葵 日向

 

 “まもなく、仙宗です。仙宗の次は新川に停まります”


 アナウンスが耳に入ると、窓から見える景色の動きが見る見るうちに遅くなる。

 そしてこの駅で降りるんだろう。辺りでは棚から荷物を下ろす人達の様子がちらほら垣間見えた。


 思いの他、完全に停車するまで時間は掛からなかった。それを確認すると通路に現れた人の波。

 そこまで急ぐ用事もなかった俺は、ゆっくりとその最後尾を待つと……大きな紙袋を手に、難なくその流れに乗り込んだ。


 そして……短い東京旅行に別れを告げる。


 たった1日。だけど、何とも濃厚で……意義のある1日。

 こんなにも満足感を得られる事なんてこの先あるんだろうか? そんな事を考えながら、名残を惜しむように出口に向かう。



 駅から1歩外に出ると、そこには見慣れた光景が広がっていた。

 ビルの隙間から顔を覗かせる日の光が、今日は一段と温かい気がする。そんな日差しに包まれながら、俺はバス乗り場に向かって歩き進めた。


 するとどうだろう、まるでタイミングを計ったかのようにこちらにバスが向かってくる。自慢じゃないけど、昔からこういう運だけは持ち合わせている気がする。


 そして、待つ事なくそのまま列に並ぶと……ふと目の前の数人のジャージ姿に目を引かれた。

 紺色に赤のラインが入ったジャージ。その背中に刻まれた明進高野高校籠球部の文字。


 まさかの後輩登場。それに母校だから贔屓してる訳ではないけど、バスケットボール部は男女共に強豪で全国大会の常連校だ。

 流石に声を掛けるなんて、このご時世も相俟って無理だったけど……心の中では溢れんばかりのエールを唱えた。


 悔いを残さないように頑張れ。


 まぁ、お前に言われなくても分かってるよ! なんて言われるかもしれないけど、応援するのは自由。

 何度も繰り返しながら、バスへと乗り込む。


 そこからは……目的の場所まで、ただずっと景色を眺めていた。


 働き始めてから、良く利用するようになった路線。

 最初はなんとなく嫌だった気がする。顔は俯いて、早く着いて欲しいと思っていた。

 それでも少しずつ……ほんの数センチずつだけど、顔を上げる事が出来た。

 そして映り込んだ景色。それをまじまじと見た瞬間、ふと……考えた。


 今まで……何を思って、何を感じていたんだろうかと。


 そんな思いに耽っていると、バスは上り坂に差し掛かる。

 気が付けば乗客は俺も含めて2、3人。後輩達も姿を消していた。

 そしてその長い上り坂を越えると、目的の場所に到着する。


 バスから降り、見上げるだけでその大きさは相変わらずだった。

 そんな場所を目の前に、俺は1つ息を吐くとゆっくりと入口へと向かって歩き出す。


「さすが市内……いや? 県内随一の場所だ」


 なんて思わず口にしていると、突然ポケットからバイブの振動を感じた。

 すぐさまスマホを取り出すと、画面に表示された名前を確認する。そして画面をスワイプして、そっと耳に当てた。


 ≪おはようございます。編集長。……いえ、とんでもないです≫


 ≪えぇ午後からのプロバスケットボールリーグ……Bリーグの取材の事ですよね? 大丈夫です。俺のワガママで行かせてもらったんです。きちんと仕事はこなしますから≫


 ≪仙宗アリーナですよね。……えっ? 野呂のろ選手が怪我? いつですか? 昨日……なるほど、それで代理が…………ふっ、分かりました≫


 ≪いえ、何でもないですよ? それでは取材を受けてくれる選手は仙宗せんしゅうDM’sダムズ九鬼くき選手と……坂城さかき選手ですね。了解です≫


 ≪すいません、本当にありがとうございます。このまま取材に行って、報告させて頂きますので……はい、宜しくお願いします。失礼します≫


 そう言って、電話を切ると少しだけ笑みが浮かぶ。

 只の偶然か、運命か。

 こうしてみるとやっぱり面白い。人との繋がりってものは。


 そんな嬉しさを噛み締めながら、俺は再び……その入口へ向かって歩き始める。



 暫くすると目の前に現れた自動ドア。そこを通り、中に入ると流石と言わんばかりの人がロビーに座っていた。

 そんな人達を横目に慣れたように進んで行くと、向かった先はエレベーターホール。

 すぐさま上のボタンを押すと、またしてもタイミングよく扉が開いた。


 どうせならこの運の良さを他にも発揮して欲しい……なんて思いながら、中へ乗り込み6階を押した瞬間だった。


「よっとぉ! アブねぇアブねぇ。間に合った……」


 恐ろしい程の勢いで、誰かが飛び込んで来た。

 服装的に……ここの看護師さんで間違いはない。ただ、それとは対照的な茶髪と小麦色の肌。

 正直思い当たる節は……あった。


「ちょっ、びっくりするじゃないですか! 天女目なのめ先輩!」

