最終的に笑えばいい話





ようやく見えた出口に喜ぶ三人。一時はどうなるかと思ったが、無事に外へ出ることができるようだ。博士とキプツェルは両手でハイタッチをして喜んだ。

「一時はどうなるかと思ったが、よかった、よかった」

「本当に。私は死ぬかと思いましたよ」

「帰ったら北野様に報告書を提出しなければ……」

「おしゃべりはここまでだ。外に出るぞ!」

外へ飛び出す時の衝撃に備えて、博士は表情を少し引き締めた。キプツェルは間抜け面のまま「ついに外かぁ」と考えた。化学教師は間抜け面のまま「やっと外かぁ」と考えた。

小世界旅客機は真っ白な世界へ飛び出した。目が潰れるような光に思わずまぶたを閉じる三人。再び目を開いた時には、たくさんのエアーバッグと夢にまで見た外の風景が広がっていた。

「おおおおぉ!外だ!ついに外へ出たんだ!」

「生きてる!俺、生きてる!」

「北野様!貴女の忠実な奴隷が帰って参りました!北野様ァ!」

ワーワー騒ぐ小世界旅客機のすぐ近くに、ズシンと黒いブーツの先が着地する。そのさらに上から降ってくる玲那の声はワナワナと震えていた。

「……貴様等、どこから出てきているのだ!出入口は口だと決めたではないか!契約違反だ、殺す!」

「「ヒエェエェェ!」」

「私まで!?」

抱き合ってガタガタと震える博士とキプツェル。化学教師は自分を指差して間抜けな大口を開けた。

どうやら玲那は脱出に鼻の穴を使われたことにひどく腹を立てているようだ。彼女は顔の上半分に影を落とし、刀の柄に右手を乗せた。

「ま、待ってくれ!」

「博士!敬語!」

「あ、あぁそうか。待って下さい!これには太平洋より深――い訳が!」

ハッチを開き、博士が慌てて弁解を始める。その横でキプツェルは「つーかあそこでフォンタメロンなんて飲んだあんたが悪い!」と内心で正論を言った。三人の遥か頭上では玲那が見下ろしていた。

「北野様!私は無実なのです!こいつ等が勝手に鼻から出ただけなのです!」

「少し黙れ、役立たずナンバーZ。今私はこの老いぼれと話しているのだ」

博士とキプツェルを指差して叫ぶ化学教師だったが、呆気なく玲那に一蹴されてしまった。博士は博士で、老いぼれと言われたことに大変なショックを受けている。だが高校生である玲那からしたら、残念ながら博士は十分に老いぼれだったのだ。

「ですから、あれは仕方のなかったことなのです!」

化学教師も大人しくなり、再び弁解を始める博士。現在では話しやすいように三人とも元のサイズに戻っているが、どうにも玲那に見下ろされているような気がしてならない。博士は身ぶり手振りを加えながら、どうにかこうにか言い訳をしている真っ最中である。

そんな博士の姿を見て、キプツェルはふと考えた。どうやら俺の存在は無視されているようだ。ここは素直に逃げるべきだろう。申し訳ありません、スコーン博士。このキプツェル・マカロン次期所長、とりあえず逃げさせていただきます!博士の分まで生きますからね。

言葉の最後に星マークをつけて内心でそう唱えると、キプツェルはそそくさ~といった感じで後退し始めた。しかし、ものすごく目ざとい玲那がものすごい勢いで振り返り、その二つの目玉でキプツェルをガッチリと捉えた。

