もう一度、もっと本気でケンカしようぜ
四月二十二日水曜日。時刻は午後二時十分。何でも屋朱雀店の引き戸は開け放たれた。
「蓮太郎く~ん!」
店に飛び込んだ冴は、引き戸も閉めずに店内を突き進んだ。目の前に現れた大きなカウンターを素早い切り返しで躱し、来客用のソファーに突進する。
ソファーでバラエティ番組をラジオ代わりに仕事をしていた蓮太郎は、突然の訪問者に目を丸くした。
「何、どうしたの冴ちゃん」
冴は蓮太郎に飛び付くようにソファーに座った。彼女は蓮太郎の腕にすがりつき、ようやく止まった涙をまた溢れさせた。
「今日から学校なんじゃなかったの」
「学校なんてもう行かない~」
涙と鼻水を振り撒く冴の顔面に、蓮太郎は数枚のティッシュを押し付けた。冴はそれで鼻水をチーンとかむ。
「昨日まで楽しみにしてたじゃん」
「昨日は昨日、今日は今日だよ」
冴は今度は自分でティッシュを引き抜き、また鼻水をかむと、そのゴミをゴミ箱へ投げ入れた。目尻と鼻の頭を赤くした冴は、むすっとした顔を蓮太郎に向ける。
「学校なんてたいしたとこじゃないね。研究所にいる方がよっぽど楽しいよ」
「昼間は玲那ちゃんがいないからつまらないって言ってたのに?」
「それでも学校よりはマシさ。それに暇ならここに来ればいいだけだし」
ぶぅぶぅと不満気に語る冴に、蓮太郎はため息を返す。バラエティ番組の安い笑い声がうるさかったのでテレビを消した。
「結局学校で何があったの?」
「別に……」
冴は眉を寄せて唇を尖らせた。蓮太郎がしばらく待っていると、今度はちゃんとした答えが返ってくる。
「……ボクと玲那ちゃんの仲を邪魔する奴がいるんだよ」
「ああ、そういえば玲那ちゃんって仲いい子いたよね」
蓮太郎は少し笑って「なるほどね、二人で玲那ちゃんを取り合ったのか」と言った。
「あんな奴がいるなんて知らなかったよ。何であんなのがいるの?」
冴は唇を噛み締めながら続けた。
「しかもあいつ玲那ちゃんの他にも友達いるんだぜ。ボクには玲那ちゃんしかいないんだから譲ってくれればいいのに。何でボクの邪魔するんだよ」
「それで、玲那ちゃんは何て言ってたの?」
蓮太郎がそう尋ねると、冴はまた泣き出した。
「玲那ちゃんが悪いんだ!玲那ちゃんはボクよりあいつのことが好きなんだよ!ボクは玲那ちゃんしかいらないっていうのに!」
蓮太郎は冴の頭をぽんぽんと撫でると、ゆっくりと立ち上がって引き戸を閉めに向かった。ソファーまでの少しの距離をずいぶん時間をかけて戻ったが、冴はまだわんわん泣いていた。
「玲那ちゃんが何て言ったかはわからないけどさ、別に冴ちゃんのこと嫌いって言ったわけじゃないんでしょ?だったらそんなに気にすることないんじゃない?」
「蓮太郎君には友達たくさんいるからわからないだろうさ!ボクには玲那ちゃんしかいないんだ!玲那ちゃんの一番がボクじゃなきゃ嫌なんだよ!」
「うん……とりあえず鼻水拭こうか」
蓮太郎に言われて、冴は垂れていた鼻水をティッシュで拭った。その間店内に静寂が訪れた。
「……で、冴ちゃん的にはこれからどうするつもりなの?」
冴の鼻がスッキリするまでたっぷり数十秒待ってから蓮太郎は口を開いた。冴はいつものふてぶてしい態度を取り戻し、拗ねたような口調で答える。
「そんなのわからないよ。蓮太郎君が考えてよ」
「って言われてもなぁ。僕的は学校には行ってほしいけど」
「そんなに勉強が大事なのかい?今までだって学校なんか行かなかったのに何も言わなかったじゃないか」
