私はあなたの片隅に,⇒

 



 その日は、空を雨雲が覆い朝からどんよりとした天気だった。

 まぁだからと言って何かが変わる訳でもない。強いて言うならグラウンドで練習出来るのかというのが気掛かりではあった。


 それ位、普通な日。平穏で、毎年恒例の試合前の日々。


 今週末から始まる選手権予選に向けて、心も体も戦闘モード。高校生活最後の大会となればいつも以上に力が入る。特にインターハイ予選で漆谷高校を破った事は自信でもありプレッシャーにも感じていた。


 今までの自分なら、確実に力み過ぎて空回りしているかもしれない。ただ、今年は違う。


 ふと机の上に目を向けると、そこにはラッピングされた大きな袋。

 それは去年の過ちを繰り返さないように、1ヶ月前から用意した誕生日プレゼントだった。サプライズも兼ねて花には内緒にしている。


 前に一緒に出掛けた時に、


『凄い……大きなテディベア』


 そう言いながら目を輝かせる姿を見てピンと来た。誕生日のプレゼントはこれだと。


 ただただ喜ばせたい。

 そう思う程に、花の存在は俺にとって大きかった。


 症状の事は勿論、サッカーの事。

 なんでも気軽に話せる彼女は、強い味方だった。


 だからこそ、今の俺はやる気に満ち溢れている。漆谷高校にリベンジを許さない自信があった。


 そんな思いを胸に、俺は徐にスマホを手に取るとあるメッセージを送った。

 これもいつしか毎日交わすようになった朝の挨拶。


【おはよう】


 それが画面に表示されるたのを確認すると、俺は机の上にスマホを置いた。そして静かに呟く。


「じゃあ今日も……頑張りますか」




 こうしていつもと変わらない1日が始まり、何事もなく終わりを告げるものだと思っていた。

 学校に行って、授業を受けて、海斗や岡部達と話をする。


 そんな中、いつものメンバーで昼ご飯を食べている時……ふと思い出した。


 スマホに画面を向けると何の通知もない。アプリを開くと既読文字は付いていた。ただ、メッセージの返事はなかった。

 いつもなら必ず返事をくれるのに……なんて思いはしたけど、まぁ単に返信し忘れだろ?


 その時は、そこまで深く考えもしなかった。些細な事だと思っていた。でも結局、それから……



 花から返事が来る事はなかった。



 次の日、またメッセージを送ってみたけど返事はなかった。

 2日経つと、今度は既読すら付かない。


 流石に変だと思った。

 けど試合も近いし、何より常に冷静で完璧な花が何の理由もなく返信しないなんておかしい。何か理由があるに違いない。だったらお節介なんて必要ないんじゃないか? 


 そんな気持ちも相俟って、電話とかはしなかった。それにもう少しで土曜日。選手権予選の初日だけど午前中には病院へ行く予定だった。そこでそれとなく話をしよう。そう……思った。



 だが土曜日……花は病院へ来なかった。毎週欠かさず見かけた姿は、毎週欠かさず声を掛けた場所に居なかった。俺が診察を受ける前も、受けた後も、ロビーで薬を待っている間も花の姿はなかった。


 少し……嫌な予感がした。

 でも……それでも……花なら大丈夫。きっと体調不良か何かだと思うようにした。それにこれから始まる選手権予選。それで活躍しないと今度会った時ガッカリされるかもしれない。


『私の事は良いから、試合に集中して?』


 花ならそう言うと思った。だから……俺は気持ちを切り替えたんだ。目の前の試合に向かって。


 そのお陰かどうかは分からない。けど俺達、仙宗高野は土日の試合を危なげなく突破。準々決勝へと駒を進めた。


 ただ、そんな順調の一途を辿るサッカーとは対照的だったのは花の事。


 約1週間、何の進展もない。メッセージに返信はないし、既読もつかない。

 思い切って電話を掛けてみると、


 ≪お掛けになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていない為掛かりません≫


 そんなアナウンスが永遠と続いていた。

 この時点で不安が過る。本当に何かあったんじゃないか? それとも拒否られてる? 何で? 理由が見当たらない。


 家に行ってみようか? そう考えた事もあった。春さんとは何度も話してるし、お父さんやお婆ちゃんとも見知った仲ではある。


 けど、そこまでするのか? 心のどこかでそう感じる自分も居る。

 単純にスマホが壊れてるとかだったら? 家族で旅行に行ってスマホ忘れてるだけとかじゃないのか?


