第5話

【11の鐘~】


2人は、そんなキースの可愛さについて散々盛り上がったが、キャロルがふと気づく。


「そういえば今日はまだ起きてこないですね。もうお昼になってしまいますが・・・」


自宅へ戻ってからも、遅くまで魔導書や論文を読み込んだり、魔法陣を組み替えたりと研究に余念がないようだ。


しかし、さすがに昼までは寝すぎであろう。生活リズムを崩してもろくな事にならない。


「キャロル、ちょっと起こしてきてもらえる?」


「かしこまりました」


アリステアのカップにお茶のおかわりを注ぎ、キャロルは2階へ上がっていった。


本当は自分で起こしに行って、これまたとびきり可愛い寝起きの顔を見たいのだが、先日も就職問題で口論になってしまい、少々気まずい状態だ。


(ライアル達のところに手紙でも送ってみようかしら)とぼんやり考える。


このまま自宅で無為に過ごさせていても、時間がもったいない。



一方、2階の一番奥にあるキースの部屋の前に着いたキャロルは、違和感を覚えていた。


気配を探っても部屋の中に人のいる気配がしないのだ。


ノックをしても返事がない。ドアノブをそっと回してみる。ドアノブは回った。


鍵が開いているという事だ。


(部屋にいないのに鍵が開いている・・・?)


部屋に希少な魔導書や、魔術的な素材を保管したりもする魔術師という人種は、その辺りに非常に神経を使う。


不在にするのに施錠しないなどという、そんな不用心な事はしない。


(それか部屋に入ってほしくてわざと開けてあるかだ)


キャロルはドアをゆっくりと少しだけ開け、中の気配をより集中して探る。やはり誰もいない。


「坊ちゃま、キャロルです。失礼します。」


いないと解ってはいるが、一応声をかけ部屋を見渡す。


学院から戻ってきたばかりのキースの部屋に物は少ない。


机と椅子、そして各種書物が入った本棚、衣類を入れるクローゼット、後はベッドがあるだけだ。


ベッドを見ると明らかに寝た様子がない。昨日の昼間に自分が整えた時のままだ。


(これは・・・まさか・・・)


嫌な予感を覚えたその時、机の上に一枚の紙が置いてあるのに気づいた。


キースは机の上に物を出したままにしない。


という事は、部屋に来た人間に見せるために、わざと置いてあるという事になる。


(これを見せる為に鍵をかけなかったという事?)


迷うこと無く手に取りその文面を読んだキャロルは、自分の嫌な予感が当たってしまった事を(神に仕える神官なのに)呪った。


そこにはいかにも彼らしい、癖のない読みやすい字で「冒険者になってきます」と書かれていた。


わざわざ書き置きを残していったのは、家族と縁を切るつもりはなく、既成事実を作ってなし崩し的に認めさせる、というつもりなのだろうと、リビングに戻りながらキャロルは考える。


リビングに戻りアリステアに書き置きを見せる。


彼女は目を見開き息を呑んだが、すぐに眉間にシワを寄せ表情を険しくする。


「キャロル!探しに行くわよ!準備してちょうだい!ヒギンズも呼びなさい!!」


(まぁそう言うわよね)


その反応は予想通りとばかりに、キャロルは静かに宥めにかかる。


「アーティ、私達が坊っちゃまの姿を最後に見かけたのは昨夜の夕食時です。出て行った時間は不明ですが、私達が寝ている間だとすると、短くても鐘7つは経っています。もう既にこの近辺にはいないでしょう。宛も無くどこをどうやって探すおつもりですか?」


冷静な指摘は、アリステアの神経をこれ以上なく刺激した。


「キャロル!あんたなんでそんなに落ち着いているの!!キースが心配じゃないのっ!?」


視線だけで心臓が射抜かれそうな、鋭い目付きでキャロルに詰め寄ってくる。


現役時代はこんな迫力だったのだろうと思わせる。


しかし、キャロルは、アリステアが激すればするほど、逆に自分は冷静になるのを感じていた。


静かに続ける。


「こういう時に、落ち着いて一歩引いたところから意見を言うのが私の役目です。冒険者になるなら、ここから一番近いのは王都です。冒険者ギルドのディックに経緯を知らせて、坊っちゃまが行っていないか確認してもらいましょう。彼なら間違いなく対応してくれるはずです。手紙を書いて転送の魔法陣で送るのはいかがですか?」


