第8話 逃げる!!


ボクはひざから崩れた。

コヤジがボクのひざの裏側に突進してひざカックンしたんだ。

片耳オヤジの腕はボクの頭スレスレで空を切った。


コヤジは遊びの続きをしていた。

ボクを誘うように走る。

ボクも走る。

遊ぶためではない。

逃げるためだ。


ボクは脚に自信がなかったけれど、コヤジは速かった。

ボクの走る方向にコヤジもついてきた。

コヤジと離れないと片耳オヤジはずっと追ってくる。

ボクはコヤジをまこうとした。

けれど、コヤジはボクの後を、前を、横をちょこまか走ってついてきた。


彦作じいちゃんの言葉をまた思い出した。


『オヤジと会ったら、斜面をくだれ。オヤジはのぼりは得意だが、くだりはからっきしだ』


ボクは斜面を一目散に駆け下りた。

コヤジはころころ転がりながら、でも、懸命にボクについてきた。


「コヤジ、ついてくるな。かあさんのところに戻れ!」


片耳オヤジは下り斜面を全力で走ることができずにいた。

前につんのめるので速度をゆるめて、ほとんど歩くように下ってくる。

でもコヤジは小さいので、転がるように走り下った。


ボクの前方を笑うようにはしゃぐように走っていたコヤジの姿が突然視界から消えた。


そこは崖だった。


斜面が尽きて、直角に近い崖の遥か下には川が光って見えた。


崖の途中に張り出した松の木にコヤジが引っかかっていた。


片耳オヤジは歩くスピードだが、確実にボクとの距離を縮めてきた。


ボクは崖沿いに走ることにした。

そのとき、崖の下からコヤジの泣き声が聞こえた。

クーーン。


ボクも片耳オヤジもピクッと立ち止まった。


どうしよう、という言葉が頭に浮かんだ時には、ボクはすでに崖を滑り降り始めていた。

岩のゴツゴツを手がかり脚がかりに、慎重に崖を降り進み、松の木にたどり着いた。

コヤジを胸に抱きかかえた途端、脚元の岩が崩れた。


ボクとコヤジはそのまま崖を滑って、滑って、そのまま川に落ちた。


コヤジを抱いて川に流されながら崖の上を見上げると、片耳オヤジが見下ろしていた。

その時、声が聞こえたんだ。

いや、聞こえたんじゃない。

胸か頭の中に、そう、心の中にその声は直接飛び込んできた。


「その子を預けておくわ。時が来たら迎えにいく。約束する。あなたには心から感謝しているわ。その子を生かしてくれてありがとう。本当にありがとう」


それは片耳オヤジの声だった。

ボクとコヤジは川の水になってずっと流れていった。


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