第34話 生きれ
「比呂ぉ!」
もう一度呼ばれて、みんなの視線がボクに集まっているのに気づいて健蔵さんを見た。
「ここへ来てくれっ!」
『往生際が悪いぞ、高見!』
「違う! その子と話がしたい! 人質にはしないから! 話をするだけだ!」
ボクは黙り、刑事さんも黙り、清春も葉子ちゃんもヤマの人々も黙り込んだ。
豪雨と激流の音だけ。
ボクは清春を見た。
二人の視線、見つめあった。
清春が厳粛にうなずいた。
ボクも厳粛にうなずき返した。
葉子ちゃんを見た。
葉子ちゃんが厳粛にうなずき、人々も厳粛にうなずく。
厳粛なうなずきのウェーブ。
「坊や、三メートル以上近づくな」
という刑事さんの忠告を背に受けてボクは橋へ向かう。
健蔵さんの前に立つ。
「……比呂……」
ボクは雨が顔に当たってちゃんと健蔵さんを見ていられない。
「……比呂……返事をしてくれ……」
「うん」
「……いつか、自分の過去を清算したら……このヤマで一生暮らそうと思っていた……骨を埋めようと思っていた……」
「………」
「……俺は……おまえたちが好きだった……」
「………」
「……ヤマの人たちが好きだった……このヤマが……好きだった……」
健蔵さんの目に涙があふれているようだけど、それは雨なのかもしれない。
「……好きなのに……裏切ってしまった……」
「………」
「……すまん」
ボクは言った。
「同窓会、どうすんの」
健蔵さんはキョトンとしている。
「たんぽぽ畑の、三十年後の同窓会、たんぽぽのお酒で乾杯するんじゃないの?」
健蔵さんは思い出したようだ。
「……俺、欠席だ……出る資格、なしだ……」
ボクは大きく息を吸った。
雨と緊張と村の人々の圧力で息が詰まっていたんだ。
だから、何度も息を吸って吐いて心を落ち着けて、そして、健蔵さんに言った。
「逃げればいいべさ」
健蔵さんは目を丸くしてボクを凝視した。
「ボクを人質にとってさ、一緒に川に飛び込むんだよ」
「比呂……」
「さ、早く」
「そんなこと……この狂ったような川に……命の保証なんかない……お前を道連れになんてできるわけないべ」
「ボクならだいじょうぶ」
「だいじょうぶって、おまえ」
「健蔵さん」
「ん?」
ボクは胸の前で指を一本立てた。
「生きれ」
健蔵さんは目をいっぱいに開いてボクを見つめた。
ボクは顔に当たる雨を両手でゴシゴシ拭った。
その時、悲鳴。
目を上げた。
健蔵さんの身体が、吊り橋を乗り越えた。
刑事さんやおまわりさん達が走る。
雨で増水した川に健蔵さんが飛び降りた。
あっという間に濁流に呑み込まれて姿が消えた。
人々、走る。
橋に、道に、健蔵さんの姿を求めて、「健蔵ぉ」と名を叫びながら、走る。
葉子ちゃんが、吊り橋の欄干から身を乗り出す。
「健蔵さん! 健蔵さぁん!」
狂ったように髪を振り乱し、大量の雨を含んだ浴衣が身体に張り付き、憑かれたように叫び続ける。
「……かわいそうだぁぁあ……健蔵さんが、かわいそうだあ!」
清春もボクも、ぼんやりと葉子ちゃんを見、その叫びを聞いている。
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