第一章 第5話 六道の巡礼

「ここまでで皆さんからの質問はありませんか?」


 オレと一緒に船から降りた亡者の一団に説明を行っていた天人が、一人一人の顔を見回しながら言った。

 頭に花を咲かせた綺麗な顔がこちらを向いたときに、思いきって尋ねてみた。


 六道の一番上の天道に辿り着いたらゴールなんですか?


「いいえ、天道に生まれた天人たちも、まだ輪廻転生の迷いのなかにいます。ワタシもまた六道の巡礼であることに変わりはないのです」


 一番上に上がっても天国には行けないのですか?


「輪廻の中にあるものは、須らく生れて老いて病んで死にます。天人は夜空の星々と同じくらいの長い寿命がありますが、それでもいつかは老いて病んで苦しんで死ぬことに変わりはないのです。

 生とは苦しみを重ねることです。苦しみの末に漸く生を終えたとしても、転生して別の生を受け、また苦しんで生き、苦しんで死なねばなりません。それが輪廻の鎖です」


 生きることは苦しいのですか?


「生きるとは穢土に暮らすことです。泥にまみれ、醜いものを見、苦しみに苛まれるのが生きるということです。しかし、蓮はそんな穢れに満ちた泥沼の底から芽吹き、綺麗な花を咲かすのです。

 蓮の葉の上で悟りを得て、生、老、病、死の四苦より自由になれたなら、輪廻の鎖から解き放たれ涅槃の境地へと歩めるでしょう。それがあなたの言う天国かもしれません」


 ちょっとオレには難し過ぎてよくわかりません。


「実はワタシもよくわかってないんですよ。なにしろ、ワタシたち天人は永劫とも言える寿命のせいで、死を迎えるということが、きちんと実感できているとは言えませんからね。先ほど述べたことは全部ブッダ様からの受け売りなんです。天人たちの中から、解脱した者が現れたなんて話も聞いたことがありませんから」


 そ、そうなんですか?


「天人は長い寿命の末に五衰を迎えるまでは、天界で毎日を享楽的に、なんの憂いもなく過ごし、生きる苦しみとはまるで無縁の存在なのです。それゆえ六道の巡礼たちのなかで、もっとも恵まれた境遇にあるのがワタシたち天人だとも言えますから、輪廻を重ねて天道にまで上がれたならば、それなりに満足できるゴールに辿り着いたと考えても間違いではないでしょう。

 さて、それではお待ちかねガラポンタイムですよ。あちらのガラポン会場へお移りください」


 気がついたらオレたちの後ろには、また別の船から降りた亡者の群れが、所在なさげにうろうろとしていた。急いで場所を空けてあげないとね。



「カス」、「カス」、「再生」、「カス」、「カス」、「カス」、「カス」、「カス」、「カス」、「カス」、「カス」、「カス」、「カス」、「再生」、「カス」、「カス」、「カス」、「カス」・・・


 さっきとは別の天人が、愛想の良い綺麗な声でカスカスカスと連呼してる。


 紅白の鯨幕で囲われたガラポン抽選会場には亡者たちが列を作り、己の順番がくると、手回しハンドルのついた六角形の箱のような抽選器をガラガラガラと回転させる。そして頭に綺麗な花を咲かせた天人にカスと叫ぱれてた。


 うーん、シュールだ。


 それにしても〈カス〉と〈再生〉しか入ってないのかな、あのガラポンは?




   * * *


〈再生〉の恩恵ギフトはわりとありふれた恩恵ギフトだという。もちろん誰もが恩恵ギフトを持って生まれてくる訳ではないので、そういう意味では恩恵ギフト持ちであるだけで、両親がブッダ様に感謝の祈りと歌と踊りを捧げてしまうくらいには希少なのだけど。


恩恵ギフト持ちを集めれば十人のうち四、五人くらいは〈再生〉の恩恵ギフト持ちがいるものじゃ。珍しい恩恵ギフトであるとは言えないが、鍋の穴を直したり包丁や鋏をよく切れるようにしたりと、使い勝手の良い、人の役に立つ恩恵ギフトじゃから大切に育てることじゃな」


 僕が神殿に通うようになり、髭もじゃの神官様、いや御師匠のダーバ神官様が恩恵ギフトの修練の方法を教えてくれた。


 ダーバ神官様は、内心では僕の恩恵ギフトがとんでもなく珍しいものなんじゃないかと期待してたと思う。なにしろブッダの天啓を得て僕を弟子にとることにしたくらいだし。ちょっと失望させちゃったかな?


 年明けから神殿に通い始めた。冬でもこの辺りでは気温は冷え込むが天気が崩れて雪や雨が降ることはあまりない。

 からっと乾燥した、身が引き締まるような冷たい空気のなかで、字の読み書きに、経典の祈り文句の暗唱、体力作りのための修練と恩恵ギフトの修練を続けた。


 今日も神殿の裏庭の陽のあたる場所で、頭上にふよふよと泳ぐ黄色い金魚を乗せたまま、コロコロコロコロ泥団子を丸める。

 遊んでる訳じゃないんだよ?


 この泥団子が乾いてきて表面に細かいひびが入ってくるのを、〈再生〉の恩恵ギフトで修復する修練なんだ。水で濡らした指ですりすりしちゃえば、すぐ簡単に直るような小さな罅割ひびわれだけど、これを手を触れずに、くっつけくっつけと念じながら恩恵ギフトで直す。

 これがなかなか大変なんだよ?


 鍛練をしながら、時々、神殿の裏手の丘を眺める。金魚も丘が気になるのか、頭の上で丘の方を向いていることが多い。


 あまり高くはないけど裾野が切り立っていて、まるでお椀を臥せたような形に見える。登ってみたいけど、実は神殿の御神体になってる丘で立ち入り禁止なんだって。勝手に人が入り込まないように、棒を持った神官様が毎日交代で丘に通じる道に立ってる。

 丘の中でブッダ様が瞑想しているとかなんとかの伝説がある、ってお師匠様が教えてくれた。


 そんなこんなで冬は終わり春が訪れ、木々の若葉も濃い緑となり初夏になった頃、僕は八歳の誕生季を迎えた。


 この国の庶民は、誕生日をいちいち記憶していたりはしない。生まれた季節を迎えると年齢が一つ増える。みんなそれで事足りている。


 乳幼児の死亡率が高い社会で、次々に赤ん坊を産んでも七歳頃まで無事に育つのは、そのうち一人か二人だけという厳しい世界なんだ。誰も子供の生まれた日をいちいち覚えていたりはしない。


 僕のうちも子供は僕ひとりだけだけど、本当は姉さんや妹がいたのかもしれない。


 詳しくは聞いてないけど、母さんが小さな女の子の産着や服を何枚も大切にとってあるのを僕は知ってる。 

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