧緻な魔法陣を書き込んでいく。
「フェンリル、あなたは書かないの?」
ルナが膝でフェンリルをつつく。珍しくフェンリルは苦笑いだ。
「いや、数ある魔法道具の中でも魔導書だけは特別だよ。どちらかというと魔法使いよりの専門的な知識が必要なんだ。スチーマーの中でもさらに専門家がいる。」
そう言ってマリーダの背中を見つめる。もしかしたら彼女は、とフェンリルは思考した。もしかしたら彼女は"魔導書作家"なのだろうか。
しかしライブラリアンである彼女がなぜこんな技術を?
フェンリルは思考の穴に陥りかけて、頭を振った。いや、今考えることはそれではない。彼は無駄な思考を追い出すと作業に戻る。ふとルナが口を開いた。
「しかし山竜団とは、なんだか三流っぽい名前ねぇ。」
少しおどけて笑う。
フェンリルもわずかだが笑顔を見せる。
「それが意外と馬鹿にできないんだよね。彼らはいつもドルドレイに付き従って一緒に行動する"移動する山賊団"なんだけど、噂ではドルドレイの移動する向きを変える方法を知っているとかなんとか。」
ルナは驚く。
「マジで?それ結構やばい奴らじゃない?」
今もこの街の傍にその巨体を横たえる山のような神亀が、この街を押しつぶす光景を想像して身震いする。
「あくまで噂だけどね。だけどそれが抑止力となって、王都やなんかの治安組織もあまり手を出せないんだよね。まぁ、近づかなければ略奪行為にもあんまり積極的ではない連中なんだけれど。」
言いながら最後のひと削りを終える。
「マリーダさん、見てくれないか?」
呼びかけに応えてマリーダは椅子を降りると、テンプレート片手に近場の紙に手早く線を引く。
そして無言で紙を持ち上げるて顔を近づけて見ると、気がついたようにテンプレートの一部に赤い絵具を薄く塗る。
「この一面、もう0.1チッセ削ってください。魔導書は伝達経路にドラゴンの血をストレートで使わないんです。今回は土のマナを主体にしているのでサンドワームの体液と竜の血を4:5。ここに二つの液体が混ざるように発酵したリード酢を入れて混ぜます。いつもより表面張力が少なくてサラサラしてるんです。いつもの竜の血と同じ感覚だと線が太くなりすぎます。」
臆することなく、紙から目を離さずに言い切る彼女にフェンリルは舌を巻く。
「わかった。またひとつ勉強になったよ。ありがとう。」
言うと慎重に作業に取り掛かる。
「あ、わ、私ったら!すみません出しゃばってしまいました!」
その様子にルナは笑う。魔導書と向き合っている時はこの少女は人が変わったように冷静そのものだ。案外フェンリルと似ているのかもしれない。そう思うと愛着も湧いてくる。
ルナは大きく伸びをすると立ち上がった。
「もう夜も遅いわ。昼から何も食べてないんだし、オーダーストップする前に店長にサンドイッチでももらってくるわよ。」
そう言って部屋を降りていく。後にはフェンリルとマリーダだけが残った。フェンリルが丁寧に樹脂を削る音と、マリーダの静かな筆遣いだけが聞こえてくる。
静寂が場を支配する。
フェンリルは気を使いながらゆっくり口を開く。ずっと気になっていた事だ。
「回路を見ました。」
マリーダはピクリともせず筆を動かす。
「重力のマナと風のマナの使っていない予備回路が仕込んでありますね。マリーダさん、一体あなた、何を作っているんです?」
マリーダは振り返らない。沈黙。しかし耳すますと筆だけは休まずに動き続けているのがわかる。フェンリルが諦めて作業に戻ろうとした時、マリーダはやっと口を開く。
「そのうち見せてあげるわ。」
マリーダはその夜、それから一度も振り返らなかった。
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