第7話 パパはドラゴンスレイヤー⑤

フェンリルとルナがカレンと共に工房でやりとりを初めて数日後。まだ朝日が薄暗いころから工房に入っていくひとつの人影があった。


薄明に照らされているのは赤いツインテール、貴族令嬢のカレンである。彼女は壁にかけられたいくつもの火マナランプに一つずつ火を入れていく。


そして雷のマナを圧縮する装置を慎重に立ち上げる。圧縮機の出力が安定するには時間がかかる。それにこの装置は空気中の微細な水のマナをも集めてしまう。フェンリルが使用する前に水抜きをしておかなければ。


カレンは一言も発せずにそれらの工程をテキパキと終えると、フェンリルの机の上に目を落とす。マス目にびっしりと線がひかれたそれは工程表だろうか。最後に鉛筆の走り書きで"1.5日の遅れ"とメモがされている。


カレンは大きくため息をつくと、朝の凛とした空気を吸い込み気合を入れる。


コンプレッサーのうるさい音が逆に彼女を集中させる。彼女はフェンリルから借りている自分の机に向かい、回転工具を手にとり風のマナの通りを確認すると、余剰の資材に彫刻を刻み始めた。


これは練習であると共にカレンの"卒業制作"でもある。フェンリルにこれを見てもらいたい。そう思いながら集中していると時間があっという間に過ぎていく。


明るく朝日が差し込むころ、ルナが工房に入ってきた。


「精が出るわね。」


そう言って温かいコーヒーが入ったカップを渡す。カレンは一息ついてそれを受けとる。


「ありがとうなのですわ。まぁ、お父様を納得させるためですし当然ですわ!」


そう言いながらも俯く。


「でも時間がたりませんわ。こんなものではフェンリル様には到底及びません。一緒に旅ができる貴方が羨ましいです」


ポソリと洩れる本音。ルナは珍しく聞いた彼女の弱音を聞かなかったことにした。


「さぁ、今日の作業、始めるわよ!」


そう言って工具を手に取る。ルナはフェンリルが書いた魔法陣の巨大な型紙をクリスタルに重ねる。そして寸法をぴったり合わせると、スポンジにインクを染み込ませて型紙の上からポンポンと叩いていく。


「フェンリルが書いたレネル紙のテンプレはテングイカの墨で書かれてるわ。その墨は溶解性だから、時間が経つと綺麗にレネル紙の縦糸と横糸の間の繊維だけが抜け落ちる。それで普通のインクがこうやって反対側に綺麗に染み出すってわけ」


ルナが型紙を剥がすと綺麗にクリスタルの表面に魔法陣が描かれている。


「すごいですわ!」


カレンが思わず感嘆の声を上げる。カレンはそれを横目で追いながら、自分は特殊な薬剤でメタルリキッドスライムの溶液を除去していく。


「自分で塗ったのに用が済んだら自分で掃除だなんて、なんだか理不尽ですわ」


それを聞いてクスリと笑う声が聞こえた。

「確かにね」


カレンが見やるとフェンリルがゴーグルを上げて笑っている。フェンリルは最終工程の魔法陣の彫刻を担当していた。


下書き通りに正確に丁寧に、クリスタルに巨大な魔法陣を彫り込んでいく。カレンは脳内に今朝見たものがちらついていた。


"1.5日の遅れ"


フェンリルの顔は心なしか、かなり疲れているようにも見える。おそらく私のせいだ。私がもたもたしているから。


「フェンリル様!」


カレンは声を上げる。


「クリスタルのセッティングはあと2枚で終わりますわ。そうしたら私にも彫刻を任せてくれませんこと?2人でやれば早いでしょう?」


フェンリルは真剣な顔で考える。表情を隠したいのかゴーグルを下げた。


「確かにそれなら間に合うかもしれない。だけどできるの?もし失敗したら今度こそ全て"おじゃん"だ。ラインハルト卿との約束の期日は確実に間に合わなくなるし1枚78万ニーカのクリスタルも飛ぶ。」


確かにフェンリルの言う通り。

カレンは唇を噛む。


「わたくし・・・わたしはっ!」


その時だ。カレンの肩をルナがポンと叩く。


「やってみればいいんじゃない?それでダメなら、まぁ、青眼盗んで3人でにげましょ?」


冗談めかして言う。

フェンリルは大きくため息をついた。


「はぁ、まったく。」

ため息と共に付け加える。

「その時は主犯はカレン様だからな。」


そして観念したようにさらに言葉を重ねる。

「やってみよう。でもダメそうならすぐに言うんだ。良いねカレン?」


カレンは喜びにあふれた顔で「はい!」と元気に答えるとルナを見た。


ルナも笑顔でピースサインをしている。こうして、程なく2人体制での彫刻作業がスタートした。


幾度目かの夜を越えその間もカレンは慎重に作業を進めた。


そして見事なことに、意外にもミスひとつなく最後の夜を迎えたのである。

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