第二章 第8話 前世の夢と家族の絆(後編)

「生まれたばかりの子供を亡くした母さんは、毎日泣いて、悲しんで、鬱ぎ込んで、ずっと寝てばかりいたんだ。もちろん父さんも悲しかったが、このままでは母さんまで悲しみで体を壊して死んでしまうんじゃないかと、とても心配だった。なんとか元気を取り戻させようと、栄養のある新鮮なものを食べさせてあげたいと思ったが、季節は冬の最中でろくなものがない。それで森へ狩りに出掛けたんだ」


 父さんは遠い昔を思い出すように宙を見上げながら話を続けた。


「滋養のあるものをお腹いっぱいに食べさせてあげようと、獲物を求めて、いつもは行かないような影森の奥まで入って行った。そこでお前を見つけたんだ。産着に包まれオギャアオギャア泣いていた。生まれて半年くらいの赤ん坊だった。なんでこんなところに赤ん坊がいるのか、と不思議に思った。だが次には、この子はブッダ様が子を失くした不憫な夫婦に授けてくれた、ブッダ様の慈悲の子供に間違いないと思ったのさ」


「そばには誰もいなかったの?」


「ああ、誰も滅多に足を踏み入れないような森の奥だった。人を襲うような獣だっている森の奥だ。人の気配なんかありはしなかった。こんなところに赤ん坊を置いておくなんて危ないことをする訳がない。獣に襲われなくとも凍えてしまう。なにかの事情があって捨てられた子だと思ったんだ。ブッダ様の御導きで、捨てられた可哀想な赤ん坊と、子を失ったばかりの気の毒な夫婦を結び合わせてくれたのだと信じた」


「森に狩りに行く、遅くなるかもしれん、と行って朝早くに出掛けて行った父さんが、お昼過ぎに大慌てで帰ってきたの。獲物も弓矢も何処かに放り出してきて、懐に赤ちゃんだけを大事に抱えてね」


 母さんが目を細目ながら昔を思い出して語った。


「びっくりしたわ。私があんまり泣くせいで、父さんが何処かから赤ちゃんを拐って来ちゃったのかしらと心配したけれど、ダルタの泣き声を聞いたら私のお乳がきゅうっと膨らんだの。お腹を空かして泣いているお前にお乳を宛がうと、ちゅうちゅう吸い付いていたわ。お乳をあげながら思ったの。ああ、この子は私の子なんだわ、って。一度お乳をあげてしまうと手放すことなんて考えられなくなった。きっとブッダ様が私たちに授けてくれたのだと思えたの」


「近所の人たちには、遠くの親戚の子を貰ってきたと話した。母親を失くした子で、自分達の本当の子として育てるつもりだから、みんなそのつもりで話を合わせてくれって、近所中に頼み込んだのさ」


 この辺りの住人はみんな気心の知れた連中ばかりだからな、と父さんは呟いた。


「でもな、お前を連れて来た数日あとに〈貴族〉がこの町の近くに現れたんだそうだ。この辺りに〈貴族〉が現れるなんて数十年ぶりのことだった。それを聞いてお前の髪が黒いことを思い出したんだ。この国では黒髪は珍しいが全くない訳じゃない。だが〈貴族〉が町の近くに現れた話を聞いて、なんとなく心に引っ掛かった」


「ダルタ、お前は黒髪以外は〈貴族〉とは全く似てないわよ。耳も長くはないし、私のお乳に吸い付くお前は、全く普通の赤ちゃんだったもの」


「たとえ〈貴族〉と関係があろうとも、もううちの子になったんだ。今さら返せなんて言われても絶対に渡すものかと思った。だから〈貴族〉がいなくなってからも、お前を町の外に連れ出したりなんて一度もしなかった。奴らに見つかって奪われるのが怖かったんだ。町の外は危ないから絶対に出るなよ、とお前には教えていただろ?」


「そう、あの頃はまた〈貴族〉が町に来るんじゃないかと、二人とも用心していたわね」


「だがな、お前の夢の話を聞いちまった。もしかしたら、お前の生みの母親も事情があって、赤ん坊を泣く泣く手放したのかも知れない、と思っちまってな」


「そうなのね。私もダルタの夢の話を聞いて、もしかしたらダルタを産んだ母親は、毎日泣いて暮らしているのかもと思ったわ。あの頃の私みたいに」


「だからな、ダルタ。お前はうちの子であることは変わらないけど、他にも、もしかしたらお前を探してる生みの親がいるかも知れないことを、教えておいた方が良いのじゃないかと思ったんだ」


「私たちはダルタがうちに来てくれて、この十年、とても幸せだったわ。ブッダ様にとても感謝してます。だからダルタがもし自分の本当の親を探してみたくなったのなら、私たちに気兼ねしなくてもいいのよ?」


「ここはこれからもお前の家だ。これまでと同じように、いつでも好きな時に帰ってきていいんだ。いや、絶対に帰ってきてくれ。だって、お前はうちの子なんだからな。だが、本当の親に会える日が来たら、俺たちに遠慮することなく、そっちの親にも甘えてもいいんだぞ?」


 その夜は、父さんと母さんと僕の三人で遅くまで話をした。僕の赤ん坊の頃のこと。歩き始めた頃のこと。喋り始めた頃のこと。


 自分では憶えていない頃の話をたくさん聞いて、父さんと母さんに愛されて大事に育てられた話を聞いて、血は繋がってなくても僕たちは家族でいいんだと、幸せな気持ちでいっぱいになった。


「父さん、母さん、……僕ね、赤ちゃんの頃のことは覚えてないけど、生まれる前の記憶があるんだよ」


「本当かダルタ? すごいじゃないか、さすがはうちの息子だ! 神子と言われただけのことはあるな」


「ブッダ様は、人はみんな生まれ変わるんだと仰ったそうよ。前世を覚えている人は滅多にいないけれど、たまに生まれる前のことを覚えてる人がいるんだって聞いたわ」


「ダルタの前世はなんだったんだい? 父さんと母さんにも教えてくれよ。楽しく暮らしていたのかい?」


 ――うん、毎日楽しく暮らしていたよ。前世の父さんと母さんと一緒に毎日散歩に出かけて、浜辺を走り回って、家で一緒にご飯を食べて、テレビを見て、……一緒にアニメを見て、……笑って……泣いて、……毎日が…………楽しかった、よ――――。


 だんだん話疲れて、目蓋が重くなってきて、それからたぶん、父さんに抱えられて、父さん母さんの寝室に運び込まれたみたいだ。久しぶりに父さんと母さんに挟まれて眠ったよ。もちろんアマリも一緒にだ。ちょっぴり窮屈だったけど、僕らは家族なんだもの。


 その夜はなんの夢も見ないでぐっすりと眠れた。


 翌朝、早起きのアマリにいつものように起こされた。家族四人が一緒のベッドに寝ているのを見つけて、アマリも大喜びしていた。


 もしかしたら覚えてないけど夢を見ていたのかも知れない。とても幸せな家族の夢を。

 だって、今までにない、とても幸せな気分でその朝は目覚めたのだから。

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