「何処へ行くのだ?役立たずナンバーα」

キプツェルはロボットのような動きで玲那の方に向き直りながら、ガチガチの舌をなんとか回して答えた。冷や汗がまるで洪水である。

「ああああああああの、ちょっとお腹の具合が……」

「頭を貸せ。殴ってやろう。頭の痛みで腹の痛みをごまかすのだ」

「あ、えーと、お腹は治りました。しかしトイレに行きたくなってきて……」

「気合いで堪えろ」

「あの、じーちゃんが危篤で今すぐ駆け付けて最後の別れを……」

「テレパシーを使え」

二人のやり取りをぼけっと見ていた博士は思った。「何を言っても無駄だ!」。しかしキプツェルは諦めずになんだかんだと言い訳を捻り出している。

「北野様の喉が渇いたかと思って、ジュースを買いに……」

「さっきフォンタを飲んだ」

「じゃあ……えぇと……その……」

必死で言い訳を考えながらへこへこと頭を下げるキプツェルの姿を見て、博士はふと考えた。待て待て待て、もしや私は無視されている?この天才スコーン・タルトを無視するとは許されることではないが、これはミラクルチャンスではないか?今のうちに逃げよう。キプツェル君、君には悪いが、まぁお互い様だろう。それじゃ我が愛弟子よ、アデュー。

言葉の最後に星マークをつけて内心でそう唱えると、博士はそそくさ~といった感じで後退し始めた。しかし、ものすごく目ざとい玲那がものすごい勢いで振り返り、その二つの目玉で博士をガッチリと捉えた。

「何処に行くのだ?役立たずナンバーX。まだ私との話が終わってないだろう?」

「え、えーと、まぁ、そのぉ、あはははは」

「笑ってごまかすな」

「ははは、ですよね」

玲那に睨まれ仕方なく元の位置に戻る博士。博士、キプツェル、化学教師は横並びになり頭を垂れた。

玲那は腕を組み、見下ろすように頭をそらして三人に言う。

「貴様等私を怒らせたのだからただで済むと思うなよ」

「……ハイ」

「……はい」

「……Hi!」

「Z……舐めてるのか?」

「ごめんなさい、ノリです」

化学教師は内心ドキドキしていたが、玲那はまるで気にしていないようで続けた。

「まぁいい」

博士とキプツェルは「いいのかよッ!」と声には出さないツッコミを入れ、化学教師は「いいんだ……」と密かに胸を撫で下ろした。

「とりあえずさっさと行くぞ」

「え、何処にですか?」

玲那の言葉に博士が当然の問いを返す。

「X、今更何を言っているのだ?私の教室に決まっているだろう」

「ななななな、何故!?」

「明日は現文と数学と家庭がある。α、貴様はノートをとれ」

当然とばかりに答える玲那。彼女に逆らう者など今までほとんど居らず、彼女からしたら言えばやってもらえるのが当たり前なのである。

「あ、あの、私、今から特許取りに行かなきゃ……」

「そ、そうだ、特許だ。だから見逃していただけないかなぁ~なーんちゃってははははは」

博士も後頭部をかきつつ乾いた笑いを捻り出す。しかし玲那は眉間にシワを寄せただけだった。

「私に逆らうというのか?奴隷の分際で」

この時、博士はハッと何かを考えた。彼の頭の中に「奴隷」という二文字が浮かんで弾けた。

「お言葉ですがッ!」

「は、博士、何を!?」

背筋を伸ばして玲那を見据える博士に、キプツェルは心の内で「やめるんだ博士!勝ち目がない!」と語りかけた。しかしそれは声にならない。キプツェルの意思に反して博士は続ける。

