第20話 都会のオンナ
セミが鳴きはじめた。
ボクと清春は二本柳の吊り橋の下で釣りをしていた。
魚は跳ねているんだけど、一匹も釣れない。
付近の路上に車の停まる音がした。
ボクたちは首を回して見上げた。
続いて、ドロッドロッドロッと単車が近づき、停まった。
ボクと清春は目を合わせて、「健蔵さん」という形に唇を動かした。
車のドアが開き、誰かが降り、ドアが閉まる。
吊り橋がきしむ。
橋の床板の隙間から人影が見える。
ボクと清春は、音を立てないように橋の真下まで移動して、見通しの良い隙間ポジションを探す。
目を凝らし耳をすませた。
健蔵さんが女の人と向き合っている。
長い髪。
サングラス。
ジーンズ。
都会の女、という感じ。
女の人の脚が、気ぜわしく行ったり来たりしている。
なんとなくピリピリした空気がこちらにまで漂ってくる。
ボクたちは耳に全神経を集中して聴き取る。
「……俺の周りをうろつかないでくれ」
「あなた次第よ」
「あれでもたりないのか」
「あたりまえでしょ!」
「チェックが厳重なんだ」
「それを何とかするのがあなたの義務よ」
「義務?」
「あと二ヶ月。……夏の終わりには……」
「なにを企んでいる」
「話したら戻るの?」
「どこへだ。俺はこのヤマの人間だ」
「ふん、すっかりボケてしまったわね」
「………」
「あなたはボケた豚よ」
「……あの日、官邸を取り囲んだデモ隊の先頭にいた時、思ったんだ」
「………」
「俺たちは負けるって……こんなことは意味がないって」
「呆れて声もなかったわ」
「………」
「議長が敵前逃亡なんて」
「………」
「こんな山の中に逃げて来て(煙草に火をつけた)ヌクヌクと…」
「………」
「ブヨブヨと」
「………」
「ブタ」
「……俺はもう、なにものにもなれない。豚にさえ」
「あと二ヶ月で必要な量を揃えてもらうわ。それがあなたの義務よ。踏みにじり、裏切った代償よ」
「………」
女の人の煙草をはさんだ指が震えている。
その煙草をイライラと何度もふかし、橋の下に投げ捨てた。
タバコはボクたちの目の前に落ちた。
女の人は車に向かう。
ボクたちは車が見えるポジションにそっと動いた。
「裏切られることがどれだけ辛いことか思い知らせてやる! 絶望の後になにが残るか思い知らせてやる! 憎悪ってやつの味を……じっくり味あわせてあげるわ! 腐ったブタっ!」
車に乗り込み、走り去った。
ボクたちはじっと息を凝らした。
しばらく。
やがて、健蔵さんもハッピー号で去った。
川の音。
セミも緊張のあまり鳴くのをやめて固唾を飲んでいた。
ふたり同時に「はあー」と息を吐いたけれど、まだ緊張が解けない。
キンと張り詰めている。
清春が口を開いた。
自然に声がひそまる。
「ドラマみたいだったな」
「うん」
「ブタだって」
「……うん……言ってたな」
清春が真剣な目をボクに向けた。
「ブヒーブヒー」
河原に投げ出したままの釣竿に魚がかかった。
その夜、ボクは清春の家に泊まった。
布団に入って作戦会議だ。
まずボクが口を開いた。
「恋人かな?」
「いや、違うしょ。憎んでたべ。おっかなかったもな。裏切りは許さないわって、ぷるぷる震えてたもな」
「う~ん。健蔵さん、裏切ったんかな。何なんかな、あの人」
「恋人にきまってるしょ」
「どっちなの。だってブタ、だよ」
「ブタだけど憎い。憎いからブタが好き」
「なんだよそれ」
「サングラスと煙草。大人の女。都会の女はブタ好き。しかも腐ったブタが大好物なんだべさ」
「………」
「屈折した恋心なんだワ」
「………」
「煙草持つ指、真っ白で細かったもな、どっちが指か煙草かわかんないくらい細かったもな、うちの母さんの半分だもな、で、指と煙草と唇がぷるぷる震えて、何回もプカプカ吸って、真っ白い煙草に真っ赤な口紅が…あれ?」
「どーした?」
「そーいえば、口紅してなかったな、あの人。煙草に口紅ついてなかったしょ」
ボクはそんなこと覚えていなかったし、意味が分からない。
「口紅つけないで男と会うってのは、うーん、どんな関係なんだろ」
ボクは興味を失い、まぶたが重くなり、清春の声にも変にエコーがかか
ったようで……そのまま………おやすみなさい……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます