第3話 その男の変化

そして、一年半が過ぎ出社して来たが、まったく別人になっていた。

笑わず、喋らず、動かずになっていた。

彼が休んでいる間に、隣に新人の女性が配属され大いに活躍していた。

彼女の志望部署は情報部だったが、ここに配属され、当初、不満だった。

だが、それから、彼女なりに調べてみると情報部では、ホスト用のプログラムは自作ではなく外注で作成していて、希望と違っていることが解った。

ここはホスト用ではないが幅広いプログラム言語の利用が許されており、今は配属に満足していた、隣に暗い男が来るまではの話である。

彼が出社するようになって職場が急に暗くなった。

彼の境遇は先輩から聞き同情はしているが、ただ、出社し帰宅するだけでは、幽霊のようで気味が悪い、だから、彼を見ない様にしていた。

彼が出社して三日目、後ろを通る事が起こり何気なく彼の手を見て驚いた。

身体は微動だにしていないし腕もほとんど動いていないが、指先が猛烈な速さでキーを静かに叩き、あまりの入力の速さにプログラムの入力画面がスクロールの早送りをしているようだった。

彼女は入力の速さに格別な自信を持っていたが、まったく次元が違っていた。

画面に見入っていると彼が自分を見ているのに気付いた。

画面に夢中で彼の視線に気が付かなかったのだ。

彼はこちらを見ながらも入力しており、その速さに違いはなかった、

彼女は「ごめんなさい」と言って自分の席に座ったが、今、見た事が信じられず夢のようだった。急に彼の事が気になり出した。

横目で見ていると、人が後を通る時、速さが普通になり、離れると早くなっていた。

何人も確かめたが同様だった。

では、『なぜ自分だけ』と思って、隣を見ていた様で、気が付くと彼がこちらを向き目があった。

彼女は、慌てて正面に向きなおった、彼の早技を見てから、全く仕事が手に就かない。

何故か胸もどきどきしていた。

30分程あれこれ考え落ち着いて仕事再開したら、突然画面が消え驚いていると「今日帰りに食事を付き合って下さい、隣の男より」と点滅し、文字の下に「はい、いいえ」の選択が表示された。

そして、その下に「なお、この画面は30秒後に消滅します」と追加教示され横にカウント・ダウンが30から始まった。

彼女は思わず隣を見たが相変わらず、全く動く素振りを見せずにキー入力を繰り返していた。

カウント・ダウンが進んで行く、彼女は「はい」を選択した、何故か迷いはなかった。

画面が元の仕事画面に戻ったが中央に「ありがとう、裏口で17時45分に会いましょう」と表示され暫くして消えた。

夢を見ていた様で信じられず隣を見ると彼の顔が彼女を見て微かに微笑んで画面に顔を戻した。彼女は夢ではないと実感し、一旦落ち着いた心が又乱れその日一日仕事にならず、仕事をしている振りだけになってしまった。

終業時間の17時30分になり、何時もの様に彼は直ぐに席を立ち帰って行った。

彼は5分前から整理を始め時間きっかりに席を立つ周りの者には見慣れた風景になっていた。彼女もそんな一人だったが、今日は違う、彼女は素知らぬ振りで、予想の的中に納得していた。45分の待ち合わせなので、何時ものように30分に席を立たない可能性も考えられたが、彼女は彼が見慣れた日常は変えないと読んだ。