「ん? おぉ! 誰かと思えば! 今日もまた来たのか?」


 もはや、ギャルがコスプレしたような姿のこの人は天女目先輩。

 ただその見た目に反して、ちゃんとここで働く看護師で間違いない。そして明進高野高校、仙宗大学の1つ先輩でもある。


 高校時代は話をした事はなかった。大学時代は……それなり? いや、入学当初から先輩の存在は知っていたけどね。この風貌、性格そのままで有名人だったし。


 それにここで出会った時は驚いたものだ。作品の中に名前こそ出さなかったものの、その雰囲気を模した一文は登場させていたし……まぁ、


「毎度毎度ご苦労なこったねぇ?」


 とりあえずバレてはないようだし、大丈夫か。


「先輩もお疲れ様です」

「お疲れ様じゃねーよ! 今から仕事が始まるんだよっ!」

「そうですね。すいません」


 いつも通りの様子だし。


「マジで寝不足だわー。ゲームしすぎたー。ってもう4階かよ。あっ、栄養剤のプレゼントならいつでも受け付けてるから、いつでもナースステーション来いよ? いや来いっ! そんじゃぁなー」

「はははっ、頑張ってください」


 言動はともかく、看護師としての腕は確かなようで……まさに人は見掛け……


「おう! よっこいしょ。それじゃあ今日も……って! こらぁぁ野呂! てめぇまだ安静にしてろって言われてんだろうがよー!」


 ……人は見掛けに寄らないって事なんだろう。うん。

 それに野呂……? ……多分気のせいだと思う。ここまで偶然が重なる訳ない。うん。


 こうして先輩の声が段々遠くなり、静かに扉は閉まり切った。その途端になぜか自然と笑みが零れる。

 これも地元ならではの出来事なのかもしれない。そう考えると改めて、今まで過ごしてきた事は無駄じゃない。それを身を持って感じられるのは嬉しい限りだった。


 そしてあっと言う間にエレベーターは6階に到着する。

 扉が開くとさっきのフロアとは違って、この場所はめっきり静かだった。


 コツッ


 足を踏み入れた靴の音が、響き渡る。


 とはいえ、別に誰も居ない訳じゃない。患者も居るし、勿論ナースステーションだってある。ただ、先輩が降りた4階に比べると、大分落ち着いてはいる。

 ましてや、そこの様子を見てから来ただけあって、いつも以上に静かに感じていた。


 そんな中、俺は慣れたように廊下を進む。途中、ナースステーションの看護師さんにお辞儀をすると、なんとも愛想よく返して貰えた。

 今ではこんな反応をしてくれるけど、最初はちょいちょい止められていたっけ。そう考えると……少しだけ考え深くなる。


「やぁ、おはよう」


 それにこの声には……


「あっ、おはようございます」


 いつも不思議と安心させられる。


御神本みかもと先生」


 目の前の面談室から現れた、眼鏡を掛けた白衣姿の人物。その人は、昔からお世話になっている御神本先生だった。

 とにかく優しくて、その声は不思議と安心感をもたらす。それに……名前を少し変えたけど、作中に登場する事を許してくれた。そして何より、俺があの作品の作者だと知っている数少ない人物。


「いやぁ、昨日の試写会のニュース見たよ」

「本当ですか?」


「熊の被り物とは……流石だね? とにかくおめでとう」

「なんか恥ずかしいですね。でも先生、ありがとうございます。作品への登場を許可してくれて」


「全然だよ。俳優さんも渋くて格好良かったし、むしろ友上先生で過ごした方が良いのかな? なんて思ったりもしてるよ」

「流石に身バレはマズいですって!」


「ふふっ、冗談冗談。それより……今日も会いに来たんだね?」

「はい」


「良いプレゼントだったんじゃないかな」

「そうだと良いんですけどね?」


「きっと喜ぶさ。それじゃあ僕は行くよ。またね?」

「はい。失礼します」


 そう言って颯爽と去っていく先生。そんな姿を目にして、ますます頭が上がらない。

 あれからも、これからも……多分一生その気持ちは変わらない。

 本当に本当に……ありがとうございます。


 心の中で呟きながら軽く会釈をすると、おれはゆっくりと体の向きを変えた。


 そしてまた歩き続ける。ある場所を目指して。

 そこはそのフロアの1室。1番端にある角部屋。



 その番号も、その下のネームプレートも……もはや見慣れた。


 コンコンコン


 こうして何回ドアをノックしただろう。

 覚えてはいない。それ位……何度も訪れた。



 だから今日も、俺はいつもの様にドアを開けた。

 そして今日も、俺はいつもの様に声を掛ける。



「よっ、花! 元気か?」

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