第37話

階段を上がった先の扉を開けると、そこには食事が並んだテーブルがあった。

 俺はそれを見て軽く驚いた。

 ゲームでは、扉のむこうは描かれていなかったからまさか食堂になっていたとは意外だった。

 下にあるどちらかの部屋が食堂だと思っていたのだが、違ったらしい。

 後宮だと認識していたのだが、給仕が男だったことにまた驚いていると、席に案内されて椅子をひかれた。まるで女性にする扱いだった。

 それよりも、何よりも、俺が着ているのは寝巻きだと思うのに、何も言われない。

 昨日まで宿舎で食事をしていたのに、いきなり一人で豪華な食事をとることになり戸惑いが隠せなかった。

 テーブルマナーとかは分からないので、食べたいものを食べたいように食べていたら、給仕の人はやたらとニコニコしていた。

 そもそも声が出ないので、いただきますもごちそうさまも言えなくて、手を合わせて前世していた挨拶をさせてもらった。

 で、階段を下りると風呂が沸いていた。

 嫌でも分かるぐらい、風呂はど真ん中にあって、侍従らしき人が俺をみて微笑んだ。

 風呂は、ものすごくオープンスペースで……

 仕切りも何も無く、突然に風呂。そりゃあ、妃が住んでるところですからね、お世話する人たちがお世話しやすく何でもオープンなんだろう。

 食後に直ぐ風呂とか、結構ハードなんだが。

 そして、俺は後悔した。声が出ないため、「自分でやります」と、主張できなかったのだ。そのせいで、俺は侍従と思しき人に丁寧に洗われてしまった。

 頭から全部、全身くまなく…そう、前も後ろも、な。



 洗われてしまった事で疲労困憊になり、ベッドに仰向けになってしまった。まぁ、その前にレモンの浮かんだ水を飲んだり、全身に香油を、塗りたくられたれたりしたのだが…確認だけど、俺ってそのポジション?

 侍従は壁際の椅子に座って待機しているらしく、視界にはいないけれど、気配だけはわかった。

 王子が俺を助けることで過去の自分を助ける。というカウンセリングみたいなことをしたいようだけど、さて、俺を助けるって具体的に何をするつもりなんだろうか?

 考えているうちに俺は眠ってしまったようだ。

 しかも、眠りが浅かったらしく変な夢を見た。

 王子の話と粛清とがごちゃ混ぜにまなったような、暗くて陰鬱な雰囲気の夢。逃げ出したいのに逃げ出せず、ただ、それを見ている俺がいた。

 ドロドロとしたそれは、流れた血が黒く固まりつつあるもので、それをまとわりつかせた女、おそらく王子の話の女官が俺の方へやってくる。

 動けない俺をその女の手が撫でていく。触れられた箇所はその固まった血の色がついて、赤黒くなりねっとりとした感触がやけに生々しくて、取り払いたいのにそれが出来ず、泣きたいぐらいに嫌だった。

 夢の中でも俺は声が出せなくて、誰かに助けを求めたいのに出来ず、逃げたいのに足が動かず、女の手が体を触るそれに勝てなくて、床に押しやられていた。

 ドロドロした女の顔が俺の顔に近ずいてきたとき、何かが目の前を横切った。

 それを瞬きするような感じで、確認しようとした時、目の前にあったはずの女の顔が落ちて、断面からまた血が溢れてきた。その血は既に赤黒くて、汚くて、俺の上にどんどん流れてきて、それに溺れそうになった時、ようやく喉の奥から悲鳴じみた声が出た。

 喉がカラカラで、焼け付くようで、何かがつかえているような、そんなこもったような悲鳴がようやく俺の口から漏れた時、その悪夢から俺は逃れた。

 人間、本当に悪夢を見ると勢いよく起き上がれてしまうらしい。

 両手が震えて、シーツも掴めなかった。

 自分のものだとは思えないぐらいの荒い息がどこかに遠くに聞こえて、薄暗い部屋の中で侍従が俺を心配そうに見つめていることにようやく気付いた。


「水をどうぞ」


 差し出されたコップを持ちたくても、手が震えすぎて持てなかった。侍従がそっと口にコップをあててくれたので、何とか一口だけ飲めた。


「お湯はいつでも使えます」


 侍従が、汗を流すことを勧めてくれたので、素直に従った。風呂には天井から月明かりが落ちてきていたが、それだけでは全く足りず、俺の気が済むように明かりを沢山つけてもらった。

