第4話 初頭効果

「足立先生!」


 放課後、生徒たちでごった返す廊下をかき分けて、職員室の前を通る足立先生を呼び止めた。


「どうした、一年生か」


 足立先生は体育会系で、筋肉質の体にパツパツのシャツを着ている。


 声は低く、心臓に響くような低音だ。


「足立先生って、歴史の先生でしたよね?」


 僕はいつもより気持ち高めのトーンで、満面の笑みで話しかけた。


「ああそうだ! 何か質問か?」


 足立先生はにっこり笑ってそう言い返した。


「はい、中学の内容を復習していたんですけど、どうしても理解できないところがあって。みんなから足立先生は優しくて教えるのも上手だときいて」


 これは根も葉もない嘘である。


 しかし足立先生は上機嫌で、先ほどよりも口角を数段あげて、


「そうかそうか! なら明日の放課後また来なさい。今日は会議があるもんでな」


 と、笑いながら言った。


「はい、ありがとうございます!」


 まあ、最初はこんなもんだろう。




「それで、調査の方はどうだい?」


 部室に戻った俺は、脚を組んで座る先輩に促されるがままに、向かいの椅子に座った。


「まあ、順調ですけど」


「ほう、では今日の報告を」


 なんか先輩、やっぱりキャラ変わったな。


 苦笑いしつつも、僕はさっき会ったことを話した。


「ええ! それだけ? 何かもっと核心ついたのかと思ったわ、がっかり」


 文字通りがっかりした様子を見せる先輩。


「あのですね先輩、僕は足立先生と今日初めて会ったんですよ? 初対面の人にそんなプライベートな話するわけないじゃないですか」


「私は今までそうしてきたけど・・・」


 この先輩は一体どんなコミュ力してるんだ?


「物事には順序があるんです。わかりますか?」


 先輩は僕との間にある机に突っ伏して、髪の毛をくるくるといじりながら言った。


「まあ急ぎじゃないからいいけど。それより後輩、お前先生にはそんなテンションで接してるんだな」


 一気に脱力した先輩は、ついにスマホをいじりだした。


「いや、あれは演技です」


「は、演技?」


「はい」


 そう、あれは紛れもない演技である。そもそも僕が歴史の復習などするはずがなく、先生に媚を売るタイプでもない。


 あれは情報を引き出すための作戦なのである。


「演技って、どういうこと?」


 スマホを置いて真剣に先輩が聞いてきたので、仕方なく説明することにした。


「初頭効果って、知ってますか?」


 先輩はぽかんとした表情で、「なにそれ」と言った。


「人間は出会って数秒の間に相手の印象を決めるんです。そして、第一印象によって相手のイメージも大きく変わる。ここまでは分かりますよね?」


 うんうんと頷く先輩。


「実はこの第一印象はなかなか離れるものではなく、数週間、数か月とその人のイメージとして定着するんです」


 なるほど、と言って組んでいた脚を解く。


「つまり後輩は、真面目で向上心のある生徒、というイメージを足立先生に定着させたということね」


「そういうことです」


 ふーんと感心したような声を出す先輩。しかし僕がやったことはそれだけじゃない。


「それに加えて、ポジティブゴシッピングもしておきました」


「ぽじてぃぶ・・・なんだって?」


「ポジティブゴシッピングです。簡単に言えば、良い噂話です」


 眉間にしわを寄せる先輩は、目を細めて僕を見ている。


 しかしそんなことお構いなしに説明を続ける。


「本来は本人のいないところで、その人のことをほめるときに使うんですが、あえて良いうわさが流れていることを本人に伝えることで、より好感を高めようってわけです」


 いまいち理解できていないような表情を見せる先輩だが、何となくわかっているようだ。


「でも、そんな噂ほんとは流れてないんだろう?」


 痛いところを突かれてしまった。


「ま、まあ。今回限りですし、多少の嘘は・・・」


 先輩は呆れた表情を見せたが、


「まあ、やはり私の見込んだ通り、なかなか考えて動いているようだな」


 と、誇らしげに言うのであった。


 僕は椅子に深く腰掛けて、一息ついた。


「まあ、交際している件は本当だと思いますけどね」


 ぼそっとつぶやいたつもりだったが、先輩がやけに食いついた。


「どういうことだ!」


 急に顔を近づけられて、少し緊張した自分がいた。


「べ、別にたいしたことじゃないですよ!」


「いいから言え!」


 机に身を乗り出す先輩に押し切られて、仕方なく話すことにした。


「昨日の話だと、足立先生はちょっと汗臭かったり、体毛が生えていたりと、あまり清潔感のない先生、ということでしたよね?」


「ええ、そうよ。あまり近づきたくないという女子も多いわ」


 え、そんなこと言われてんの、足立先生。


「で、でも、さっき見たときは、ひげや腕毛がきれいになくなっていました。あれは自宅で自分で剃ったといえるような出来ではありません。おそらく脱毛サロンか何かに行ったのでしょう。そして、微かに香る香水の匂い。あれだけ身なりに気を遣うようになったということは、意中の人がいるとしか思えません」


 ほうほうと、感心する先輩。しかし、僕に近づけていた身体を急にひっこめた。


 そして恥じらいながら僕を見つめた。


「後輩、お前他人のそんなところまで観察してるとか、しょ、正直気持ち悪いぞ」


「誰がやれって言ったんですか! 僕もやりたくておじさんを観察してるわけじゃないんですよ!!」


 先輩はなぜか僕に背を向け、窓を開けた。


「まあ、順調ならそれでいい。このまま調査を続けなさい」


 なんだか今日の先輩は様子がおかしい。


 まあ、僕が気にすることでもないが。


「じゃ、じゃあ、今日のところは帰りますね」


 そういって僕は、部室を出ていった。


「ああ、気を付けて」


 先輩のか細い声が聞こえた。

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