第36話

 俺はしばらく目の前の豪華な寝台を眺めていた。その向こうにある扉、アレは開かない。鍵がかかっているのだ。俺が起きたのに、誰もやってくる気配がない。これはやはり、ゲームとは違うのだろう。

 そもそも俺が監禁されるルートなんてなかった。

 これはすなわち、ゲームから逸脱したのだろう。色々なイレギュラーが重なり、基礎となっていたゲームの世界から逸脱した。

 これが現実なんだと自分に言い聞かせ、俺は階段を降り、元の部屋に戻ることにした。念の為他の扉を開けようとしたが、鍵がかかっていた。

 部屋戻って、よく見るとナイトテーブルらしき所に水差しが置かれていた。一緒にコップもある。

 俺は水を飲んで、それからゆっくりと口を動かした。


「 」


 声が出なかった。喉からは乾いた音が出るだけで声が出ない。失声症なのだろうか?

 だとすると、原因はあの粛清ということか。

 平和な国、日本に生まれ育って36年、目の前で誰かが殺されるとか、そんな経験はなかった。あるわけが無い。しかもそれが娯楽だ。俺には受け入れ難い現実だったわけだ。

 さっきまで寝ていたベッドに、上半身だけ預けて腕で目を押さえた。

 見えていないのに視界がグルグルする。

 そういや、俺が着ているのは制服じゃない。いわゆる寝巻きだ。誰かが着替えさせてくれたんだろう。余計なお世話だ。こんな寝巻きじゃ逃げられないじゃないか。

 俺は目を閉じたまま考えた。どうして俺が監禁される事になったのか。なにか重大なミスをしてしまったのだろうか?考えているうちに、見えない視界のグルグルが随分大きくなって俺は苦しくなって口を大きく開けて呼吸をしていた。喉になにか張り付いているようで、呼吸さえ思い通りにはならなかった。




 頬に何かが触れた気がして、片手で払おうとしたら手を掴まれた。

 驚いて顔を覆っていた腕を外すと、俺の隣に王子が座っていた。上から覗き込むように俺を見ている。


「気分はどうだ」


 最悪だよ。と言ってやりたかったが、口を開けても声がやはり出なかった。喉をかするように空気が出るだけ。

 俺が口だけを動かし、言葉を発しないので王子は軽く眉根を寄せて俺を眺めている。


「なぜ声が出ない?」


 王子からしたら意味が分からないだろう。

 そもそも誰も気づいていないはずだ。俺が粛清に対してものすごくショックを受けたことを。アレが当たり前だということを、俺はシオンは受け入れられない。田舎育ちの純朴な青年は兵士の学校を卒業しただけで、実践の経験なんてない。王族の命を最優先に行動することを徹底的に叩き込まれた訳では無い。

 ゆるゆるの甘々な親衛隊員なのだ。


「不満か?」


 王子は心当たりがあることを口にした。

 目が覚めて誰もいなかったことで俺が寂しくてこうなったのか、そう言う意味だと解釈する。

 首を横に振る。

 本音は不満だ。なんで俺が監禁されなくちゃいけないんだ?だが、今はそれよりも声を取り戻す方が先だろう。


「粛清から戻ったお前の様子がおかしいことには気づいていた」


 王子の手が俺の髪を撫でる。


「お前は俺の声が聞こえないかのように立ち去ろうとして倒れた」


 なるほど、執務室で俺に留まるように指示を出していたのか。何も聞こえていなかった。あの時は色んなものが遠くに感じていたからな。


「お前には俺を守れるだけの技量が足りない」


 足りないのはそれだけじゃないけどね。

 親衛隊の任を解いてくれるなら、地方の警備兵に回してくれないかな?