 めちゃくちゃ明るい中で、俺は侍従に手伝ってもらってもう一度風呂に入った。

 悪夢を見たときにかく汗は、肌にまとわりついて気持ちが悪かった。


「あ、あぁ」


 侍従に洗われながら、自分が声を出せていることに気がついた。夢の中で出していた声は現実でも出していたらしい。侍従が声が出るようになって良かったと言うが、この治り方は不本意だ。

 ぼんやりと天井を眺めていたら、誰かが階段を降りてくる足音が聞こえた。

 その誰かは、風呂に入る俺の正面にやってきた。


「こんな時間にどうした?」


 めちゃくちゃ明るくしていたので、嫌でも王子と認識出来た。


「夢見が悪かった」


 俺がハッキリと答えたことで、王子はすぐさま俺のそばにやってきた。


「声が出るのか?」

「嫌な夢を見たせいで、悲鳴が出た」


 何も隠さずに答えると、王子は眉根を寄せた。

 そうして俺の頭をゆっくりと撫でた。

 たぶん、俺が寝ながら悲鳴を上げたから、侍従が慌てて外に連絡したんだろう。ここが後宮なら、まぁだいたい王子へ連絡入れて駆けつけるまでのだいたいの時間か、こんなもんだろう。

 まぁ、その辺は置いといて、俺は裸なんだが?しかも、全く隠してないのだ。フルオープンだし、暗いのが嫌で明かりをガンガンにつけちまったし、

 風呂の中とは言え、丸見えだよな、きっと。

 王子が見ている中で、侍従が俺の体を拭いて新しい寝巻きを着せてくれた。ベッドに戻るのかと思ったら、王子に手を引かれて階段をあがった。

 上のベッドって、閨ようでは無いのですか?って、聞いたらダメだよな?

 王子に手を引かれて天蓋付きの豪華なベッドに座った。とりあえず座った。

 蜂蜜が溶かされているような甘い水を飲んで、いるのを王子がじっと見つめていた。

 すごい、居心地が悪い。目線を合わせないでいたら王子が俺の頭を抱き抱えてきた。


「え、なに?」


 行動の意図がわからず、俺は思わず声を出した。


「すまない。側にいられなかった」


 いきなり謝られても、返事に困る。

 嫌な夢を見たのは、王子のせいではなくて、平和ボケしている俺の精神のせいだ。ゲームのように破滅したくなくて動き回ってイレギュラーを起こしまくったくせに、他人の破滅が受け入れられなかっただけの甘ちゃんなのだ。

 この世界の常識が受け入れられない俺が悪い。


 命が軽い。


 階級が下の者ほど軽くなる。

 ゲームでは破滅した令嬢はもれなく亡くなっていることの方が多かったのに、俺はここに来てまでも未だに受け入れられていないのだ。

 だから俺は、王子に抱き抱えられたまま首を横に振った。

 本当に困ったことに俺はヘタレだ。

 王子が何かを言ったけど、よく聞き取れない。

 顔を上げると、王子の顔が間近にあった。こんな状況でなんだが、王子は綺麗な顔をしている。

 額にキスを落とされたが、別段何とも思わなかった。まぁ、この状況ならするんじゃないの?王子だし。

 ただ、それ以上はいらないけど。

 ゆっくりと押し倒されたけど、俺は目を閉じずに王子を見ていた。これが悪夢の続きにならないように、俺は目を逸らしたくない。


「どうした?」

「ドロドロが、溢れてくる」


 悪夢の断片をカタコトのような表現ですると、王子は俺の前髪をかきあげてまた額にキスをした。


「安眠のおまじない」


 その後こめかみや、目尻や鼻なんかにもキスをしてきた。俺はそれを目を閉じずにずっと見ていた。


「普通は目を閉じるもんだ」


 王子は呆れていたが、俺はそれ以上のスキンシップを望んでいないので、これでいいのだ。

 だが、二回も風呂に入ったからまた、疲れてはいる。急に眠気がやってきて、俺はそのせいで瞼を閉じた。

 上掛けがやたらと肌触りがよくて、温かかったので、俺はそのまま眠ってしまった。今度は夢も見ずによく眠れた。

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