第一章 エピローグ

 ワタシがこのシャバ大銀河楽土で冥界の河の渡し守を始めてから、もう十万年は経つだろうか。そろそろ御役目を交代して天界に戻ろうか。いや、天界に戻るのではなく、地上のあちらこちらを気儘に見て回るのも悪くない。仲間たちの中には天界での暮らしを捨てて、地上で人に交じって暮らしている者もいると聞く。そう、あの時の彼女のように。




「ありがとうございます、カローンさん。私を拾ってここまで連れて来てくれて」


「あの時はびっくりしましたよ。まさか地上で天人が倒れているなんて思いもしませんでした。見ればまだまだお若いのに命数を使い果たしてしまったようですね」


「私は天界での暮らしに飽いて地上に降り、何百もの世界を巡りました。世界渡りをする度に命数を消耗し、星の寿命に等しいと言われてる天人としての寿命を使い果たしてしまいました。六道輪廻の最高位に至った天人が、寿命が尽きて再び輪廻を巡ることになるとは。それもブッダ・バイシャ様のヴァイドゥーリヤ大銀河の天人である私が、このシャバ大銀河の転生会場に現れるのだから、天人の皆様はさぞかし驚かれることでしょうね」

 と言って彼女は小さく笑った。


「会って話をしなくて良かったのですか? 先にこの舟を降りて行ったあの犬の魂の為に、冥土渡りの舟を呼ぼうとして最後の命数を使い切ってしまったのでしょう?」


「彼とはちょっとした縁があって、彼の前世も前前前世も、もっとその前からも知り合いだったのです。彼は私のことは覚えていないでしょう。でも彼の為に何かをしてあげたかったのです」


 彼女――天人には性別は無いが、長く地上で過ごし、性別があるのが普通のロゴスの民に囲まれて暮らしていると、環境の影響で男女の性のどちらかに変化し、そのまま固定されてしまうことがあるそうだ――は海辺で犬の亡骸の側に寄り添っていたのだ。


 私が舟を寄せて来るのを見てニコリと笑った彼女は、そのまま波打ち際に倒れて、息絶えてしまった。その遺体は天人五衰の徴で頭から花は萎れて抜け落ち、身体から発してるはずの光輝は滅し、衣服の守りも消え失せたのか襤褸を被って肌を晒し、異臭を放っていて、足も細く萎えて地上を歩くには不向きな様子であった。


 これが天人の末路かと顔を背けたくなったが、彼女が己の命数を振り絞って冥土渡りの舟を呼び寄せたことを思うと無視は出来ず、その魂を拾い上げた。


 舟に乗った彼女は生前の姿を取り戻し、この子の為に舟を呼んだのです、この魂も一緒に拾い上げて欲しいと懇願した。


 ああ、もういつもの巡回ルートからは外れてしまい、予定も狂ってしまったのだ。予定にない魂を二つ先に拾い上げても構わないだろうと了承した。


 私は舟の奥に座っているので、私のことは彼には話さないで欲しいと言い、彼女はそのまま舟の奥まった場所に蹲ってしまったのだった。


 舟を降りる時に彼女は言った。


「放埒な一生を送った私は、再び天人に生まれ変わることはないでしょう。人間や修羅に落ちるのか、それとも畜生や餓鬼でしょうか。それでも後悔はありません。この生で経験した様々な思い出は消えることはありません。阿頼耶識に貯えられた知識と記憶と業が、来世の私を作ることでしょう。私が渡り歩いた数百もの世界で、親しく過ごした人々とも、またいつの日かそれとは知らずにめぐり逢い、また新たに縁を結べるかもしれません。それを思えば私はどんな姿になろうと、輪廻を巡れるのが楽しみなのです」


 そう言うと彼女は、一度も振り返らずに冥土門を潜って行った。


 天人としての悠久の生を打ち捨てさせる程の何かを、彼女は地上に見つけたのだろうか。また何処かの世界で、彼女は愛しい人々と再会出来ているだろうかと、ワタシは舟に揺られながら、時折り脳裏に思い返すのだった。

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