「というより、学校は友達出来たら楽しいから、是非とも冴ちゃんには行ってほしいんだよね」
「ボクは玲那ちゃん意外友達はいらないって知ってるだろ」
「それって僕も友達じゃないの?」
「それは……そういうわけじゃないけどさ……」
考えてもいなかったところを突かれて、冴は思わず口ごもった。視線をさまよわせ、そのままうつむく。
「冴ちゃんが玲那ちゃん一筋なのは知ってるけどさ、別に玲那ちゃんだけに拘らなくてもいいんじゃないの。その友達の子だって案外気が合うかもしれないし」
「……そんなんじゃ納得できないよ」
「世の中には納得できない事の方が多いんだよ」
「そんなこと今は関係ないだろ」
蓮太郎は「やれやれ」と言わんばかりにわざとらしく頭を振った。
「まぁとりあえずもうちょっとだけ試してみなよ。それでも何も変わらなかったらまた研究所に引きこもればいいだけの話だしさ」
「人をヒキニートみたいに言うなよな」
「昨日までそうだったじゃん」
「研究者は立派な職業さ」
「研究なんてせずに毎日ゲームしてるくせに」
「これからだよ。ゲームでインスピレーションが刺激されるかもしれないだろ」
二人は不毛な言い合いを中止し、沈黙で休戦を表した。
「まぁ学校には行ってよ。冴ちゃんをあのクラスに捩じ込むのなかなか大変だったんだから」
「わかったよしょうがないな。まぁ逃げたみたいに思われるのは癪だし、言われなくても行くつもりだったけどさ」
「はいはい、そういうことにしとこうか」
つい二十分前は「もう行かない~」などと叫んでいたはずだが、何と華麗な変わり身だ。そんな記憶など冴の中には一片もないらしく、彼女はふてぶてしい態度を続けている。
「ふん、何だよ、せっかく蓮太郎君なんかに相談してやってるっていうのにさ」
「何言ってんの。僕は冴ちゃんのクソどうでもいい悩みごとに二十分も費やしたんだよ。感謝してほしいところだね」
「ま、もともと蓮太郎君なんて当てにしてないしね。姉さんを殺した犯人だって、絶対知ってるはずなのに教えてくれないし」
「冴ちゃんそんなこと一回も聞いたことなかったじゃん」
自分に顔を向けた蓮太郎の視線から逃げるように、冴はピョンとソファーから立ち上がった。
「当たり前だろ。ボクは誰の慈悲にも頼らず復讐を成し遂げるつもりだったんだから」
冴はグッと左手を握った。復讐の気持ちを綺麗さっぱり失ったわけではない。そんなこときっと不可能だ。ただ、復讐なんて言い出したら玲那にがっかりされる。冴はそれが怖かった。
「冴ちゃん、犯人が誰かってまだ気にしてる?」
「そりゃあ……忘れたわけじゃないけど」
復讐はやめると決めた。犯人のことなんてもう考えないと決めた。どこかで笑って暮らしているであろう犯人を想像して狂いそうになる日もあった。しかし、今は犯人のことを考える代わりに玲那のことを考える。
「でも今はそれどころじゃないんだ。ボクは一分一秒でも玲那ちゃんといたい」
その方法で今の冴は幸せになった。冴には玲那が必要なのだ。小灯なんかに盗られるわけにはいかない。
冴は左手を強く握り直した。今度は別のことを考えて。くだらない復讐などではなく、今目の前にある戦いだ。それは玲那を取り戻す戦いである。
「誰に何と説得されようと、ボクは玲那ちゃんに頼りたいんだ」
冴は一人意気込むと、何も言わずそのまま店を出て行った。蓮太郎はその背中を見送り、きちんと引き戸が閉まったかを耳で確認し、テレビのリモコンを取り上げた。
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