第12話 その男の過去
彼は銀座で妻子を殺害された直後、生きる気力を無くしうつ状態になってしまった。
心配した会社の上司が会社の診療所に連絡し専門の病院を紹介され医師によりうつ状態と診断され入院した。
彼はまるで植物人間の様で外界との接触を絶ち食事も自分では取ろうとしなかった。
只、口にものを入れると咀嚼(ソシャク)するので看護士が一日三度食事をさせた。
そんな状態が二週間続いた、その間の彼の頭の中では、妻との出会いから子供が出来た感動、その子が大きくなり可愛くなり充実感に満たされた感覚を思い出、銀座での悲劇までを明確な記憶で振り返っていた。
その為、彼は微動だにせず只時々微笑んだり涙を流したりしていた。
そして一週間後に大きな悲鳴と絶叫と嗚咽で意識が現実に戻って来た。
それからは食事は自分で食べたが無表情、無気力は替わらなかった。
毎日、看護士が散歩に連れ出したが素直に従い歩くだけで何も目に入らない様だった。
その時の彼の頭の中では、どうやって死のうかといろいろな方法を考えていた。
そして辿り着いた結論が死ぬ気で復讐する事だった。
その結論に達してからは具体的な計画を綿密に組み立て始め傍目(ハタメ)には無表情、無気力は変わらなかったが目に輝きが戻り怒りに燃えていた。
三日後、意識の覚醒を表現し医師に認めさせた。
医師は経過確認に一週間様子を見て退院の許可を与えた。
但し一週間に一度の通院が条件だった。
退院した彼は早速計画を実行した、まずは基礎体力の回復と増強から始めた。
これまでの彼の人生には無かった暴力の世界へ踏み出すのである。
妻に会って引退したハッキングの世界への復帰も決意し肩慣らしから始めた。
引退はしていてもプログラマーとして最新機器やプログラム、セキュリティーには大いに関心を寄せ注視していたので自信は有ったが用心のため町のネットカフェを利用してハッキング技術の現状を体感した。
情報には通じているつもりだったが予想外にセキュリティーの世界は厳しくなっていた。
ネットカフェにもキーロガーと言う操作者がどのキーを押したかを一字一句記憶するソフトが導入されており、このソフトのログ消去が必然である事が解った、結果彼が取った行動は至って簡単なもので全くコンビューターに触らずマンガ本を読んでいた事にするものだった。
時には映画サイトへのログも残したが何回かの肩慣らしで世界赫々に接続ポイントを設置し50箇所を超える擬似の操作者を設定した、今後最低150を目指すつもりだった。
現在の電子機器特に通信機器の速度は目覚しく接続点発見までの時間が以前に比べ格段に向上している事が確認され、150では不足かも知れないと感じた。
都内各所のネットカフェに高周波暗号トランスミッターを設置し自宅での中継局にした。
もしも分解又は10箇所前の拠点まで接近された時には溶解するよう様にも設計されていた。
但し人体に影響は無い、本体電源が切断され記録が全て消去されるだけのものだった。
健康面では毎日スポーツ会館に通い3時間の水泳ととそこで覚えたバドミントンに熱中した。
勿論一週間に一回の通院も欠かさず、通院期間が二週間に一回に伸び一ヶ月に一回に延びた。但し会社は相変わらず休職のままだった。
通院が一ヶ月に延びたのを気にSVUを購入しキャンプ用具、登山用具を購入し次の通院までの間、山篭りを始めた。
最初は熊避けの鈴を着けゆったりした歩みで一般客の様に山道を歩いていたが次第に獣道を選ぶ様に成りその歩行速度も速くなり一回目の一ヶ月通院までには体力と精神は医師が驚くほどの変化を見せていた。
通院期間が二ヶ月に延びた、季節も秋に入り山は厳しい季節を迎えようとしていた。
だが彼は意に解さなかった、彼には元々多少のMの気があり自分を痛める嗜好があった。
食料や資材を用意しこれから冬を迎える山奥へと踏み込んで行った。
二ヶ月後病院を訪れた彼は丁寧さも気使いも以前の通りだったが何かが変わっていた。
程なくして会社への復帰が認められ出社した。
出社した彼は以前と二重に事なったいた、見た目には陰気で無気力になっていた。
但し、内部は充実し暴力的になっており、ちょっとした事では動じなくなっていた。
二ヶ月間の冬の山での彼の行動は江戸の昔で言えば山修行、それも修行僧のそれよりも厳しく凄まじく死を覚悟した者の行いだった。
初めは厚着で山を駆け回り空手の型を練習し拳で木を打ち足で木を打ち木刀を振り模造の剣の抜き打ちを繰り返す毎日だった。
序々に薄着になり冬を迎え雪が降っても薄着で済む様になり走る速さが増し距離も伸びた。
拳も足も鍛えられ模造の剣で木が切れる様にまでなった。
雪深い山を走る姿は雪男か仙人の様で到底人のものではなかった。
だが何より鍛えられたのは気の力だった。
山々の生物の息が感じられ何処に何がいるかまで把握できた。
近くの生き物は気の力だけで眠らせる事までできるようになった。
但しここまでに成るには二ヶ月の山籠りが四度目のおりであった。
彼もまさか人の精神がこれほどの力を持つとは思いもよらなかった。
それは岩の上で座禅を組み精神を無にする修行中の事だった。
彼がいる事に気づかない小鳥が近くに羽を休めに来た時に彼が心の中で一瞬「小鳥の囀りが
煩い」と感じ「眠れ」と念じたら、その小鳥がパタリと倒れてしまったのだ。
無論小鳥に害は無く、暫くして小鳥は起き上がり周りを見回し飛び立っていった。
それからは時々鳥や動物に対して念じて見てその力を強めて行った。
東京へ帰る前々夜、雪が降る中座禅を組み二時間経った頃彼が目を見開き一度「はぁ~」と掛け声を発し30分が過ぎると彼の身体を包んでいた雪が解け始め水滴に成る前に蒸発してしまった、静かに立ち上がり山修行を終えた。
翌日、東京への帰路、温泉町に一泊し身なりも気持ちも山人から都会人への変身を遂げ翌日宿の者達の好奇の目を無視して東京へ戻った。
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