「私達は奴隷などではありません!私達にも人権や拒否権というものがあるはずです!」

「は、博士ぇ~。頼もしい!」

とキプツェルは素直な感想を口走るが、しかし玲那の反撃に怯えてもいた。

博士の言葉にすぐさま化学教師が噛みつく。

「なッ、貴様!北野様にそのようなこと言っていいと思っているのか!」

「Z君!君は黙っていたまえ」

「!」

初めて見せる博士の重みのある声に、化学教師は思わず口を閉じた。玲那は「ハッ」と鼻で笑うと、目を細めて博士を見やった。

「人権や拒否権がなんだというのだ?そんなもの私の前では塵に等しい」

「しかし!私達の場合それらが自らを守る盾となってくれるのです!」

「博士、いつになくカッコイイぞ!」

調子に乗って博士を応援するキプツェルだが、そんなキプツェルの白衣を強く引く者がいた。科学教師だ。

「おい、そんなこと言ってないであの白髭を止めるんだ!」

いつになく常識的な化学教師の瞳の色に、キプツェルは「?」を貼り付けた顔を向ける。その化学教師の言葉が聞こえていたのか、博士は彼にも説得を始める。

「君もいい加減目を覚ますんだ!奴隷なんて呼ばれて君は嬉しいのか!?」

「私は、私は北野様に忠誠を誓ったのだ!」

化学教師は両目をぎゅっと閉じ、強く拳を握って吐き出すようにそう答えた。その次の瞬間、玲那が静かな声で彼を呼ぶ。

「奴隷ナンバーZ」

「はッ、はい!」

化学教師の返事は上ずっていた。

「この分からず屋共を縛り上げろ。私に背いた罪により公開処刑だ」

「「!!」」

博士とキプツェルは同時に息を飲んだ。処刑だなんて冗談のような言葉だが、玲那の目を見ればそれが冗談でないことは簡単にわかった。

「しょ、処刑ですか……」

「一分以内に捕らえろ」

「……わかりました」

化学教師は深い息と共にそう返事をすると、博士とキプツェルの方を振り返った。

「Z君!」

「な、なんだ罪人共め!俺のことは先輩と呼べと言っただろう!」

博士が訴えかけるように彼を呼ぶが、化学教師はふっと目を反らしてどうでもいいことを並べただけだった。

「Z君、目を覚ますんだ!」

「そうだ、そんな奴の言うことを聞いちゃダメだ!」

キプツェルも加勢して化学教師に考え直すよう説得する。そんな二人の様子を見て、玲那は不快感を露にした。

「五月蝿いカス共だ。おいZ、早くするのだ」

「し、しかし処刑となると……」

化学教師は白衣のポケットに右手を突っ込んだまま呟くようにそう返す。彼の右のポケットには護身用の折り畳み式のナイフが入っているのだ。

「Z君……それでいい、こっちに来るんだ」

「Z君!」

「貴様、Z、私の命令が聞けぬというのか?」

「そ、そんな訳では……」

化学教師はまだ迷っていた。彼は玲那に忠誠を誓っていた。だが、彼は元来心の優しい青年であった。

「Z君!」

「Z君!お願いだ!」

「Z、答えるのだ」

「わ、私は……」

化学教師はポケットから右手を出した。その手にはナイフは握られていなかった。

「私は、人殺しは御免だああぁ!!」

腹の底から本心を叫んだ化学教師。研究者二人の顔はパッと輝いた。反対に、玲那は鋭い舌打ちを打つ。

「Z君!」

「よく言った!」

「さぁ、こっちへ!」

「Z君、君とは仲良くできそうな気がするよ!」

博士とキプツェルは両腕を広げながらカモンとアピールするが、その腕に化学教師が飛び込むことはなかった。彼は唐突に駆け出し、いずこへと消えてしまったのだ。みるみる小さくなるその背中を唖然として見送る博士とキプツェル。二人は彼と完全に仲間になったと思っていたのだ。

「ぜ、Z君!?」

「どこへ行くんだ……」

あまりに突然の出来事に、化学教師を追いかけることもできずただ呆然とする博士とキプツェル。玲那は化学教師の小さくなった背中を見て再度舌打ちをした。

「Zめ……裏切ったのか。目をかけてやったというのに」

玲那の声はわずかに震えていた。博士はそれを怒りによるものだと受け取り、その性根を叩き直してやらなければと再び背筋を伸ばした。

「北野君……」

キプツェルは心の中で「博士?」と問い掛けた。その言葉は博士には聞こえなかったはずだが、彼はちらっとだけキプツェルに目を向けるとその視線で「大丈夫」と言った。

「何だ?性懲りもなく私を呼び捨てにするらしいな貴様は」

博士は「ちゃんと君付けてんですけどぉ~」とは思ったが口には出さず、出来るだけ真面目な声を作った。

「北野君、これに懲りたらもう奴隷など作らないことだ」

「私は懲りてなどいない。懲りるようなこともない。貴様等などいなくてもまだまだ奴隷は沢山いるのだ」

「奴隷なんて希薄な繋がり、すぐに途切れるぞ!北野君、君も更正するんだ!君はまだ若い!今なら間に合う!」

「博士……」

キプツェルは涙目になって博士を見た。博士は玲那までもを救おうと言うのだ。自らの進む道の分からぬ若者に助言を与えてやる、それが大人の義務だと博士は考えている。そしてその義務を果たそうとしている。

