第2話 賢者!目覚める!


 今日も、気持ちよく目覚めた。


 一度『伸び』をして起き上がると、早速朝の支度をする為に部屋にある鏡を見る。  鏡の中に映るのは幼い顔だが、黒髪に黒い瞳の整った顔立ちだ。

 その黒目に宿る理知的な眼差しは物事の深淵を見極める。


 顔立ちが幼いのは子どもなのでしかたないが、前世の特徴は色濃く残っている。


「よし。予定通りだ。上手くいっている」


 思わず独り言が出てしまったが、誰にも聞かれていないはずである。


 この場に置いてあった鏡の質は悪いが、とりあえずは自分の容姿について心配していた部分の確認ができた。


 ここでの美意識はわからないのだが、自己尺度による判断では思っていたよりも美形だったので安心したのだ。

 いつものように汲み置きしてある水を使って顔を洗い、竹の先を潰して作ったブラシに木灰を付けて歯を磨く。


 それからうがいを済ませて、お日さまの香りのするふかふかなタオルで顔を拭き、洗面所に用意してあった服に着替える。


 これが朝の日課なのだが、記憶を取り戻した今日は何事も新鮮に感じる。

食堂に行くと、愛すべき父母が先に食事をしていた。


「おはよう。ミコト。よく眠れた?それに3歳の誕生日おめでとう」


(なんの確証もない転生自体が賭けだったのだが、思った通り名前もミコトだ。それに3歳の誕生日か。上出来だな)


 確認することは他にもあるが、これらが覚醒時の不安事項の中で一番に気になっていた事である。





 産まれた時に、初めて自分を見た者たちが今まで聞きなれた『ミコト』の名に決めるよう魂に術式を組み込んでおいて正解だった。


 この時代の名にミコトが合うのかわからないが、ミコトとしては違う名で呼ばれるのが嫌だったのだ。

 名前だけでなく、3歳の誕生日に前世の賢者だった記憶が戻る術式も予定通りに起動したようだ。


 そう。賢者ミコトは本日、この世界に転生したのである。





 ミコトは頭の中で素早く確認を終えると両親に挨拶を返す。


「お父さん、お母さん、おはよう」


 子どものため舌足らずだが、元気よく答えることができた。

 この世界では、3歳児でも一人寝らしい。

 早めに自立を促すためだろう。





 朝食の席に着くと、直ぐに侍女が食事の用意をしてくれる。


(記憶にある日常、いつものとおりだ)


 3歳までの記憶と思い出した前世の記憶のマッチングも問題ないことがわかる。

 父は地方領主なので貴族の末端であり裕福とは言えないが、世間的にはまあまあ良い暮らしぶりらしい。


 そのため教育面の心配もしなくていいようだ。

 それに、ミコトは、ひとりっ子なので兄弟はいない。

 子ども一人で寂しい家庭だが、自己研鑽には好ましい環境である。





 食事が済んだら、部屋に戻り今日も家庭教師による勉強だ。

 記憶にある学習ローテーションから、今日は剣術と文字の読み書きのはずだったと思い出す。


 食後すぐ剣術訓練とは消化に悪そうで疑問なのだが、この社会では暗殺などが平気で行われる世界のようなのでそうも言っていられないのだと思う。


「坊っちゃん。型訓練については身に付きましたか?」


と、教師から練習用の木剣を渡された。


 父の説明によれば、この教師アルトはこの国の中でも名のある剣士らしいのだが、住み込み上ミコトに剣術、魔術や文字だけでなくいろいろな知識なども教えてくれている。


 それには金銭的な理由もあるのだろうが、基本的に全科目を一人の教師が教えてくれるのがこの世界の普通なのである。


 教師としても教えるためだけに遠いところを毎日通うわけにもいかないので、住み込みになるのは仕方がないし、教師にも得意分野と不得意分野が存在するのでそこは運次第なのである。


