第14話 心が焼ける
河原のやぶにクモが巣を張っていた。
巣の真ん中に大きなクモが一匹陣取っていた。
ボクと清春は四つんばいでクモに心を奪われていた。
突然、ボクたちのうしろから声がした。
「ジョロウグモがそんなに珍しいの?」
ボクたちはびっくりしてつんのめりそうになった。
葉子ちゃんだ。
「哀しい女の人の生まれ変わりなんだって」
葉子ちゃんはそう言いながらボクたちの間に身体を割り込んできてクモを見つめた。
ボクは、クモに生まれ変わるほどの哀しみって、どれほどの哀しみなんだろうとぼんやり考えた。
「ほんとにきれいよね、ほら、黒と黄色のしま模様に、所々に赤がスーッて」
葉子ちゃんはボクを見つめた。
「ね」と首をかしげる。
葉子ちゃんの息を、葉子ちゃんの髪の匂いを、鼻先に感じて、その甘さというかすっぱさみたいなものを意識した途端に全身が、今の姿勢(四つん這い)を保つのが難しいほどピクピクけいれんしてしまい、そのピクピクを隠そうとしてボクは急に落ち着きを無くし、すぐ目の前、5センチくらいのところに葉子ちゃんの瞳、唇、髪があり、これは、とてつもなく危険な近さで、破滅的な距離だぞ、とボクの本能が警報を鳴らし、あちこちでサイレンが鳴りっぱなしで、だから、結局、バネ仕掛けのように葉子ちゃんに向き直り、なぜかなぜかなぜか、四つん這いで、身体を前後に頭を上下にゆっさゆっさと揺らし始めた。
「比呂くん、なにやってんの」
「え」
ボクはやっちゃったと思いながらも、もう止まらない。
ランドセルを乱暴に拾い上げて、石を思い切り蹴り飛ばして(この場を立ち去るためには、そういう激しい演出が必要だった)、道路にズンズンと向かった。
うしろで葉子ちゃんの声が聞こえた。
「比呂クン、怒ることないっしょ!」
清春も調子を合わせた。
「ないっしょ!」
ボクは走って走って、オボコ岳の真下に広がるあのたんぽぽ畑に着いた。
寝そべって、空に浮かぶちぎれ雲を見上げた。
でも雲なんかちっとも見ていなかった。
心が焼けていた。
……あんな気持ちになる自分は大嫌いだ。
三人肩を並べてクモに見入りたかった。
「クモに生まれ変わっても哀しいのかな」
とか三人でクモを見つめて話していたかった。
でもボクといったら最低でかっこ悪いイジケ虫。
すごく恥ずかしい。
恥ずかしすぎて、ボクはいま激しく顔をしかめている。
自分のしたことを思い出して、顔が自然にグシャッって歪んでしまう。
無意識に「うっ」と声も漏れ出てしまう。
ボクは、なにも取り柄のない、運動が得意でもないし、イケメンでもないし、勉強がすごくできるわけでもなく、ちょっとイケてない普通の男子……いや、普通以下かもしれないけど、ボクはボクとして生きてきたし、これからも生きてかなきゃいけないと思ってるし、みんなには内緒だけどボクは情けないこのボクが実はけっこう好きで、だから、目の前でたんぽぽとたわむれているコヤジを見ていると、勇気がわいてくる。
あれ…ボク何言ってるの……自己嫌悪でへこんでいたのに、いつの間にか、
「勇気がわいてくる」なんて、意味というか感情が全然つながらないんだけど。
でも、ここにこうして寝そべっていると、なぜか、今年の夏はやるぞっておもうんだ。
オボコ岳とたんぽぽ畑のパワーがボクをすっぽり包んで宇宙に連れてってくれるんだ。
っておもう。
今年の夏はいつもの夏と違うんだって、ボクは確信するんだ。
断言するんだ。
だから真似て誘って愛すればいいべさ。
うたた寝をしてしまった。
目がさめたら真っ暗だった。
コヤジと一緒に走ってヤマを降りた。
二本柳の吊り橋の前を通った時、顔の向きは前方にがっちり固定して、絶対に吊り橋を見ないようにした。
でも、怖いもの見たさの誘惑がカタマリでガツンときた。
チラッと目玉だけ吊り橋に向けた。
すると、ああ、ビンゴ、やばい、吊り橋の対岸、闇の中に、火の玉がふわふわ泳いでる。
こんな時に絶対に思い出してはいけないことをボクは思い出してしまった。
清春の「とちのいいつたえ」を聞いて丸山先生がみんなに書かせたクレヨン画のことを。
若いヨメにタヌキがのりうつる。
若いヨメの目がつり上がる。
若いヨメ、嵐の中浴衣を乱して走る。
若いヨメ、橋から川に飛び込む。
若いヨメの、恐ろしい、ノロイの、顔、引きつった目玉、若いヨメ、ヨメ……呪われた声が地の底から聞こえてきた。
『ヨメがぁ…かあいそうだぁあ』
ボクは悲鳴が出そうになるのを必死でこらえて、とにかく無茶苦茶に走って逃げた。
泣きながら。
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