 ……そもそも、家にまで行くなんて……そんな関係なのか? 



 勝手に彼氏面するなよ。



 そう……思われるのが嫌だった。

 だからこそ、今まで表立ってその感情を見せないようにしていた。


 けど気になる。けど的外れな行動で嫌われたくない。この関係は壊したくない。


 その狭間で俺は悩んで、悩み抜いて……1つの答えを出した。

 今週の土曜日……土曜日まで待とう。それで花が来なかったら……家に行こう。



 そして土曜日。いつもの時間、いつもの場所に……花は居なかった。正直準決勝を前に気分は最悪。先生にもなかなか言い出せずに、結局何も変わらないまま診察は終了した。薬を待つ間も、やはり花の姿は見えない。


 家に行くしかないか。でも嫌われたら? そんな思考が交錯する中、ただただ椅子に座っていると……不意に誰かの会話が耳に入った。


「あのー、地域連携室ってどこですかね?」

「はい。それならここを右に行った……」


 その瞬間だった、ある単語が耳に残って、ふと思い出す。


 地域……連携……室? そうだ……そうだ……なんでもっと早く気付かなかったんだ。ここの地域連携室で春さん働いてるじゃないか。


 花が音信不通なら、春さんを訪ねれば良い。

 そう思い立つと、俺は一目散に地域連携室へと向かって歩き始めた。


 もの忘れ外来とは逆側の棟。そこに地域連携室はあるはず。案内板を確認しその歩みを速めていく。

 そして、ついにここを曲がれば! そんな時だった、その人は思い掛けずに……その曲がり角を曲がって来た。いつも見せる明るい表情とは違う真面目な表情。


「あっ……」


 その姿に、思わず声が零れる。


「えっ……日向君?」


 その声に気が付いたのか、その人物は一瞬驚いた声を上げると……瞬く間にいつもの姿を見せていた。


「日向君! どしたのこんな所で?」


 間違いない、花のお母さん……春さんだった。

 その姿に正直安心した。でも、目的はそれじゃない。花の事だ。

 俺は浮ついた気持ちを落ち着かせると、ゆっくりと……春さんに尋ねた。


「すいません。でも春さんに聞きたい事があって」

「何なに? スリーサイズとか? それは……」


「今日はおふざけは無しですよ。春さんだって心当たりあるんじゃないですか?」

「心当たり……?」


「花の事です。ここ最近、メッセージの返信もないし既読も付かないんです。それに電話も繋がらないし、病院にだって来てない。……何かあったんですか?」


 冷静に……問い掛けたつもりだった。でも所々感情がこもってしまったのかもしれない。けど、春さんの反応は……予想外のモノだった


「ふふっ、花の奴……良いな。こんなに心配してくれる人が居て。我が娘ながら嫉妬しちゃうよ」

「ちょっ……俺は真剣なんですよ?」


「ごめんごめん。でもね、本当大した事ないんだよ?」

「大した事……ない?」

「実はね……」


 それから春さんは花の状況を話してくれた。

 結論から言うと、現在花はインフルエンザで寝込み中。しかも2週間前にスマホが壊れて、修理に行く時間がなかなか取れず……ようやく先週の土曜日に行こうとした時に、インフルエンザかかったそうだ。