「お前のことは俺が守ってやろう」


 それは俺に言うセリフじゃなかったはずだ。ここに監禁されて妃になるのはアンリエッタのはずだ。他のキャラはここに監禁されるルートはなかった。

 声が出せない俺は、起き上がり王子を軽く睨みつけた。この話の流れだと俺が受け身ポジなのか?それは断る。


「医師を連れてくる。喉をみてもらおう」


 王子の手が俺の唇を、撫でそして喉を掴んだ。片手であっさりと首を絞められそうだ。

 王子はしばらく俺を見つめたあと、ようやく部屋を出ていった。




 医師に見てもらっても、俺の声が出ない理由がわからなかった。だから、治し方もわからない。そんなわけで筆談用の紙とペンが置かれた。まぁ、俺は『はい』か『いいえ』ぐらいしか書かないけどね。

 医師が帰ったあと、王子と二人きりになる。他の親衛隊も寄り付かないあたり、ここは本当に後宮ということになるのだろうか?

 ベッドに座って、俺はぼんやりと王子を見ていた。この部屋はいわゆる地下室だ。窓がないのは当たり前のことで、要するに妃に悪い虫がつかないようにするためと、妃が逃げ出さないようにするための二つの意味合いをもっての建物構造になっていた。

 だから、昼間でもランプに明かりが灯り、常に仄暗かった。

 時間の経過が分かりにくいこの部屋は、監禁するのに最適なんだろう。

 しかし、なんだって俺が監禁されるんだ?と言う疑問を王子にぶつけたい。が、声が出ない。

 俺がじっと王子を、見つめ続けていたからか、ようやく王子が口を開いた。


「倒れたお前を見たら、あの日の自分の様な気がした」


 王子がいきなり喋りだした話は、俺にはサッパリ理解に苦しむ事だった。

 俺が首を傾げ割るような仕草をしたからか、王子は苦笑した。


「ああ、お前は俺の事を何も教えられていなかったな」


 一人で納得して、王子は俺の前にあった椅子に座って話し始めた。


「子どもの頃、そう五歳のときだ」


 五歳の王子、さぞや可愛いだろうな。このキラキラが小さくなったらとてつもなく可愛らしい人形のような少年だっただろう。


「俺はまだ後宮にいて、侍女や女官に身の回りの世話をされていた」


 後宮だから、女しかいなかったわけね。いまと真逆だな。


「王太子でもある俺の世話をするだけに、侍女も女官も身分の確かな貴族の女しかいなかった」


 それはそうだろう。と俺は頷いた。


「だが、何かを勘違いした女官がいた」


 王子が少し目線を下げた。


「王太子である俺の世話を全て自分がやらなくては。と意味のわからない義務感をもち、まだ五歳の俺に閨の手ほどきをしようとしたんだ」


 それを聞いて俺はかたまった。前世では36歳で妻子持ち。妻は可愛かった。もちろん子どもも可愛かった。

 んで?五歳に閨?閨ってアレだよな?

 五歳の子どもに性教育?

 何してくれてんの?ありえないでしょう。五歳なんて精通してないよ?

 俺が真顔で王子を見つめていると、王子はしばらく俺と目線を合わせてくれた。


「五歳では抵抗など、出来なかった」


 俺は、胸糞悪くてどうしようもなかった。


「普段は静かに眠っている俺の寝室から物音がしたので、控えの侍女が不審に思ってくれたらしい。現場を目撃した侍女の悲鳴で、人が駆けつけた。現場を取り押さえられて女官は母の手でその場で粛清された」


 俺の喉が静かに上下した。

 胸糞悪いのと、粛清と言うワードが俺の頭の中でグルグルと回り出す。


「それ以来俺は女が嫌いだ、気味が悪い」


 自分の脈の音がやたらと大きく耳の中で響く。王子の声が聞き取りずらい。

 王子の話と、粛清とが頭の中でごちゃ混ぜになった。破滅が嫌でもがいていた俺は、本当の破滅がどういうものか現実を知ってしまった。

 だからこそ、断罪とか、破滅とか、ラノベ系でよく聞くワードが頭の中をグルグル回る。

 声が出せなくて良かった。と今この状況に限り心底そう思った。王子にかける言葉が何も見つからない。


「あの日の俺にお前が重なった」


 王子が真剣な眼差しでそう言うと、俺の頬に手が触れる。

 ああ、そーゆーことね。過去の傷付いた自分を投影して、現実の目の前の人を救うことで克服する的なやつね。それで、理解はするけれど、どう考えても王子の過去が重すぎて辛かった。

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