「本当に五月蝿い奴だ!」

「北野君、意地を張るのはもう止めるんだ!君の奴隷はもうここにはいない!」

キプツェルは不安になっていた。博士のやっていることは立派だ、それは分かる。だが玲那の精神が先程までより不安定になっている気がするのだ。キプツェルにはそれが怖い。次に彼女が何をするのかがわからないからだ。

「博士、もう止めましょうよ。もうダメですよ……」

「いや!まだ彼女は助かる!」

博士がそう叫んだとき、バキッという小気味よい音が聞こえてきた。玲那の足元の辺りに放置してあった小世界旅客機から。

博士とキプツェルは現実を見たくはなかった。だが見なければならないと思った。二人が恐る恐る未来の金塊を見てみると……予想通り玲那が踏んずけていた。背後に鬼を背負いながら。

「……私が奴隷無しでは貴様等ごときにも負けると?本気でそう思ってるのか?馬鹿にするのもいい加減にしろ」

怒気を含んだ静かな声でそう言った玲那は、腰の日本刀をすらりと引き抜いた。光を反射してその刀身がキラリと輝く。

「ぉ、おうふ……」

「は、博士、あれって本物ですよね……?」

レプリカにしてはリアル感のある日本刀に、キプツェルはひきつった顔で人差し指を向ける。博士はいそっその事笑って答えた。

「ははは、どうやら彼女自信にも相当な戦闘能力があるらしいな」

「そりゃそうですよッ!強くなきゃ奴隷なんて作れませんからね!」

「いや、金に物をいわせて、という事もあるから」

「高校生が?高校生が!?そんなに金があるならバイトなんてしてませんよ!」

じりじりと下がりながら騒ぐ博士とキプツェルに、玲那は深い息を吐きながら低い声で言った。

「……貴様等……覚悟はできたか?」

その一言に二人の顔は更に青ざめる。玲那はだらりと下げていた腕をゆっくりと上げ、突きを繰り出す直前のような構えを取った。

「やばい、じりじりと近寄ってくる」

「非常――に危険な状態だな」

「ひいぃ、にげ、逃げましょう」

「言われなくても逃げるさ。いくら優秀なこの私でもあれにはちょっと勝てないというか……いや、勝てない訳じゃないけどやはり女性相手に本気は出せないしそしたら必然的に負ける事になるというかてゆーか本気出したらあんなくらいちょちょいのちょいで……」

「博士!何ぶつぶつ言ってるんですか!走りますよ!」

「あ、あぁ、そうだな、逃げるのが一番いい、うん」

一二の三で駆け出した二人に、玲那がうつ向いていた顔を上げて独り言を呟く。その顔には恐ろしいことにうっすらと笑みが浮かんでいた。

「ふふふ……逃がすつもりはない、と言ったはずだがな」

その言葉が言い終わるのと同時に北玲那も地を蹴る。重そうなブーツを履いているとは思えない速さだった。

「早く!博士!ダッシュ!」

「分かってはいるが、年なんだよ~~」

「私だけでも逃げますよ!」

「待ってくれキプツェル君!置いてかないでヒエェェ!」

「逃がさぬ!私を愚弄すること……万死に値する!」

キプツェルが振り返ると、鬼の形相で近付いてくる玲那の姿があった。キプツェルはその恐ろしさに寿命を数年ほど縮めながら、足の回転数を上げた。

「助けて誰かああ!」

「Z君ぅうん!なんで見捨てたんだ馬鹿野郎ぉ~!!」

「絶対に許さん……殺す!」

こうして再び鬼ごっこが始まった。二人の研究者の運命はどうなってしまうのだろうか。




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