 つまり先週病院に来なかったのは、インフルエンザで体調不良。メッセージを送って来ないのも電話が掛からないのもスマホを修理に出してまだ受け取ってないから。


「スマホくらい取りに行こうか? って言っても、ダメ! お母さん何から何まで見そうだし、変な事しそうだから! だって? 酷いよね?」


 いつものテンションで愚痴を話す春さん。なんと言うか偶然に偶然が重なったとはいえ、そこまで心配するような状態じゃない事も相俟って、少し気持ちが軽くなった気がした。


「いや、正しいと思いますよ? 花は」

「えぇ? 日向君までそんな事言うの?」


「いや……まぁ……」

「まぁいいよ。それより、こういう状態なら連絡先交換しよっか? それなら花の状態とかも分かるんじゃない?」


「……あっ、危ない危ない。それは大丈夫です。インフルエンザならあと数日で良くなると思いますし。それに……春さんとは絶対に連絡先交換しないってのが花との約束なので」

「絶対って……そんなに強調しなくたって! ……ったく、なんて律儀なのかしらね? ホント嫉妬しそうだわ」


「何言ってるんですか。それより、お仕事の途中で呼び止めてしまってすいません」

「ん? 全然だよ」


「またまた。でも春さん、ありがとうございました。花にはゆっくり治せよって伝えてもらえますか?」

「了解了解。日向君もありがとうね? 花のこと心配してくれて。元気になったら速攻で電話しなさいって言っておくから」


「本当ですか? ありがとうございます。それじゃあ、俺はこれで失礼します」

「気を付けて帰るんだよー」



 胸のつっかえが取れた。

 気持ちが一気に軽くなった。

 その意味はきっとこういう事のなのかもしれない。


 あれだけ悩んでいた事が、あっと言う間に解決する。しかも原因も原因で些細な事だった。これ程安心した事は今までなかったかもしれない。


 それを示すように準々決勝、準決勝はいつにも増して動きがキレキレだった。自分でも驚く位に。


 こうして俺達は、1週間後に行われる決勝の舞台へと立つ事が出来た。

 10月31日。その決勝は今までにない位特別な日だ。

 本来なら30日日曜日の予定だったのに、台風のおかげで確実に影響がない様に1日の順延。


 普通なら有り得ない。けど、それは実際に起こった奇跡だった。


 高校生活最後の選手権予選、負けた時点でその幕は下ろされる。

 決勝の相手は宿敵漆谷高校。

 更にその日は俺と花の誕生日。


 兎にも角にも負けられない。

 サッカープレイヤーとしても、男としても、色んな意味で負けられない。


 そんなモチベーションのまま、あっと言う間に1週間は過ぎ去った。

 その間花からの連絡はなかったけど、春さんに状況を聞いた事もあったし、俺の言葉を伝えて貰えたし……まだ万全じゃないんだろうって、前のように気にはならなかった。


 そして決勝前日、いつもの診察の日。この日も……花の姿はなかった。只、友上先生には連絡があったらしく、


「いやいや最近のインフルエンザって強力なんだね? 匙浜さんまだ少し咳っぽいから今日来れないって」


 診察の中で花の話が出たのは思いもよらなかったけど、薬も別の日にちゃんと貰いに来てるとか、近況を知れただけで嬉しかった。


 それに元気付ける為には優勝しかないって、余計に気合が入ったっけ?


 優勝して……そして最高の誕生日をっ!



 それだけを、ただひたすら……目指して……











 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――











 その日は、空を雨雲が覆い朝からどんよりとした天気だった。

 時折、雲の合間から見える閃光と地響きのような音に耳を傾けながら、俺はただひたすら窓の外を眺めていた。


 そんな時、机の方からテンポの良いバイブの音が聞こえる。

 目を向けると、画面には知らない番号が表示されていた。


 不思議に思いながらも、俺はスマホを手に取り画面をスワイプすると、ゆっくりと……耳へと当てた。



 ≪もしもし? 日向君? …………ごめんね?≫



 ≪私、嘘を……付いた≫



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