第26話 スタート
ピストルが乾いた音で鳴った。
スタートした。
ボクはみんなに押されたり弾き飛ばされたり肘で小突かれたり脚払いをされたりして、一番後ろに追いやられてしまった。
健蔵さんは応援席へ戻っていた。
心配そうな清春と葉子ちゃんにボクはちらっと視線を送った。
二人とも、胸の前で指を一本立てていた。
ヤマの応援は凄まじい。
絶叫、太鼓、鼓笛隊、大旗。
オボコ鉱山小学校の児童たちは顔を真っ赤にして正拳を突き出す。
ちっちゃな一年生も。
「ウォーッス!」
「比呂! 胸張って戻ってこい!」
「大丈夫だ、ビリだっていいんだ」
「お前は俺たちの代表なんだから笑って走れ」
「楽しんでこい」
勝てとか、頑張れとか、負けるなとか、そんなことを全然言わないヤマの人々は優しくて温かい。
勝敗に関係なくボクを認めてくれている。
みんな家族だ。
走りながら、ちょっと涙がこぼれそうになった。
だから、みんなが見ている前だけはカッコつけてスパートした。
グラウンドの周回でトップに立った。
そのとたん、ヤマの応援席はドッとわいた。
「ヒロ、無理すんな」
「スタートでラストスパートはないだろ」
「カッコつけないで、完走だけを考えろ」
ボクを先頭に選手の一団はゲートの外へ出た。
国道へ出た途端、チビがボクを抜いた。
そのまま、まっしぐらに遠ざかった。
ラビットとしての走りを忠実に守っている感じだ。
他の選手たちもボクをどんどん抜いていく。
やっぱりビリになってしまった。
でもノッポはピタリとボクの横についている。
これが「マーク」ってやつなのか。
ボクをマークしても無駄なのに。
ボクの走りを見れば一目瞭然なのに。
ボクの頭の中では、脚の指も脚の裏もかかとも脚首もアキレス腱もふくらはぎも太ももも腰も腹筋も上腕筋も大胸筋も、すべて調和のとれた動きで伸び縮みを繰り返し、地面を蹴って翔んで前方へと進んでいくために理想的な動きを繰り返している、そういうイメージ。
でも実際は、筋力のせいなのか、テンポが悪いせいなのか、バネ不足なのか、筋肉や関節や全ての連携がギクシャクしているせいなのか、要するに走るセンスがないために走りが遅い。
フォームはほめられる。
すごくいいフォームだな比呂は、って。
フォームだけは一流だ、と。
でも遅い。
イメージに身体能力がついていかないんだ。
だからヒロドンなんだ。
ノッポはボクのフォームにだまされている。
……こいつは後半に絶対、驚異的なスパートをかけてくるだろう、あの天才快速佐藤清春に勝って代表に選ばれた秘密兵器、モンスターだ、逃げ切るのは無理かもしれない、だったらピタリとついて行って自分も余力を残しながらこいつとのラストの競り合いに賭けよう……なんてことを考えているのかも。
優勝候補の筆頭だけあってノッポの走りはのびやかだ。
清春が出ていたらかなりいい勝負をしただろうと思う。
ボクの横にピタリとつきながらチラチラとボクの細部をうかがう。
ボクの顔色だったり、脚元だったり。
ちょっとした変化も見逃さないぞ、スパートをかける一瞬の動きも見逃さないぞ、地面を蹴る音のどんな変調も聞き逃さないぞ、そんな殺気と緊張感がピリピリと伝わってくる。
でも、ノッポには悪いけれど、ボクは気楽なんだ。
ビリでいいし、楽しんで走ればいいし、なんたって、ボクはジャンケンで負けて代表にされてしまった気の毒な犠牲者なんだ。
そんなボクにヤマの人たちは心から同情してくれて、胸はって行ってこいと背中を押してくれた。
ボクは胸を張ってビリを走る、だからノッポくんキミは早く前に行ったほうがいいよ、でなきゃボクとビリを争うことになる。
そう言ってあげたかったけど、けど……
あれ……あれれ、やばい……おなかが……脇腹が差し込むように痛い。
走ると痛くなる例の腹痛だ。
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