鼻息の荒いアリステアは、肩まで上下に動かしながら、無言でキャロルをにらみつける。


必死に落ち着こうとしているのだ。


アリステアは別に暴君ではない。スイッチが入るとちょっと色々と勢いがよくなるだけだ。


王都の重要施設や各町の代官の庁舎には、有事の際の指示伝達・情報共有の為に、物質転送用の魔法陣が設置されている。


指示や情報が書かれた書類を転送し、国をあげて緊急事態に対応する為だ。


アリステアはとうに引退したとはいえ、まだまだ各方面に大きな影響力を持つ重要人物だ。


自宅にそういった所と繋がっている転送の魔法陣があっても不思議ではない。


国としてはつながりを維持し、良好な関係を築いておきたい人物なのだ。


「落ち着いて手紙なんて書ける気分じゃないわ!音声保存の魔導具を持ってきなさい!」


この魔導具は魔力を流している間、声や音を保存することができる。その後手に持って魔力を流せば再生される。これに声を入れギルドに送ろうというのだ。


「かしこまりました。すぐに持ってまいります。後、ヒギンズもここへ呼びますね。今頃は倉庫の整理をしているはずです。」


キャロルがリビングを出ようとするところを、アリステアが呼び止める。



「キャロル」


「はい」


「ごめん。ありがとう」


「いいえ。お気になさらず」


デキる家政婦はうふふと静かに笑い、改めて部屋を出ていった。


アリステアは椅子にかけて、すっかり冷めてしまったお茶を一口飲みため息をつく。


まさかあの天使のように可愛い素直なキースが家出までするとは、完全に予想外だった。


キースが冒険者になりたがっているのは、間違いなく自分のせいなのだ。


アリステアは、息子夫婦が留守にする時には、いつもキースを預かって面倒をみていた。


その時に、昔話の代わりに、自分や他の冒険者の経験談を面白おかしくして聞かせていた。


人の頭ぐらいの魔石を見つけ、両手がふさがった状態で何とかダンジョンから脱出した話、魔物の巣に入ってしまい死にかけた話、国境で新しいダンジョンを発見し他国と争った話、珍しい魔道具を持ち帰り、いまや社会インフラ(!)として使っている話。


キースはいつも、あのくりくりp(略)の瞳をキラキラさせて聞いていた。


自分のせいで冒険者に憧れる様になったのにもかかわらず、それに対して反対している。


(私は一体何をやっているのだろうか・・・)


しかし、息子夫婦から託されている以上、今は冒険者になる事に賛成はできない。


アリステアは、何度目かわからないため息をついた。



キャロルが男と一緒に戻ってきた。


キャロルの夫のヒギンズだ。


この家の庭師兼力仕事担当である。


坊主頭で背が高く、筋肉の壁の様な体付きをしている。


そんな見た目からは全く想像できないが、庭の花が季節ごとにきれいに咲くのは、全て彼の手腕だ。


「お待たせいたしました。こちらをどうぞ」


キャロルが銀色で卵型をした音声保存の魔道具を渡す。


「アーティ、まさか坊っちゃんがそこまで思いつめているとは・・・気がつけず申し訳ありません」


と頭を下げる。


「謝らないでヒギンズ。私だってそこまでするとは思ってなかったわ。今は一緒に対応を考えましょう」


ヒギンズは心配そうな顔のまま頷いた。




「では始めるわね」


アリステアが音声保存の魔道具を握り魔力を流すと、ほんのり青く光りだす。


「ディック、アリステアです。ご無沙汰しているけど元気かしら?今日はちょっとお願いがあって」


「私の孫のキースは憶えているわね?冒険者になる為にそちらへ向かった可能性が高いの。私達は彼が冒険者になるのを望んではいません」


「そこでお願いが3つあります。ひとつ、まだ新規登録が済んでいなければさせないこと。ふたつ、もし登録済みであれば、王都から出ないように何とか引き止める事。くれぐれもパーティを組んで依頼に出発させる事の無いように。みっつ、もし姿をあらわしていなければ、近隣の街の冒険者ギルドへ、キースの特徴と新規登録をさせない様連絡をする事」


「まぁ、まず間違いなくそちらへ行くと思うけど・・・いいわね?可能な限りの協力を求めます。頼みましたよ」


アリステアが魔力を流すのを止めると、青白い光は消えた。録音完了である。


キャロルはヒギンズはと目線だけで会話する。


「ちょっとお願いが」と言いつつ、あれでは完全に命令だ。


「可能な限りの協力を求めます」に協力しなかったら一体どうなってしまうのか、想像するだけで恐ろしい。


王都の冒険者ギルドの責任者に命令なんてできるのは、国の役人を除けばアリステアぐらいであろう。


本当に、キースの事となると見境がなくなる。


これを聞いた時の、ディックの青くなった顔を思い浮かべ、二人は元パーティメンバーである魔術師の事を心の中で応援した。


ヒギンズが魔道具の転送を済ませて戻ってきたのを機に、今後の対応について話し合いを始める。


ディックが即対応してくれれば、2、3日は時間が稼げるだろう。その間に事態解決の為に何とか良い考えを思いつかなければならない。


まずは・・・


「キャロル、ちょっと軽くお昼にしましょう。お腹が空いていてはいい考えは出てこないと思うの」


「ごもっともです。朝食後にキッシュを焼いたので、それとバゲットでよろしいですか?」


「あと、チーズも少し切ってちょうだい」


「かしこまりました。」


この辺りはブレないアリステアであった。


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