第33話 裏切り者


清春は、悲しそうに顔を歪めて視線を地面に落としている。

そのままで言う。


「二本柳の吊り橋渡って…けもの道登って行くと熊の穴がある…前に、そこで見た」


葉子ちゃんが叫ぶ。


「清春くん!」

「何を、見たんだね、坊や」と刑事さん。

「やめて清春くん!」


清春が足元をにらんでいる。


「何を見たんだ」

「清春くん!」


清春の目はすごく怒っていた。

どうして怒っているのか、ボクはわかんなかった。


「ドカン。健蔵さんが運んでた」


葉子ちゃんが清春の頬を打つ。


刑事さんが走る。

パトカーに乗り込む。

パトカーの列はタイヤをきしませて走り去る。



雨はさらに激しくなった。

川沿いの山道を回転灯を消してパトカーが走る。

その後を人々が走る。

浴衣で。

雨に打たれて。

所長さんも校長先生も丸山先生もボクも清春も葉子ちゃんも、おばさんもおじさんも、ヤマの人々が狂ったように。


走る走る走る。




二本柳の吊り橋は激しい雨と風で大きく揺れ、川は増水して激流になっている。


対岸の闇の中から、健蔵さんが現われる。

スーツケースを両手に持ち、吊り橋を渡りはじめる。


橋の半ばまで進んだ時、吊り橋に向けて止めてあったパトカーが一斉にヘッドライトを点灯した。

闇の中に吊り橋が浮かび上がる。

健蔵さんの姿も。

みんなが息を呑んで見守る。


『高見健蔵』と拡声器から刑事さんの声が響く。

激しく叩きつける雨の音と激流の音も一緒にマイクが拾ってスピーカーから流れていて、刑事さんの言葉がよく聞き取れない。

健蔵さんはまぶしそうに顔に手をかざす。


『きみはホーイされている』


健蔵さんがスーツケースを脚元に置く。


『そう。それでいい。そのまま手を挙げて前へ進みなさい』


健蔵さんが両手を挙げた。

左手にダイナマイト、右手にいつものジッポのライター。

人々はいっせいに息を呑む。

悲鳴も上がらないほどみんなはショックを受けている。

あの健蔵が、ドカンで、ホーイされていて、テロリストの仲間で、ゲロして、タレコミしてドカンで、順番がめちゃくちゃだけどみんなの頭の中はこの短い時間に起こった非日常なあれやこれやがぐるぐる回っているんだろう。


『高見! これ以上罪を重ねんでない! テーコーしたって、なんもなんないべさ! 逃げ道なんかないべ! 高見、よぉくみんなの顔を見ろ。このヤマの人たちはいい人だべさ。みんな心配してるぞ。いさぎよく気持ちよくきっぱりと罪を償えばいいっしょ。そうしてまた一からやり直せばいいっしょ』


健蔵さんの表情はわからない。

その時、絶叫。


「卑怯者ぉ!」


みんながハッと清春を見る。

ボクは横にいたのに、ずっと遠くの誰かが叫んだものと思っていた。

健蔵さんが清春を見る。


「俺たちを裏切った卑怯者だ! おまえなんか死んじまえ! 裏切り者!」


清春は泣いていた。

葉子ちゃんも泣いていた。


「…やめて…清春くん、やめて…」


ボクは、ぼんやりと首を九十度上に向けた。

口を開けて雨を飲んだ。

口の中がカラカラになっていたんだ。

そして首を回して、雲がかかったオボコ岳を見上げた。


健蔵さんは突っ立っている。

人々は重く静まり返っている。

雨は激しい。

川は渦を巻いている。

風が木々を揺らす。

刑事さんは苦り切る。

マイクを手でおおって清春に言う。


「ちょっと、ヤツをあんまり刺激せんでほしんだヮ」


健蔵さんが顔を上げた。


「比呂っ!」


ボクはすぐには反応できなかった。

自分が呼ばれているとわからなかった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る