第28話 ボクはコヤジ


蹴ったエネルギーが失われることなくふくらはぎと太ももに伝わり蒸気機関車の車輪を動かす軸のように脚がガッシガッシと回転して気持ちいいほど力強く前に進む。


上り坂をダッシュするコヤジになったようだ。


そして、胸を張って両腕を振るその強さ、

その動きに合わせてさらにいいリズムで脚が地を蹴り、

翔んで、

前に進む、

筋肉の強さと速さと機敏さと関節のしなやかさと回転力。


いつも頭に描く理想の走りのイメージだ。

それが現実のものになっている。


さっきまでのボクの走りが一だとすると、今ボクは百の走りをしている。

いや、千かも、いやいや一万かもしれない。


風景の見え方が、今まで経験のない見え方をしている。

ボクはすさまじい速さで走っている。

速く走るってこんな風に景色が見えるのか、こんな風に景色が迫って来て去って行くんだ。


すごい、すごいぞ、すごいことになってる。


さっきコヤジがボクの背中にぶつかった時、ボクはわかったんだ。

感覚的に察知した。


コヤジがボクの中に入ったんだって。


いやちょっと違うな、コヤジが入ったんじゃなくて……うーん……あ……そう…そうだ!!


コヤジがボクに入ったんじゃなくて、ボクがコヤジになった。

ボクがコヤジの中に入った感じだ。


今ボクはすごく速いし強い。

なぜなら、コヤジだから。


どんどん選手たちに追いつき、追い抜いて行く。

やがてノッポが見えて来た。


ボクが背後に迫るとチラッとこちらを見て、やっぱり来たかと唇を引き締めた。

そしてスパートした。

でもボクはあっという間にノッポに並び、抜き去った。

置いてきぼりにしてしまった。

走りながら振り返り見ると、ノッポは信じられない走りを見たという表情をしている。

絶望、自信喪失、自己嫌悪、とうていかなうはずもないモンスターに出会ったあきらめ、そんなこんなの屈辱的な表情でボクを見送っていた。

ちょっと同情した。


はるか前方にラビット・チビの後ろ姿が見えた。

ボクのストライドがどんどん伸びる。

チビに並ぶ。

チビはにやりと笑う。

加速する。

速い。

ただのラビットじゃない。

かなりのスプリンターだ。

ボクも加速する。

並んだ。

チビの予想をはるかに超えるボクの速さにチビは焦っている。

しばらくチビに並んで走ってみた。

チビは必死で追いすがるが、それ以上思うように脚の回転がついていかないみたい。

つまりスピードが伸びない。

ここが限界のようだ。

ボクはグンッと加速した。

チビが「えっ」と声を発したのを背中で聞いた。

チビの脚音がどんどん遠ざかる。

距離がぐんぐん開く。


ボクは喜びの表情で走る。


跳び、走る。


機関車のようにたくましく進む。


ぐんぐんずんずん、コヤジは走る。


ぎゅんぎゅんがっしがっし、コヤジの爆走一人旅。



会場に入った。


ヤマの応援団は、先頭で飛び込んで来たのがボクだとわかると、しーんと静まり返った。

きっと、「コース間違えてショートカットしちゃったんかい?」とかなんとか、目の前に現れた信じられない現実に一同おったまげて、二十メートルくらいの大きさの「なしてっ!」というでっかい文字がグラウンドに落っこちたみたいなマンガの見開きいっぱいの大コマのような静寂。


その中をボクは、こういう栄光の経験がないのでそのままスピードをゆるめず、勝利とか優勝とかの喜びを味わうはずのいわゆるウイニングランというものに浸ることもなく、とにかく爆発的にかっ飛ばしたままズッコーンとゴールした。


数秒ののち、応援団が破裂した。


歓声が会場を揺らした。


みんな、誰一人としてボクの走りを信じられなかったんだ。

そりゃそうだ。

あのヒロが?

ヒロドンが?

トップ?

ウソだろ。

なんだこれは、夢か、幻か、妄想か。

ほっぺつねったら、痛い。

夢じゃない、事実だ。

今見ているのは、まったくの、真実だ。

そんな感じでヤマの人々はゴールしたボクに走ってきた。


喜びと感動と驚きを爆発させた。

みんな、泣いてる。

健蔵さんも涙目だ。

気づいたらボクは胴上げされていた。

わっしょいわっしょい。

バンザイバンザイ。

もうその時には、ボクの身体からコヤジは去ってしまっていた。


……ボクの血はコヤジの一部だ。


体はコヤジの一部だ。


それは走っている時のボクの脚がよく知っていた。


タマシイも、大いなるコヤジの一部なんだ。


ボクはそこから逃れる事はできない。


……胴上げされながら、宙に浮き沈みしながら、ボクはぼんやりとそんなことを考えていた。


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