そして自分の行動として、後を追う様に直ぐに席を立ってはならないと決めていた。

30分から仕事を続けながら少しずつ帰る支度を始め37分に席を立ち「お先に失礼します」と言って席を離れた。

エレベーターが込んでいる事を考えた時間だった、

彼女は、人との待ち合わせで、待つのが大嫌いだ、だから待たせない事を心情にしていた。

そんな彼女を理解しない男が過去に多く一度でも連絡もなく遅れた男とは縁を切っていた。

彼女のこの心情は徹底していて男だけに限った事ではなかった、同姓でも同じだった。

彼女に取って一種のバロメーターで、連絡もなく待ち合わせに遅れる事は、他人への思いやりと優しさの欠如を意味し、将来の背信行為を予想させた。

そんな彼女だけに同姓の友達も少なく、男性に至っては皆無だった。

運よくエレベーターに乗れ一階で社員ゲートを通過し裏口に出た。

周りを捜すと裏口の大理石風の広場にある中央に木を配した円形のベンチの一つに彼が腰掛け下を向いたいた。

彼女が彼に向かって歩き出すと、彼は顔を上げ一瞬、彼女を見つめ直ぐに立ち上がり彼女に背を向け晴海通りに向かって歩き出した。

彼女は一瞬驚いたが、直ぐに理解した。一緒にいる処を見せないためだと。

ただ、彼女の為か、彼自身の為かは判断できなかった。

彼は左に曲がり中央通りへ向かった、二人は15メートル程の間隔を空け歩いている。

彼女も彼の考えに同調し、道の反対の歩道を歩いていた、彼も女性の速度でゆっくり歩いていた。横目で彼を見ながら歩いていると、彼が携帯電話を取り出し電話を掛けた。

彼女は店の予約と直感した、彼は電話を仕舞った、彼の方向も歩みも変わらない。

彼女は目的の店の予約が取れたと読んだ。

彼は中央通りを渡り一軒のビルの前で止まった、彼女に確認の時間を十分に与えビルに消えた。彼女もそのビルの前に着いた、そこは、東欧料理の店で地下へと続く階段があり、下に彼が待っていた、

彼女が階段を降り彼の前に立つと「ありがとう」と彼が言った。

彼女は反射的に「こちらこそ」と答えていた。

「この店へ来た事は」

「初めてです」

「ここでよろしいですか」

「はい、かまいません」

「良かった」と言ってドアを引き、彼女を先に入れた

「ありがとう」

「どういたしまして」

中に入ると彼が先に立ちレヂの前に立った、ウェートレスが来て挨拶をした。

「お久しぶりです」

「申し訳ありません、一人ではね」

「はい、今日はお二人で、安心しました」

彼女は、ウェートレスの言葉の中に彼の家族の不幸を気遣う思いを感じた。

顔馴染みで印象の良い客として彼は扱われていると判断した。

その店はこじんまりしており、奥に腰まで板張りの仕切りがあり、腰より上は素通しで奥に二人掛けのテーブルが4つあり、手前には二人掛けのテーブルが8つあった。

ただ、二人掛けにしては少し大きなテーブルで椅子も大きかった。

彼女は客に外国人が多いのではと想像した。

店は未だ誰もいなく案内された席は仕切りの前の右奥の席で、彼は彼女を入り口に向かって座らせてくれた。

ウェートレスがメニューを二人に渡してくれた。

「嫌いな食べ物はありますか」

「ありません」

「では、本日のお勧めでいかがですか」

「はい、結構です」メニューを確かめ返事をした。

「ワインにしたいのですが、種類は赤でカベルネ・ソービニオンです」

「はい、ワインは好きです」

「本日のお勧めを二つとカベルネをボトルでデザートは、何時ものでお願いします」

とウェートレスに言った、ウェートレスは復唱し去った。

「常連なのですね、それにワインにも詳しいのですか」

「以前は、2週間に一度でしょうか、若い頃一時期ワインに引かれましてね」

「ワインの種類を言う人は始めてです」

「ところで、自己紹介を・・・私は斉藤清一郎と言います」

「はい、知っています、私は谷口 雪恵です、今年入社しました」

「新入社員ですか、若いですね」

「でも、22歳じゃありません、24歳です、アメリカに留学していました」

「ほう、留学ですか」

ウェートレスが水、ワイン、グラス、フォーク、ナイフを持って来て、彼に試飲を求めたが、彼は彼女を示した、彼女がグラスを受け取り少し飲んで頷き「美味しい」と言って承諾を示した。

ウェートレスは二人にワインを注ぎ引き上げた、二人は、ワインを飲みながら会話を再開した。

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