 今、その高名な剣士である教師の目の前でミコトは基本型の演武を行っているのだ。

 アルトが、他の授業に比べ剣術に対する評価が厳しいのも仕方のないことである。


 記憶の蘇った今のミコトは、元賢者だけに武術の嗜みもあるので演武といえども動きは完璧なはずだった。


 教わった演武は年齢のためか武術の基本的な動きなので、剣術の流派を知らなくてもミコトに問題はないようだ。


 木剣を両手で持ったまま流れるように小さな体を動かしながら、時折剣をシュッと振る。

 ミコトの演武が終わると、アルトの目が丸くなっていた。


「坊っちゃん。それは?」


(失敗か?いや、動きには自身がある。それなら何か驚かせたか?)


ミコトは少し・・・いや、かなり不安になる。


「素晴らしい。坊っちゃんには剣の才能が芽生えたのか?3歳に成りたてなのに動きに緩急までつけるとは。明らかに昨日までと違うし、私が思っていた以上にいい動きでしたよ」


 完璧すぎたようだ。


「次からは、キリのいいところで魔術も加えて覚えましょうか?魔術もある程度覚えたら、武術と組み合わせることができますからね」


そう言うと、ニッコリと教師が微笑む。


 前世の記憶が戻ったので、本当は魔力の続く限りあらゆる魔術が仕えるはずなのだが解らないフリをする。


 それとここには魔術が存在しているようなのだが、ミコトの記憶にあるものと違うのかもしれないのだ。


 その上3歳児が習いもしない魔術を使うなどもってのほかだ。

 もし、そんな事ができるとバレれば、悪魔として処刑されてもおかしくない。


 ミコトにとっての魔術は、呪術の一部なので当然得意分野なのであるが、普通の3歳児として今はできないフリをしないといけないのである。


(魔術については、まず誰も居ないところで実験だな。もし、前のまま使えるとわかれば、人を観察して人よりも少し優れている程度の威力に収めなければ)


 そう心の中で誓いながら次からの授業に備える。


 次は武術とは別の授業ではあるが、文字の授業もミコトにとって面白かった。

ミコトにとって産まれて初めて見る知らない文字だ。

 前世での知っている文字は、表音文字。

 文字自体に意味はなく、音を表すだけだ。





 新たに生を受けたこの地での文字は、文字ひとつひとつに意味がある。

 だからその文字の組み合わせで、違う意味になることもある。

 近いところでは、漢字のような物だ。


 そんなこともあり、今は何よりも学ぶことが楽しいと感じる。


「坊ちゃんは不思議ですね」


 また何かやってしまったか?と警戒するが、この教師アルトからは予想の斜め上の回答があった。


「私もいろんなところで教えていますが、文字に興味を示したのは坊ちゃんぐらいですよ。普通の子どもはこんな勉強は嫌なのでしょうね」


「えっ。僕は先生の話が面白くてためになると思うけど?」


「坊ちゃんは特別です。物事の理解が早く深い。とても3歳児だと思えないくらい理解力があります」


「そうですか・・・」


 子どもは文字の学習が嫌いなのだと聞いて少し落ち込んだ。


「気を落とさないで・・・。褒めているのですよ。君は賢い。それを誇りに思うことです。こんなことは初めてですが、私も教えるのが楽しいのですよ」


「だって子どもはこんな勉強がきらいなのでしょ?」


「いや。それはいいことなのですよ。坊ちゃんはまだ小さいからわからないのかもしれないけど、勉強して知識を深めることは大事なことです。その基本作業として文字を覚えることが重要になります。文字が解れば本が読める。本が読めれば、自由に知識を得られるのですから」


「そうなのですか。じゃあ先生。もっと沢山教えてください」


「言われなくてもそのつもりです。私と一緒にもっともっと学習しましょう」


 この教師は勉強の休憩中の雑談でも、知りうる限りの知識をミコトに教えてくれた。

 元が賢者であるミコトにとってはほとんど役に立たない知識だし、中には間違った理論もあったのだが、否定はしなかった。


 それでも、この世界の情勢や歴史などこれから役に立つ情報もいろいろあったのが嬉しい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る