第二章 第2話 神殿生活の始まり
月日は巡り、僕は十歳の誕生季を迎えて神殿で神官見習いとなり、住み込みの生活が始まった。と言っても成人前の見習いのうちは週に三日、太陽日と太陰日と火の日に実家に帰れる。太陽日の朝のお勤めの後に神殿を出て帰宅し、実家で二泊したら火の日の夕方のお勤めまでに神殿に戻らなきゃいけない。それ以外の、水の日、木の日、鉄の日、土の日はお師匠のダーバ様の従者房で寝泊まりすることになった。
太陽が天空を千億も廻り
月が百億の満ち欠けを繰返す
業火が全てを焼き尽くし
天水が破壊の傷を癒す
緑の木々は廃墟を覆い原始に戻す
やがて鋭い鉄が森を切り開き
土が耕され畑が広がり国が興る
太陽が天空を百億も廻り
月が千億の満ち欠けを繰返す
世の中に永遠不滅のものなどありませんよ、というブッダ様の教えをモチーフにした古い歌がある。そしてこの歌を覚えておけば、この世界の曜日を覚えられるのだ。簡単でしょ?
ダーバ様の房には先輩従者が三人いて、一番の年長が父さんよりも少し若い年格好のトンボさん。まだ独身で早くお嫁さんが欲しいといつも溢している。神官でもお嫁さんをもらうことは出来て、結婚すると神殿を出て新居を構えて、神殿には毎日外から通うことになるそうだ。
二番目の先輩が今年成人したばかりのマリガさん。女性の神官さんなんだけど勉強熱心な人で、勉学のために神殿入りしたそうだ。女性の神官見習いは大抵成人すると還俗してしまうことが多く、正式な女性神官は少ないらしい。
マリガさんの親御さんも早く還俗して結婚し、家庭をもって欲しいと言ってるらしいけど、本人はもっと学問を極めるために、王都の神殿への配属希望を出してるそうだ。
三番目の先輩が僕と同じくまだ見習い神官のセトさんで、来年十六歳になり成人の儀を迎えたら還俗して家業に就くことが決まってる。
セトさんも〈再生〉の
ダーバ様のようなベテランの神官様には、神殿から専用の住居房と従者が与えられるんだ。神殿から付けられる従者以外にも、神官様が自分で才能などを見込んだ子供を弟子にとることが出来る。セトさんや僕がその弟子なんだ。
神殿では毎日朝晩のお勤めがある。御神体の丘に向かって拝礼し、天地の神々に感謝の言葉とお供え物を捧げて世界の安寧を祈るのだ。そして昼間はブッダ様の教えを経典で研究したり、それぞれの修練をする。
えっ? ブッダ様と神様は違うのかって?
僕も神殿で教わるまではよくわかってなかったけれど、天地を作り、命を生み出したのが神々だけど、神々はいろいろ作りっぱなしであとは無関心だったらしい。混乱と苦しみに満ちた地上に、慈悲をもたらしてくださったのがブッダ様なんだって。
「経典にはこう記されておる。世の始まりは混沌であった。始まりも終わりもなく、闇も光もなく、ただ濁ってどろどろとしたもので満ちていたと」
お師匠様が経典を開いて、世の中の始まりの一節を説明してくださったことがある。
「やがて重い部分が下に沈んで大地となり、澄んだ上澄みが海となり、さらに薄くて軽い部分が空となった。海の所々には泥が積もって浅瀬となっていたんじゃ」
「海ばかりで陸地はなかったんですか?」
「そうじゃな、最初は海と浅瀬ばかりで陸はなく、もちろんなんの生き物もいなかったそうじゃ。
そこで四つの顔を持つ創造神バジーナ様が、天よ燃えろと四つの口で唱えると、空一面がごうごうと燃え盛る炎で覆われた。天の炎で大地を乾かそうとしたのじゃ。海は熱せられて嵩を減らし、浅瀬は乾上がって陸となった。そのうち地上の温まった水溜まりには、ボウフラのように小さな生き物が無数に涌いてきたそうじゃ。それが人や獣や魚などの命の始まりじゃ」
「知ってます! 夏に雨のあとに出来た水溜まりに、ボウフラとかアメンボがいるのを見たことあります!」
「だがの、バジーナ様は地上の命が小さすぎて見えてなかったようでな。さらに天の炎をごうごうと燃やし続けて、地上は焼かれて、生まれたばかりの命もすぐに焼け死にそうになってたんじゃ」
「それで、どうなったんですか?」
「ブッダ様が現れて焼け死にそうな地上の者たちを哀れに思ってな、天一面に燃えている炎を打ち砕き、粉々の小さい星粒にして遠くの夜空に放り投げ、撒き散らしたんじゃ。そしてほんの一握りだけの炎を小さく丸めて太陽を作り、程よく地上を照らすようになさってくれたお陰で、地上は命あるものにとって住みやすい場所になり、様々な種族が栄えるようになったという」
「太陽をブッダ様が作ってくれたことは聞いたことがあります。ブッダ様って、とても親切で慈悲深いお方なんですね!」
「ああ、ブッダ様は人々の苦しみの中から現れたでな、人の世の苦しみをよくわかっておられて救ってくださったのじゃ」
神殿での最初の晩に夢を見た。
熱かった。全身が焼けるように熱くて、喉がひりひりと渇き、だが水は焼け爛れた喉を通らず、ただ滲みて痛いだけだった。熱い空気は肺も焼き、呼吸も苦しく、ゼイゼイゼイゼイと鳴って酸素を求めるが、爛れた肺腑はろくに酸素を取り込めはしなかった。
生きとし生けるもの全てが熱で身を焼かれ倒れた。苦しい呼吸で胸を、喉を掻きむしり、血を吐いて倒れた。父さんも、母さんも、友達も、僕の大切な人の全てがいなくなってしまった。
空が赤かった。空の全てが炎で焼けているようだった。空だけではなく視界に映るあらゆるものが赤く染まっていた。
神様は地上の僕たちが見えてないの? この世界を燃え尽くす炎を、消してくれる御方は何処にいるの?
死ぬ前にせめて一瞬だけでも体を冷やしたくて、死にかけた体に鞭打って浜辺へ向かった。最早まともに歩けず、這いずり、傷だらけになって波打ち際に転がった。
誰かの優しい冷たい手が僕の額に置かれて、……その後のことは思い出せなかった。
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